
封切り日の朝イチで観て、ちょっと衝撃的な仕上がりだった映画「これでいいのだ!!」の原作「赤塚不二夫のことを書いたのだ!!」

を読みました。
映画は多分にハチャメチャコメディ的な内容になっていましたが、原作は病床で意識のない赤塚不二夫の描写から始まるなど、多分にシリアスな内容も含まれていました。
映画は少年サンデーの新人編集者が赤塚番になり、人気作「おそ松くん」の連載にかかわり、ライバル誌少年マガジンで「天才バカボン」が始まったことで「おそ松くん」終了に追い込まれ、「もーれつア太郎」を経てナンセンスを極めた「レッツラゴン」を作り上げるまでの物語になってます。
原作は映画にはほとんど描かれない赤塚不二夫の過去についても詳しくふれ、どんどん仕事が減り、アルコールに溺れていく後半生も描いています。
しかし、映画はその赤塚の人生の中で最も充実していた期間だけを切り取っていました。
原作にはブレイク前の赤塚がつげ義春の紹介で貸本漫画を描くエピソードがあったり、マガジンからバカボンを奪ってサンデーに連載させたり、アシスタントを漫画家としてデビューさせ、そのネタ作りに進んで参加していたことなど、映画に描かれなかった興味深いエピソードもいっぱいです。
しかしながらこの作者はヒット作の「おそ松くん」や「バカボン」の誕生にタッチしていないのでその誕生秘話には触れられないし、タモリとの関係も申し訳程度にしか描かれません。
あと赤塚と対等な関係で作品作りに関わっていたせいかギャグマンガの大家に対し、作者がタメ口な感じなのがオッサンの自慢話みたいで鼻につきます。
この作品がなぜ原作とかけ離れた(思いの外、原作通りのところもあるけど)映画になったのか?
発端は脚本の君塚良一が助監督をしていた佐藤英明に原作を渡し、「やる気があるなら、僕が書いたシナリオ第1稿をプレゼントする」と言ったこと。
そう、この作品は君塚良一がやりたかった映画だったのです。
君塚は「踊る大捜査線」大ヒットで大家になった脚本家だけど、元々は欽ちゃんのブレーンだったから、きっと笑いの映画を作りたかったのでしょう。
だからいい話にも出来た原作を、思い切って元気良く笑いに出来る部分だけを切り取って脚本にしたのだと思う。
そして、出来た映画は多くのお客さんが望むものではなく、極めて作り手の個人的な志向を反映したものになっていました。
原作者的にはどんな心境だろう?
映画はコケてもナンセンスな精神を表現されているから合格なんでしょうか?