松山 喫茶 オールイン

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最高の喫茶店を見つけてしまいました。なんというか、昔タイでよく通っていた「古都」というお店に少し雰囲気が似ているんです。漫画喫茶ではないのですが、店内にはたくさん漫画が置いてあり、でも全体にはちゃんとした空気が流れていて、ゆるやかで落ち着いた時間が流れているんです。

システムも最高で、400円払うと2時間コーヒー飲み放題。さらにルートビアまで飲み放題ってどういうこと?あの沖縄の甘くてバニラっぽくて薬草のような炭酸。あれが好きな人にはたまらないです。コーヒーもとてもいい味でした。

しかも食事も充実していて、頼んだのはタコライス。見た目は正直ちょっと質素で、野菜がご飯に乗っているだけのように見えました。しかし、一口食べてびっくり。中に鶏のそぼろのようなものが入っていて、じわじわとうまみが広がります。忘れてしまいましたが、何かがちゃんと仕込まれていて、地味に美味しいんです。卓上にあるサルサソースを少しずつかけることで、味が変化してさらに美味しくなりました。

気づいたら「ロトの紋章」をずっと読んでしまい、時間があっという間に過ぎていました。もし近くにあったら、絶対通います。Wi-Fiを契約してでも通うと思います。ここで仕事もはかどりそうだし、何ならここに住みたいと思ってしまうくらいです。

喫茶店としての空間のバランス、漫画と飲み物、軽食、そしてルートビアの完璧な三位一体。焼酎を持ち込んで割って飲みたくなるくらいでしたが、この日は休肝日だったのでおとなしくしていました。

とにかく、「これでいい」ではなく「これがいい」と思わせてくれる、静かだけど確かな感動がある喫茶店でした。

























ブルーシールアイスは昔からずっと好きで、食べるたびに「ああ、いい体験してるなあ」と思わせてくれるアイスです。今回も沖縄・国際通りの商店街でダブルカップを手にし、やっぱり「ここで食べるのが一番うまい」と確信しました。

頼んだのは塩ちんすこうと紅芋。南国系の柑橘っぽいものはあまり得意ではないので、自分にとってはこの組み合わせがベストでした。塩ちんすこう、これが本当に最高でした。甘さがドバッと押し寄せてきて、それでいてキレもあり、ちんすこうの持っている濃密な香ばしさがそのままアイスになっていて、こんなの東京で食べられるなら「もうどうなってもいい」ってくらい好きな味です。アイスクリームとして、甘みの中毒や刺激を満たしてくれる味わいです。

紅芋のほうはまったりしていて優しい甘さ。コクがあって、どこか懐かしさもあります。芋系のアイスは好みが分かれるかもしれませんが、私にとってはドンピシャでした。スプーンを入れるたびに「これこれ」と頷いてしまいます。

沖縄の空気と一緒に味わうからこそ、なおさら美味しいのかもしれませんが、やっぱりこういうアイスが日常で食べられたら幸せだろうなと思います。ブルーシール、やっぱり特別ですね。









尊敬するギタリスト、小野瀬雅生さんが愛してやまないという「ぽーぽー」を求めて、ご本人御用達の店へ向かいました。場所は観光地と市場、そして少し鉄火場感のあるディープなエリアで、歩いているだけでも興味深い街並みが広がっています。

店に入ってまず驚いたのは、ぽーぽーが200円もしないという安さです。財布に優しいのはもちろんですが、並んでいるお菓子のバリエーションにもテンションが上がります。駄菓子の延長線上にあるような懐かしさと、地元密着のリアルが混ざり合い、見ているだけでも楽しさが感じられます。

いよいよぽーぽーを実食。ふんわりとした生地に黒糖の香りがほんのり漂い、甘さは控えめで素朴で静かな味わいです。ジャンキーな甘さを好む自分としては、最初「あれ?」と思いましたが、じわじわと広がる上品な味に納得しました。これはこれで、かなりアリだと思います。

変に味を足していない潔さがあり、素材の持つ風味を信じている感じが伝わってきます。甘さが控えめだからこそ、この味が好きな人たちの気持ちがよくわかります。ちんすこうのような甘さの爆風とはまた違う方向性で、日常に寄り添うお菓子だと感じました。

改めて、小野瀬さんがこういったおやつに価値を見出していることに深いリスペクトを感じました。たった一つのぽーぽーから、食の奥行きやカルチャーの交差点を教えてもらったような気がします。











沖縄に来たら絶対ステーキを食べようと思っていたので、沖縄の経営者の友人におすすめを聞き、国際通りにある「88(ハチハチ)」に行くことにしました。ステーキは100gで約3000円と少し高めに感じましたが、せっかくなので一番おすすめの部位を注文しました。運ばれてきた肉のワイルドな存在感に圧倒されました。

いろいろなソースを試しましたが、特に美味しかったのは玉ねぎベースのスタンダードなソースです。シンプルで、肉の力強さと絶妙に噛み合い、アメリカンステーキの真骨頂を感じました。質の良い赤身にソースが絡むと、それだけで満足感を感じる一皿でした。

