仲間が経営している素晴らしいタイ料理屋さんです。

初めて伺ったときは、「赤坂のタイ料理屋さんなんて、きっと高いんだろうな」と思っていたのですが、なんとランチは1,200円で食べ放題。赤坂という土地柄を考えなくても、今の時代にこの価格設定は驚きです。

私はこれまでに2回伺っていて、1回目は食べ放題のランチ、2回目は交流会でアルコール付きの会に参加させていただきました。どちらも料理は食べ放題で、マッサマンカレーやグリーンカレー、ガパオライスなど、本場タイの方が作る料理が並びます。どれもスパイスや香草の使い方が絶妙で、しっかりと現地の味を感じられます。

特に印象に残ったのはヤムウンセンです。日本ではなかなか出会えない独特の酸味と香りが見事に再現されていて、思わず「これぞ本場の味だな」と感心しました。

料理の数も非常に多く、この価格でここまでのクオリティと種類を維持しているのは本当にすごいと思います。アルコールを飲みながらのパーティー利用にもぴったりで、実際にさまざまな交流会がこちらで開かれているそうです。

赤坂という一等地でありながら、リーズナブルに貸し切りや宴会ができる点も魅力的。マスターやスタッフの方々もとても親切で協力的で、アットホームな雰囲気があります。

まるで赤坂にいることを忘れてしまうような温かさと、本場の味が楽しめる素晴らしいタイ料理屋さんです。

























空路で大阪に行くことはあまりないので、せっかくの機会に何か食べようと思いました。

大阪での滞在はほとんど遊び尽くし、あとは帰るだけというタイミング。すでにほろ酔いというか、かなり酔ってはいたのですが、最後の気力で「ハンバーガーを食べよう」と思い立ち、ゼッテリアさんに立ち寄りました。

東京ではコーヒーを飲みに入ることが多く、意外にもハンバーガーを食べるのは初めて。今回はチーズバーガーをいただきました。結構ボリュームがあり、チーズの塩気とバンズの香ばしさが良く、全体のまとまりはしっかりしています。ただ、パティにジューシーさが少し足りない印象もあり、価格帯などを考えると、個人的にはモスバーガーやマクドナルドの方が好みかもしれません。

とはいえ、僕の旅の流れの中で、このタイミングでしか関西国際空港で食事をする機会はなかったと思うと、「ここで食べログを書いた」という思い出が残ること自体が嬉しく感じます。

店内は広々としていて、飛行機までの待ち時間にもゆっくり過ごせる空間です。コーヒーを飲みながら仕事をしたり、リラックスして一息ついたりするのにもぴったり。出張や旅行の締めくくりに利用しやすいお店だと思います。

東京でもよくお世話になっているチェーンなので、今後も変わらず利用していきたいです。
関西国際空港を利用する方にとって、時間調整や軽食にちょうど良いお店だと思います。

ごちそうさまでした。











関西空港に着いて、「よし大阪だ」と気合いを入れた瞬間から、まず思ったのがこれです。関空、意外と梅田まで遠いです。バスでまあまあ揺られて、途中ちょいちょいトイレに寄ったりしながら、ホテルのチェックインまでまだ時間もあるし、二日酔いの気配も薄くはないしで、「とりあえず一杯やって整えたいです」となりました。

そこで引っかかったのが「餃子とセアブラおでん 梅田のしんちゃん」さんです。背脂おでんって何なんだろうと思いながら、こういうのは気になったら負けなので入ってみました。レモンサワーとハイボールで、まずは“背脂おでんだけ”頼もうという軽い気持ちだったのですが、出てきた瞬間に笑ってしまいました。二郎系みたいなもやしの山、背脂、にんにく、そして赤い辛味の気配。え、これおでんですか?と脳が一回バグります。でも箸を入れると、ちゃんと中に“おでん”がいます。

まずホルモンみたいなやつがめちゃくちゃ美味しいです。脂が重いんじゃなくて、お酒を呼ぶ方向にちゃんと尖っている旨さです。背脂の甘みとにんにくのパンチで、レモンサワーが一気に仕事を始めます。さらに崩しながら掘っていくと、大根が出てきます。これがまた、背脂の海に沈んでいるのに大根としての芯が残っていて、味がしみていてズルいです。豆腐っぽいのも出てきて、完全に「ちゃんとおでんです」と納得させられます。見た目は反則、でも中身は真面目。こういうギャップに弱いです。

