石原慎太郎とオウム真理教 | 雑雑談談

石原慎太郎とオウム真理教

石原慎太郎(都知事)とオウム真理教の疑惑について!
麻原氏は「石原慎太郎を尊敬」と述べる!
正しい情報を探すブログ
http://ameblo.jp/kennkou1/entry-11391106682.htmlより

あまり知られていませんが、地下鉄サリン事件を引き起こしたオウム真理教と、
石原慎太郎元都知事は色々な関係を指摘されています。
そこで今回は石原慎太郎元都知事とオウム真理教との関係を示唆する情報を
まとめてご紹介させて頂きます。

まずはwikiからご紹介。

☆石原慎太郎
URL http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%8E%9F%E6%85%8E%E5%A4%AA%E9%83%8E#cite_note-2
引用:
地下鉄サリン事件の数週間後のことであり、浜田幸一によれば
オウム真理教に多額の寄付をしていたという 「ハマコーの非常事態宣言」
(1995年(平成7年)7月)
:引用終了

wikiには「浜田幸一によればオウム真理教に多額の寄付をしていたという」と書かれています。
事実、この寄付を裏付けるかのように、オウム真理教の指導者だった麻原氏は
「石原慎太郎を尊敬する」と述べています。

他にも「石原慎太郎の弟裕次郎の手術の執刀医がオウムの林郁夫」だったとか、
「石原慎太郎の圧力でオウム真理教は宗教法人になった」とか、
「石原慎太郎の四男は「オウムの幹部」だった」等といった無数の疑惑が
石原慎太郎氏にはあります。
以下はそれらの疑惑を分かりやすく整理してくれた情報です。

☆オウムと石原慎太郎の意外な関係
URL http://www.asyura2.com/12/senkyo130/msg/691.html
引用:
意外に知られていないことですが、なんで急に議員辞職したのか納得です。

【1】石原慎太郎の弟裕次郎の手術の執刀医がオウムの林郁夫だった
http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20100406/1270496070

1995年(平成7年)4月、石原慎太郎は突然衆議院議員辞職を表明した。
地元の後援会にも知らされず、全く唐突であった。
日本の政治に失望したという趣旨の意見を残しているが、とってつけたような感じである。
なぜ唐突にやめるのか、全くその説明としては不十分であった。
しかし、彼は議員辞職をせざるを得ない、大きな事情を抱えていた。

オウム真理教は、1984年(昭和59年)2月に任意団体「オウム神仙の会」として設立された。
その後、1989年(平成元年)8月に、東京都から「宗教法人オウム真理教」の認定を得ている。
東京都は頑なに認定を拒否し続けていたのにもかかわらずである。

一方、石原裕次郎は1978年(昭和53年)、舌ガンのため慶應病院に最初の入院をする。
翌年東大病院に転院して再び手術を受ける。ここで病魔を克服したかと思ったが、
1981年(昭和56年)、解離性大動脈瘤で再び慶應病院に運ばれる。
生還率3%、6時間33分の大手術に耐える。
しかし、その後も1984年(昭和59年)に肝細胞ガンで、1985年(昭和60年)に胆内単胆菅炎でと
毎年慶應病院に入退院を繰り返し、1987年(昭和62年)7月17日に永眠。

オウム真理教と石原裕次郎になんの関係があるのかと思われるであろう。
キーワードは「慶應病院」である。1981年に解離性大動脈瘤で入院したときの執刀医が
だれであったか、そこに鍵がある。この大手術の執刀を行ったのは、
心臓外科医としての林郁夫だった。

【2】石原慎太郎の圧力でオウム真理教は宗教法人になった。

1987年に石原裕次郎が亡くなった2年後、オウム真理教は宗教法人になっている。
頑なに宗教法人認定を拒否されていたオウム真理教としては、
好き勝手なことをするためにはなんとしても宗教法人の認定を受けたかった。
林郁夫から1988年に運輸大臣であった石原慎太郎に、
状況打開の依頼がいったことは想像に難くない。
実際、石原慎太郎は運輸大臣の肩書きを背景に東京都にプレッシャーをかけ、
オウム真理教はまんまと宗教法人に成りおおせている。