さらに驚いたのは、ステーキを頼むとサラダ・ライス・スープが食べ放題になるシステム。サラダはフレッシュで、沖縄らしいもずくが添えてあって面白いです。スープもオリジナルのポタージュ風で非常に美味しく、ベーコンが効いたスープもあり、どちらも妥協なく美味しかったです。

食事を通して、ステーキ文化と沖縄らしさをしっかり味わうことができ、観光気分だけでなく、ローカルのリアルも感じることができました。これはもう、また行きたくなる素晴らしいお店です。
平和島でサウナを楽しんだ後、いろいろと寄り道をしていたところ、なんと20年ぶりに二郎インスパイアの老舗、さぶ郎さんに訪れることとなりました。

以前、若き日の味わいに裏切られた経験があったものの、さぶ郎さんの味はどうだろうかと期待しつつ、醤油ラーメンを豚2枚、野菜少なめ、にんにくあぶら多めで注文しました。

しばらくして運ばれてきたラーメンは、町中華のような荒っぽさと、昔懐かしい雰囲気が漂う一杯でした。

食べてみると、まずスープが非常に美味しい。最近のインスパイア系ラーメンではスープに深みや旨味が欠けることが多いのですが、さぶ郎さんのスープはまさに中毒性のある、えぐみを感じさせる旨味がしっかりと感じられました。昔の二郎や三田、目黒で感じた味わいがここにあるように感じ、懐かしい気持ちになりました。

チャーシューはとろとろではなく、ほろほろとした食感で、スープとともに楽しむことができました。極太で硬い麺は、旨味のあるスープをよく吸い込み、完璧なバランスを保っていました。二郎特有の中毒性のあるスープの味わいと、にんにくのピリピリとしたジャンキー感がしっかりと引き出され、背脂の濃厚なコクがラーメン全体に深みを加えていました。

私は改めて、二郎っぽいものが全て必要なわけではないと感じました。重要なのは、ただ美味しい麺とスープがしっかりとあること。その上で、脂やにんにくはその美味しさを引き出すためのブースターに過ぎないのだと気づかされました。

あまりに美味しくて、二郎本来の味わいを再確認できた瞬間でした。二郎という文化がファッションのように広まり、商売に変わっていく中で、三田の親父の教えが誤解を受けて伝わっていることが多いことを実感しました。

20年前に訪れたこのお店で、二郎の本質を再発見できたことに感謝しています。さすがは、二郎が限られた聖域として存在していた頃からの名店です。

















すばやー 松山店

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沖縄の夜、まだ意識がはっきりしていたので、締めに沖縄そばを試してみることにしました。連れて行ってくれたのは沖縄の経営者の友人で、地元民がすすめるなら間違いないと思い、ついて行きました。

結果、期待以上でした。まずスープが素晴らしいです。牛骨か、やや優しい動物系の出汁に、鰹節などの旨味が合わさり、深みがあり丸みのある味わい。飲んだ後の体にスッと入ってくるのに、味はしっかりしていて、絶妙なバランスです。

麺も素晴らしく、もちもちとしたコシがありながら、そばのような滑らかさも感じさせます。まさに沖縄そば特有の食感で、ラーメンやうどんとは一線を画しています。

三枚肉とソーキはとろとろで、脂の甘さと肉の旨みがスープと絡み合い、最高の組み合わせでした。飲んだ後にこのやさしい味わいが沁み渡り、友人が「飲みの後でも胃もたれしない」と言っていた意味がよく分かりました。

唯一、ジューシーは少しあっさりしすぎかなと感じたものの、スープを少し垂らして食べると途端に旨味が増し、これもまた美味しくいただけました。酒の締めにぴったりの、静かで確かな満足感を得られる一杯でした。沖縄の夜を締めくくるにはぴったりの料理だったと思います。













沖縄の美しい経営者の友人に「沖縄で美味しいものを食べたい、ついでに情報交換もしたい」と話したところ、連れていってくれたのがこのお店でした。結論から言って、最高の一言でした。

まず、アグー豚のステーキが驚きでした。甘みと旨みがしっかりしており、とろけるような脂が口の中で広がります。火入れの絶妙さも感じられ、感動的な一皿でした。

次に島らっきょうの天ぷら。匂いの強さはないのに、味は深くて力強い。にんにくのようなコクがあり、ラーメンに入れても良さそうな味でした。天ぷらにするとサッパリジューシーで、これを目当てにまた来たいと思わせるほどでした。

泡盛も含む飲み放題もポイントが高いです。沖縄ならではの銘柄が並んでいて、しかもリーズナブル。地元感のあるセレクトにグッときました。

そうめんチャンプルーやゴーヤチャンプルーも抜群に美味しく、ちびちびつまみながらゆるやかに酔っていく時間が心地よかったです。酒と料理の距離感が絶妙で、どちらも楽しめました。

