- 前ページ
- 次ページ
平和島でリフレッシュした後、一人でどこに行くかを考えた結果、競艇場に行くことにしました。正直、競艇にはあまり興味がなかったのですが、食べログで軽く調べて、こちらの競艇場内にあるお店に足を運ぶことにしました。
テイクアウトを前提にしたお店で、名物の牛モツ煮をハイボールと一緒に注文しました。たくあんが食べ放題だったのですが、今日はご飯をかっこむ気分ではなく、気軽に楽しめるものを選びました。
しばらくして供されたモツ煮をいただくと、醤油の旨味がしっかりと効いており、モツはとろけるような食感。さまざまな部位が入っているようで、食感のバリエーションが楽しめます。臭みも一切なく、非常に美味しく仕上げられていました。
さらに卓上の唐辛子をかけると、味が複雑に変化し、酒のアテとしても最適な感じに。煮込みの美味しさをそのまま楽しむことができ、気分が上がりました。
ハイボールはおまけのような存在になってしまうほど、モツ煮の美味しさが際立ちました。お酒と一緒に楽しむには最高の一品であり、競艇場の中でもこれが一番のご馳走だと感じました。
競艇場に入場料を払ってでも、この美味しいモツ煮を食べる価値があると思いました。改めて、美味しい料理があれば、どんな場所でも楽しめると実感したひとときでした。
前回のブログで「なぜブログを書き続けているのか?」ということを振り返ってみた。今回は、さらに深掘りして考えてみようと思う。
会社を辞めた日から約1年間は、ほぼプー太郎のような生活を送っていた。
その期間は人生を見つめ直し、これまで絶対に会えなかった人や経験できなかったことに出会える特別な1年だった。
ただ、会社を辞めた時点では、次の仕事や具体的な方向性が明確だったわけではない。
「サラリーマン以外の何か」になりたいという曖昧な答えしか持たないままだった。
そんな中、「何かを変えなければ」と強く思い、ブログを書き始めたのだと思う。自分の考えや好きなこと、日々の感情を正直に書き記すことは、自分にとって生命線のようなものだった。
サラリーマンを辞めて自由に発言できるようになり、自分自身の率直な意見や社会への思い、政治的な考え、弱者への思いやロックへの情熱などを吐き出したいという衝動がブログを書く動機になっていた。
また、13年間のサラリーマン生活を通じて、「継続は力なり」ということの重要性を痛感していた。
新しい何かを始めて継続したいという強い気持ちがあり、それがブログを毎日書くことに繋がっていたんだと思う。
自分はやはり「表現者」だと思う。文章を書かずにはいられない性分であり、ブログを通じて自分自身の価値観や考え方を整理し、それが同時に自分自身を深く理解するセルフコーチングのような役割も果たしている。
最近では、ChatGPTのような超高性能AIの登場で、口述した内容が瞬時にまとまり、自分自身の考えを客観的に理解できるというメリットもある。
40歳を目前にして、自分の考えや価値観を整理し、それを記録に残すことが非常に重要であり、また本能的に求めているんだと感じている。
このブログを通して、自分自身を振り返りながら、少しずつ更新頻度や書くスタイルを調整していこうと思っている。
会社を辞めた初日に「何かを変えよう」と決意し、毎日ブログを書き続けて800日以上が経った。最近ふと、「なぜ自分はブログを書き続けているのだろう?」と考えるようになった。
毎日続けることで、書かない日があると逆に違和感を感じるほど習慣化されている。だけど、人間に与えられた時間は有限で、どんなにAIを使ったり効率化を図ったりしても、できることには限界がある。果たして今のペースでブログを書き続けることが正しいのか、自問するようになった。
一方で、誰にも見せない自分のための日記は大学生の頃から約17年間も続けている。最初はガラケーで自分宛てに送ったメールをテキストで保存することから始まり、今ではDropboxに書き込んだり、AIに語りかけたりしながら記録している。
日記には自分がいつ何を感じたか、誰に何をされて嬉しかったか、嫌だったかといったことが全て記されている。過去の自分を振り返ることができる貴重な記録であり、ときに見たくない時期もあるが、それもまた人生の記録として重要な意味を持っている。
こうして考えると、ブログを書くことの意味を改めて問い直してしまう。自分自身の人生の記録をライフワークとして大切にしたいと思いつつ、ブログを書く意義やそのバランスについて、これからも考えていきたいと思う。
今日はここまで。またゆっくり考えてみたい。