石原慎太郎が議員辞職を表明した直前の1995年3月20日、地下鉄サリン事件が起きる。
宗教法人を隠れ蓑にしなかったら、このようなとんでもないテロをオウム真理教は
起こせたであろうか。当時、政権は村山富市首相であり、
自民党は戦後もっとも弱体化していた不安定な時期であった。
阪神淡路大震災の不手際で政府は批判を受け、そして地下鉄サリン事件である。
その原因を作った人物が元閣僚経験者で衆議院の赤い絨毯の上で
踏ん反り返っていることが衆人の知れるところとなったら、自民党はひっくり返ってしまう。
表面的には強がりを言っていたが、詰め腹を切らされたことは、想像に難くない。

その時の思いつきと自分の人気がどうやったら出るかしか考えられず、
自分の言動がどのような影響を与えるか想像できない。そして、本書を読めばわかるが、
本当に節操がない。政治家として最も不適切な人物と言わざるを得ない。
そして、オウム真理教に対するものも、きちんと責任を取っていない。
もっとも、へたに取ればとんでもないことになってしまうが。

そんな人物が東京都知事として君臨しているのである。東京に住んでいれば実感するが、
この4年間で確実で東京は住みにくくなった。それは、不況のせいではない。
福祉の切り捨てをやっているのである。節操もなく弱者への思いやりもく気も小さい、
そんな人物をあなたはさらに4年、都知事として仰ぎたいか。

【3】石原慎太郎は、オウム真理教への資金提供を行っていた

石原 慎太郎、オウム真理教への関与疑惑
http://www.hostlove.com/cgi-bin/tv/ibo.cgi?mode=tp&page=2&file=20110819213710&cpage=3&a=32&all=1

宗教学者の中沢新一の証言によると、石原の四男の画家、石原延啓は
オウム真理教の幹部であったとされる。浜田幸一は自著『ハマコーの非常事態宣言』の中で、
石原が、山口敏夫と共にオウム真理教への資金提供を行っていたと名指しで批判している。

[ 匿名さん ] - 2011/08/19 21:49
(025)
石原が議員辞職を公にしたのは、オウム真理教の犯行を疑われている
国松警察庁長官狙撃事件の起きた1995年(平成7年)3月30日から半月後の4月14日である
(地下鉄サリン事件の発生は3月20日である)。
同年6月には山口敏夫が二信組事件への関与疑惑によって、
衆議院での証人喚問を受け、後に逮捕されている。

【4】石原慎太郎の四男は「オウムの幹部」だった

[ 匿名さん ] - 2011/08/19 21:49
(026)
石原都知事の四男には「オウムの幹部だった」という噂が流れていたのは
知ってる人も多いと思う。が、それどころか「慎太郎はトロッキストのネオコンで、
オウムのクーデター成功後には首相になる予定だった」という話もある。以下、引用。

[ 匿名さん ] - 2011/08/19 21:49
(027)
彼らは北朝鮮の工作員から徹底したクーデターのノウハウを学び、実際に多くの若者を拉致し、
軍事訓練を行い、その準備を進めていました。
何とそのクーデター成功の暁には石原慎太郎氏を首相に想定していたとの
元オウム官房長氏の 爆弾暴露証言までついています。

[ 匿名さん ] - 2011/08/19 21:50
(028)
検察当局との「司法取引」により、公職即ち国会議員を辞職することで、
この話は闇に葬り去られたのです。また、石原氏4男、延啓氏はオウムの準幹部
(官房長官副秘書官)だったが、第7サティアンで"救出"され、保護、その後暫くの間、
高尾病院に強制入院させられていたことも初めて明らかにされました。
麻原が瞑想していた座の後ろにあった曼荼羅は画家の四男延啓の作である。