いらぶちゃの刺身は初めて食べましたが、これも印象に残る一品でした。ややクセのある白身で、川魚のような風味があり、後味はスッと抜けていきます。地元でしか味わえない特別感がありました。

スタッフの動きも素晴らしく、頼んだ酒がすぐに出てくるのには驚きました。これだけテンポよく、心地いい空間があるなら、地元民が通うのも納得です。

観光地でなく、沖縄に根ざした日常の一杯を味わえる名酒場でした。

























平和島でリフレッシュした後、一人でどこに行くかを考えた結果、競艇場に行くことにしました。正直、競艇にはあまり興味がなかったのですが、食べログで軽く調べて、こちらの競艇場内にあるお店に足を運ぶことにしました。


テイクアウトを前提にしたお店で、名物の牛モツ煮をハイボールと一緒に注文しました。たくあんが食べ放題だったのですが、今日はご飯をかっこむ気分ではなく、気軽に楽しめるものを選びました。


しばらくして供されたモツ煮をいただくと、醤油の旨味がしっかりと効いており、モツはとろけるような食感。さまざまな部位が入っているようで、食感のバリエーションが楽しめます。臭みも一切なく、非常に美味しく仕上げられていました。


さらに卓上の唐辛子をかけると、味が複雑に変化し、酒のアテとしても最適な感じに。煮込みの美味しさをそのまま楽しむことができ、気分が上がりました。


ハイボールはおまけのような存在になってしまうほど、モツ煮の美味しさが際立ちました。お酒と一緒に楽しむには最高の一品であり、競艇場の中でもこれが一番のご馳走だと感じました。


競艇場に入場料を払ってでも、この美味しいモツ煮を食べる価値があると思いました。改めて、美味しい料理があれば、どんな場所でも楽しめると実感したひとときでした。




















ブログについて考える②

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前回のブログで「なぜブログを書き続けているのか?」ということを振り返ってみた。今回は、さらに深掘りして考えてみようと思う。

 

会社を辞めた日から約1年間は、ほぼプー太郎のような生活を送っていた。

その期間は人生を見つめ直し、これまで絶対に会えなかった人や経験できなかったことに出会える特別な1年だった。

ただ、会社を辞めた時点では、次の仕事や具体的な方向性が明確だったわけではない。

「サラリーマン以外の何か」になりたいという曖昧な答えしか持たないままだった。

 

そんな中、「何かを変えなければ」と強く思い、ブログを書き始めたのだと思う。自分の考えや好きなこと、日々の感情を正直に書き記すことは、自分にとって生命線のようなものだった。

サラリーマンを辞めて自由に発言できるようになり、自分自身の率直な意見や社会への思い、政治的な考え、弱者への思いやロックへの情熱などを吐き出したいという衝動がブログを書く動機になっていた。

 

また、13年間のサラリーマン生活を通じて、「継続は力なり」ということの重要性を痛感していた。

新しい何かを始めて継続したいという強い気持ちがあり、それがブログを毎日書くことに繋がっていたんだと思う。

 

自分はやはり「表現者」だと思う。文章を書かずにはいられない性分であり、ブログを通じて自分自身の価値観や考え方を整理し、それが同時に自分自身を深く理解するセルフコーチングのような役割も果たしている。

 

最近では、ChatGPTのような超高性能AIの登場で、口述した内容が瞬時にまとまり、自分自身の考えを客観的に理解できるというメリットもある。

40歳を目前にして、自分の考えや価値観を整理し、それを記録に残すことが非常に重要であり、また本能的に求めているんだと感じている。

 

このブログを通して、自分自身を振り返りながら、少しずつ更新頻度や書くスタイルを調整していこうと思っている。

ブログについて考える①

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会社を辞めた初日に「何かを変えよう」と決意し、毎日ブログを書き続けて800日以上が経った。最近ふと、「なぜ自分はブログを書き続けているのだろう?」と考えるようになった。

 

毎日続けることで、書かない日があると逆に違和感を感じるほど習慣化されている。だけど、人間に与えられた時間は有限で、どんなにAIを使ったり効率化を図ったりしても、できることには限界がある。果たして今のペースでブログを書き続けることが正しいのか、自問するようになった。

 

一方で、誰にも見せない自分のための日記は大学生の頃から約17年間も続けている。最初はガラケーで自分宛てに送ったメールをテキストで保存することから始まり、今ではDropboxに書き込んだり、AIに語りかけたりしながら記録している。

 

日記には自分がいつ何を感じたか、誰に何をされて嬉しかったか、嫌だったかといったことが全て記されている。過去の自分を振り返ることができる貴重な記録であり、ときに見たくない時期もあるが、それもまた人生の記録として重要な意味を持っている。

 

こうして考えると、ブログを書くことの意味を改めて問い直してしまう。自分自身の人生の記録をライフワークとして大切にしたいと思いつつ、ブログを書く意義やそのバランスについて、これからも考えていきたいと思う。

 

今日はここまで。またゆっくり考えてみたい。