付け合わせのキャベツも良かったです。ここに“粉ドレッシング”みたいな、にんにくと塩が混じった系をかけると、それだけで立派なおつまみになります。大阪って、こういう「脇役に手を抜かない」瞬間が普通にあるので、地味に心を掴まれます。ハイボールも雑に強いだけじゃなく、ちゃんと背脂を流して次の一口を呼んでくれます。二日酔いの誤魔化しに来たはずが、普通にテンションが上がってしまいました。

結果、「大阪の一杯目はここで正解でした」と思えるお店でした。背脂の暴力に見せかけて、ちゃんと“おでん”として成立しているのが偉いです。しかも地下の横丁っぽい空気の中で、サクッと入って、サクッと満足度を持って帰れます。この街はやっぱり酒場の層が厚いです。大阪のスタートダッシュにちょうどいい一軒でした。


















この日は大阪出張でした。

動物園前の安宿に滞在していたところ、以前から親しくしている社長が高級ベンツで迎えに来てくださり、「本当に美味しい鴨料理の店があるから行こう」と誘ってくださいました。

向かったのは心斎橋にある名店「宗平」さん。暖簾の佇まいからしてすでに只者ではなく、入店前から期待が高まります。

席に着くと、最初に登場したのは鴨のお刺身。
鴨を刺身で食べられるという発想自体が新鮮でしたが、一口食べた瞬間、その常識が覆りました。
レバーは舌の上でとろけるように濃厚で、まるでフォアグラのような深いコク。
砂肝はコリコリと歯ごたえが心地よく、噛むほどに旨味がじんわりと広がります。
そしてロースはプリッとした弾力がありながらも驚くほど柔らかく、肉の香りがふわりと鼻を抜けていきました。
それぞれの部位に明確な個性がありながら、どれも雑味がなく清らかな味わい。
この洗練された一皿に、鴨を扱う職人の技と丁寧な下ごしらえを感じました。

続いての鴨鍋は、まさに圧巻の一言です。
新鮮な鴨肉をしゃぶしゃぶのように、透き通った出汁にくぐらせていただくのですが、その出汁がまた絶妙。
鴨の旨味がしっかりと凝縮されていながら、決して重たくならず、口の中に優しく広がっていきます。
お肉はしっとりと柔らかく、噛むたびに鴨特有の香ばしさと甘みが感じられ、野菜やお揚げとの相性も抜群です。
さらに、特大のなめこのようなキノコが入り、それぞれの食材が出汁を吸い込んで味の層を作り上げていく。
まるで一つの鍋が芸術作品のように完成していく様は、見ているだけでも楽しく、食べるごとに感動がありました。

そして締めには、長野県産の蕎麦を投入。
鴨と野菜の旨味が溶け込んだ出汁をたっぷり吸った蕎麦は、香り、コシ、味わい、全てが完璧でした。
これはもはや蕎麦屋で食べる「鴨南蛮」や「鴨せいろ」とは別次元。
“真の鴨出汁そば”と言いたくなるような奥深い美味しさです。

一口ごとに身体に沁みるような滋味深さがあり、食後も出汁の余韻が静かに残る。
高級感がありながらも、どこか家庭的な温かみを感じさせてくれるのも魅力的です。

大阪・心斎橋という土地で、ここまで丁寧に鴨を扱うお店に出会えるとは思いませんでした。
「宗平」さんは、素材、技、雰囲気のすべてが美しく調和した“大人のための鴨料理屋”です。
鴨の真髄を知りたい方、そして日本料理の奥深さを味わいたい方に、心からおすすめしたい名店です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボン・ジョヴィの「生き方」に殴られた

Forbes JAPAN で、ジョン・ボン・ジョヴィの記事を読んだ。
リンクはこれ。
👉 ロックスターから皿洗いへ ジョン・ボン・ジョヴィ夫妻の「無料食堂」
https://forbesjapan.com/articles/detail/60423?read_more=1

正直、読みながら「いや、この男はかっこよすぎるだろ」と声が出た。


世界的ロックスターがやっていること

記事の中で紹介されているのは、
ジョン・ボン・ジョヴィと奥さんがつくった「ソウルキッチン」というコミュニティレストランの話だ。

・お金が払える人は、普通よりちょっと多めに払う
・払えない人は、お金の代わりにお店を手伝う(ボランティアとして働く)

そんな仕組みで、ホームレスや生活に困っている人たちに食事を提供している。
「無料食堂」という言い方もできるけど、施しではなく“共に生きる場”としてデザインされているのがポイントだ。

しかもコロナ禍でボランティアが入れない時期には、
ジョン本人が皿洗いまでやっていたというエピソードが紹介されていて、完全にノックアウトされた。

世界的なロックスターが、だ。
ステージの上で何万人を熱狂させる男が、キッチンで黙々と皿を洗っている。
ロックの神様の一人がやっていることが、人としてシンプルすぎて、逆に眩しい。


