治安維持法/中澤俊輔 | れぽれろのブログ

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治安維持法は1925年に設定された法律。
共産主義やアナキズムを取り締まるために設定された法律ですが、
後に適応範囲が拡大し、終戦までの20年間にわたり
自由な言論・政治活動を封殺した稀代の悪法であるというイメージがあります。
加藤高明内閣時代に普通選挙法とセットで可決されたと
日本史の授業で習った法律。
アメ(普通選挙法)とムチ(治安維持法)などと習った方も多いと思います。

中公新書の「治安維持法」(中澤俊輔著)という本を読みました。
治安維持法成立から失効までの20年間の歴史を描いた本です。
1926年が昭和元年ですので、戦前昭和史とほぼまるまる一致する時期です。

かなり情報量が多い本ですが、強引に概要をまとめると・・・

1925年に加藤高明内閣のもとで治安維持法が成立します。
私有財産否定・国体変革を目論む「結社」を取り締まるための法律。
事実上、共産主義を取り締まるための法律として設定されます。
しかしその後、「結社」では共産党員以外の共産主義活動の
取り締まりができないということで、
1928年に田中義一内閣によって半ば強引に法改正がなされ、
「目的遂行罪」が設けられます。
この目的遂行罪により、共産党員以外の党協力者個人も
対象とすることができるようになります。
しかし、これにより法律が拡大解釈が可能になり、
国体変革を目論む(と見なされるような振舞いをした)個人を
罰することができるようになります。
結果、30年代に治安維持法は猛威を奮い、数々の悲劇を生みます。
共産主義者はことごとく逮捕され、多くの人は獄中で転向します。
そして、30年代中ごろには日本の共産主義はほぼ壊滅します。
さらには反ファシズム思想や大本教などの宗教団体も
弾圧されることになります。
これらの団体は厳密に私有財産の否定や国家変革を
目的とはしていないように見えますが、あれこれ理由をつけて
法律を拡大解釈するようになります。
反面、30年代には血盟団事件・515事件・226事件等々の
右翼テロが横行しますが、彼らは天皇(国体)を掲げての行為であるため、
治安維持法はこれらのテロリズムに対し有効に機能しないことが露呈します。
1941年には戦時体制を背景にさらに拡大解釈可能な法文に改正されます。
これにより、反戦行為一般についても取り締まられることになります。
そして1945年に終戦、GHQにより治安維持法は失効します。

治安維持法がある種の極左の人たちの暴走を食い止めることに対し、
有効に機能したということは言えると思います。
しかし、この目的以上に多くの言論活動を封殺する結果となりましたし、
多くの悲劇を招くことになりました。
そして、極右の暴走を止めることは当然できませんでした。
この著者は結論として、治安維持法に類する法律の必要性は認めながらも、
適応対象を(国家転覆の暴力の根源となる)結社や言論活動に
適応するのではなく、暴力行為そのものに適応すべきであったと説きます。
言われてみればその通りですね。

その他、感じた点を2点ほど。

1つは法文の重要性。
拡大解釈可能な曖昧な法文であれば、行政の裁量で検挙する・しないを
自由に判断できる余地が大きくなります。
治安維持法の場合、1928年の目的遂行罪の設定により、
この余地が大きくなったようです。
現代においても、行政府の裁量行政の温床となるような法文を、
立法府は厳密にチェックする必要があります。
このためには、法文解釈のリテラシーをもった
多数の政治家・ブレーンが必要です。
最近は何やら衆議院の定数削減などと怪しげなことも推し進められていますが、
社会が複雑になったこの時代にこそ、法的リテラシーの高い
有能な政治家の人数は必要で、あんまり政治家の数を減らしたりするのは
問題であるような気がします。

もう1点、ちょっと面白かったのが、治安維持法の適応範囲に対する議論。
戦前の政治思想にはいろいろありますが、
左から右まで主だったところを並べてみると・・・。
 ①無政府主義(アナキズム)
 ②コミンテルンに従う共産主義
 ③コミンテルンに必ずしも同調しない共産主義・社会主義
 ④反ファシズム人民戦線
 ⑤革新官僚らによる国家社会主義(近衛新体制・大政翼賛会)
 ⑥観念右翼(平沼騏一郎など)
 ⑦天皇を掲げた革命を志向する団体(血盟団・皇道派青年将校など)
①②は天皇制の否定につながるため、明確に治安維持法の適応範囲に
なりそうですが、③④については必ずしも天皇制を否定しないですし、
適応範囲であるかは曖昧です。
しかし実際に後に適応されることになりました。
そうなると、⑤がなぜ治安維持法の結社の対象に
ならないのかという議論になります。
この本によると、実際に近衛文麿は⑥の平沼騏一郎らから
こういう指摘を受けたんだそうです。
で、その結果、翼賛会の国家社会主義性は骨抜きになり、
精神運動に留まることになりました。
⑤は統制経済、ファシズムにも近いです。
以前に読んだ片山杜秀さんの「未完のファシズム」にもあるように、
天皇制であればむしろ厳密なファシズムは無理ということなんでしょうか。
そして、⑦は①②並の反明治憲法体制の思想であるわけですが、
天皇を頂いているため治安維持法の対象にはしにくいみたいです。
自分の中でなんとなくこういう整理ができたのも、
この本を読んで面白かったところです。