:引用終了

オウム真理教といえば、サリンガス、AK自動小銃などの武器を大量に保有していた
ことでも有名ですが、実はオウム真理教によるクーデター計画が実在していたと
言われています。で、クーデター成功の際には石原内閣を誕生させる予定だった
という噂があるのです。

☆オウム・クーデター、成功の暁には、石原内閣誕生?
URL http://www.asyura2.com/0311/nihon10/msg/693.html
引用:
-石原慎太郎、議員辞職の真相について-

オウム・クーデター、成功の暁には、石原内閣誕生?
石原氏がなぜ国会議員のバッジをはずしたのか?
何故、慎太郎氏のテンションは朝鮮問題になると異常に高まるのであろうか?
以下がその要点の抜粋です。

麻原が瞑想していた座の後ろにあった曼荼羅は、石原慎太郎の四男で画家の延啓
(ひろたか)の作である。
そしてオウムの宗教法人認可には、石原の尽力があった。
オウムが一刻を争い、宗教法人の認可にこだわっていたのは紛れもない事実です。
宗教法人の資格があるからこそ、サティアン内部に警察や県も調査にはいれ
なかったわけです。 ここが戸塚ヨットスクールのような民間との違いです。
 
彼らは北朝鮮の工作員から徹底したクーデターのノウハウを学び、実際に多くの
若者を拉致し、軍事訓練を行い、その準備を進めていました。何とそのクーデター
成功の暁には石原慎太郎氏を首相に想定していたとの元オウム官房長氏の
爆弾暴露証言までついています。
 
オウムは、日本をひっくり返すクーデターを企てていたが、
その際に石原を首相に担ぎ出そうという計画もあった。
オウムとの件を公にしないことを条件に石原は検察当局と取引し、議員を辞職した。
検察当局との「司法取引」(=裏取引)により、公職即ち国会議員を辞職することで、
この話は公表されずに闇に葬り去られたのです。
 
石原慎太郎は、警察によるオウム教施設の手入れの開始から数週間後に議員を辞職した。
『ハマコーの非常事態宣言』(浜田幸一著)で、
“石原はオウム教に莫大な寄付をしていた”と名指しで非難されている。
ハマコーが最初に石原とオウムの関係を喋ったのは、
オウム事件の真っ只中の時で、石原は、あわてて任期途中で議員を辞めている。
また、霊友会の熱心な信者である石原が、霊友会とは兄弟関係にある統一教会
(韓国の新興宗教)とのつがなりが深いのは常識。

:引用終了

もちろん、私には真偽は分かりませんが、寄付や教祖の発言などを総合してみると、
本当にオウム真理教による石原内閣樹立が真剣に考えられていたのでは?
と思ってしまいます。

私が彼を支持できない最大の理由がこれらの情報の存在なのです。
今回紹介した情報はオウムと政治家に関する氷山の一角に過ぎません。
オウム事件について調べてみると、石原氏以外にも色々な関係を指摘している情報が
隠れています。
オウムは言うならば、日本の暗部とも言える部分が詰まっています。
これを機会にオウム事件を振り返ってみるのも良いかと思います。
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リチャードコシミズ氏によるとオーム事件の本番はこれからだということです。
だからあの時、破防法を適用せず残しておいた・・・
どうしてかというと、罪を引き受けるためです。

オーム本番により、東京や在日米軍基地が攻撃

在韓米軍が応援に駆け付ける(韓国内の米軍が減る)

北朝鮮軍が南下

3日でソウル陥落

朝鮮統一

中国+朝鮮 VS アメリカ+日本

長期戦争勃発によりアメリカ経済復活

だいぶ前の話なんで、現在の状況は解りませんが、
もし戦争にならなくても、東アジアが第2の冷戦になれば・・・
アメリカ経済は復活しますね。