ロックは「音」じゃなくて「生き方」だという現実

ボン・ジョヴィの曲は、昔からライブでもよく演奏してきた。
「It’s My Life」も、「Livin’ on a Prayer」も、何度も弾いてきたし、歌ってきた。

でも、こういう記事を読むと痛感する。

ロックって、
かっこいいリフでも、ハイトーンでも、派手なステージでもなくて、
結局「どう生きるか」なんだよな、と。

自分が今まで「ロック」だと思ってきたものが、
どれだけ“表面”だったのか、ちょっと恥ずかしくなるくらいだ。


「ギブ」と「居場所」を作る人

ソウルキッチンの仕組みって、ビジネスの言葉に翻訳するとめちゃくちゃ洗練されている。

・払える人には、ちゃんと価値を感じてもらって払ってもらう
・払えない人にも、役割と居場所を用意する
・「お客さん」ではなく「仲間」に変えていく

ロックミュージシャンがやっていることなんだけど、
本質的には「ギブ」と「コミュニティの設計」なんだよね。

これを見ていて思ったのは、
「俺は音楽で、そしてAIで、どんな“居場所”を作れるんだろう?」という問いだった。


日本で、自分がやるべきロック

ボン・ジョヴィはアメリカでソウルキッチンをやっている。
じゃあ俺は、日本で何をやる?

・お金がないクリエイターにも、チャンスと学びの場を作れるか
・地方の事業者や小さな会社に、音楽とAIで追い風を送れるか
・“ただのサービス提供者”じゃなくて、“一緒に戦う仲間”になれるか

音楽って、本来は「あなたは一人じゃない」というメッセージを鳴らし続ける手段だと思っている。
ボン・ジョヴィはそれを曲とステージだけじゃなく、
ソウルキッチンという“場”でもやっている。

じゃあ俺も、自分なりのやり方で
「音の力で世界を変える」を、もう一段ギア上げてやっていかないとな、と。


まとめ:音を鳴らしたあと、何が残るか

ギターをかき鳴らして、ステージで汗をかいて、
お客さんが盛り上がってくれて、
「今日もいいライブだったね」と言って打ち上げに行く。

それもロックだし、最高に楽しい。

でも、ボン・ジョヴィの記事を読んで、
もう一つ上の問いを突きつけられた気がする。

音を鳴らしたあと、何がこの世界に残るのか?

曲なのか、
思い出なのか、
それとも「生きやすくなった誰かの人生」なのか。

ロックの神様の一人が、
皿洗いをしながら静かに答えを出している気がして、
しばらく画面の前で固まってしまった。
飛田新地の目の前にある、なんともディープな食堂に立ち寄りました。
看板には大きく「めし」「豚汁」とあり、どこかあの有名なドラマを彷彿とさせる雰囲気。
その無骨な佇まいに直感をくすぐられ、吸い込まれるように入ってしまいました。

本当は一杯やりたいような空気感でしたが、この日は休肝日と決めていたため、
控えめに「かすうどん」と「豚汁」を注文しました。

店内では、隣のお客さんがご飯を食べ終わったあとも、ずっと水を飲み続けていたり、
チーマーともなんとも言えないような人たちが、
昼間から焼酎をやりながら笑っていたりと、なかなか他では味わえない“どローカル”な世界が広がっていました。
その風景を眺めているだけで、ちょっとした旅に出たような気持ちになります。

かすうどんの味は、正直に言えば普通です。
しかしこの「普通」というのが、妙に沁みる。
西成や飛田の空気感の中で啜るうどんは、味そのものよりも“時間”が美味しい。
こういう経験こそが男の嗜みであり、旅の引き出しを一つ増やしてくれる気がします。

豚汁もまた、どこにでもあるようで、どこにもない味でした。
おばあちゃんが台所で作ってくれたような、
ちょっと甘くて、やさしくて、懐かしい香りがする。
具材がごろっとしていて、湯気の向こうに“昭和”が見えるようでした。

食堂として特別な味ではないかもしれませんが、
文化を感じるという意味では、これ以上ない体験です。
きっと、ここでアルコールを交えたときには、また違う顔を見せてくれるのでしょう。
次は必ず、一杯やりに来ようと思います。











なかもずという地名が妙に気になって、ふらっと降り立ってみました。ところが意外にも「これぞローカルフード」みたいな分かりやすい名物の気配は薄く、代わりにラーメン屋さんが点々と並んでいて、街の胃袋を支えているのは麺なのだな…と勝手に納得しつつ、伺ったのがこちらです。
 
