生きる時間って産まれた時から決まっているのかな?






今日、まだ29才の若さで亡くなった人のお通夜に旭川に行って来ました。




享年30才




彼の死を知らされた時



「ドッキリでしょ?嘘だよね⁈」ってつぶやきました。

























私には、産んで無い子供達が沢山いるの。いつも連んで家族みたいにしてる子供達。



彼はその中の一人だった。




いつも甘えた声で
「ママ~」って呼んでくれた。



彼の携帯電話には
私の名前ではなく
『ママ』で登録していたらしい。



彼が25日の朝方、救急車で運ばれた時



多分病院からだろう…



彼の側にいた人が私に連絡をくれた。



「お母さんですか?」と



朝の5時5分だった。



寝ボケてる私は



「違いますよ」と、答えてしまった



平常の場合
「違いますけど、友達です。何かあったのですか?」位の受け答えは、する筈なのに…




違いますよ。





彼の死を知った日から、その事ばかり考えていた。
私の対応が早かったら
何か違ったかも知れない




もう、どうしょうも無く
お母さんにその話をして
謝罪した。




ごめんなさい。ごめんなさい。
と、何度も言った。




彼のお母さんは、笑顔で
「あの子の心臓はあの日が限界だったのよ。救急車でもERでも最善の処置をしてくれたけれど駄目だったの。だから、そんなに謝らないで。」と笑いながら言って下さった。
「あの子が札幌で、どんな友達とどんな風に過ごしていたか、とても知りたいの。今度、話を聞かせて!」
と、言いながら私達を見送ってくれた





また、いつかお母さんと彼の思い出話をしたいと思いながらバスに揺られて帰宅しました。





お通夜に行ったのに
棺に入れられてる彼の顔も見て来たのに
まだ、半信半疑な自分



明日「ママ~」って連絡が来そうな不思議な感覚




頭と心の整理



いつまで掛かるかな…






たくさんの笑顔をありがとう




Oちゃん。

photo:01





大好きだよ。



最後まで私の息子でいてくれて
ありがとう。





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