券売機の前で目に飛び込んできたのが、二郎系なのに醤油だけじゃなくポン酢が選べるという一文でした。そんなの、やってみないと分からないじゃないですか。ということで、迷わずポン酢を選択しました。
 
中に入ると接客がとても感じ良くて、さすが堺だなと思わされます。コールを聞かれる瞬間も、ジロリアンとしては逆に新鮮でした。ヤサイスクナメニンニクアブラマシでお願いすると、着丼した丼はしっかり迫力があり、視覚的には完全に“あの世界”です。
 
さて、肝心のポン酢。ひと口目で感じたのは、まろっとしてしまうということでした。角が取れて食べやすい、確かに優しい。しかし二郎系として欲しい「カエシの芯」が、どうしても薄まってしまいます。やはり醤油というのは、このジャンルにおける骨格なのだと、改めて思わされました。
 
とはいえ、これはこれで関西で需要がある味だとも感じました。二郎系のパワーを真正面から受け止めきれない人に刺さる、“入口としての二郎”みたいな立ち位置です。実際、ニンニクもアブラも質が良く、嫌な重さが出ませんでした。ごわっとした太麺も美味しく、ラーメンそのものの技術はきちんと感じます。だからこそ、もし醤油で頼んでいたら、たぶん自分の中の食べログポイントはもっと上がっていたと思います。
 
次はなかなか来られない距離ですが、醤油も試してみたい気持ちは強く残りました。とはいえ今回でひとつ分かったことがあります。私の“東京人の舌”には、ラーメンにポン酢は合いませんでした。こういうのは、やってみないと分からないので収穫です。
 
そしてなんだかんだ、普通に美味しかったです。ご馳走様でした。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の最も影響を受けたギタリストの1人はイングヴェイである。

そんなイングヴェイが最近苦言を呈している。




最近イングヴェイ人気の高い日本などでイングヴェイの元ボーカル達がイングヴェイのアルバムをそのまま再現するというツアーをやっている。

イングヴェイはその事に憤慨しているというわけだ。


ちなみに私の友達に堀さんというドラマーがいるのだが、マークボールズが来日した際にはバックを担当している。

私も生きる世界が変わったものだ。


私はビジネスとしてマークボールズ達が権利を守り、イングヴェイ側の権利や尊厳、利益が守られるのであればやってもいいと思っているが、


実はイングヴェイの真似をしても誰もイングヴェイにはならない、なりようもないというところだけ、皆さんに伝えたいと思う。


イングヴェイよりも速く、そして正確にイングヴェイを演奏できる人は日本も含めて五万といるし、

私も完璧ではないにせよ、イングヴェイの曲をいくつかコピーする事に成功している。


しかしイングヴェイの本当の凄みというのは速さでもクラシック風のフレーズをメタルに持ち込んだことでもないというのが私の持論だ。


イングヴェイは感情や熱、そういったものをギターを通して、伝える事ができる唯一無二のギタリストだ。

イングヴェイの音色はイングヴェイモデルのギターを買っても出ない。


私が実際にfenderjapanのイングヴェイモデルを購入しているが、自分の音しか出ない。(最高のギターではあるが)


なぜ僕がロックを聴くようになってギターを弾いているのか

それは初期衝動や胸の奥底の強烈な感情を煽られる

ホンモノのロックはそういうエネルギーがある。


イングヴェイのギターは美しさとその熱を、僕らの心のエネルギーをぶち上げるパワーがある

イングヴェイという漢のエネルギーをぶつけられてるそういう音に俺は惹かれてる




イングヴェイのギターには僕や他のロックファン達が人生を変えられたような衝動性がある

それはただイカれてるというようなものではなく、技術と信念に裏付けられたイングヴェイの自信


誰も到達できない次元にいる彼に今日も衝撃を受け、どうしたらあんなギターを弾いてお客さんをノックアウトできるのか私自身が探求している


今年は駆け込みで三峯神社に参拝してきた。

私の家の神棚には三峯神社の御眷属様がいらっしゃって、常に私や家族を守ってくださっている。


しかし今年は私が交流会と飲み会、営業を命懸けでやっていたため、参拝に行く機会がなく、

お祓いと御眷属様の交換ができずにいたので、平日に休みをとって行ってきた。


冬どきに行くのは何年ぶりだろう、7年8年ぶりかもしれない。

あそこには行った人にしかわからない荘厳さ、何なら神様というのは実在しているという感覚が理屈抜きでわかるような雰囲気がある。

ドラクエ11をやったことがある人なら聖地ラムダのような雰囲気だといったらわかるかもしれない。


私は人生の絶望を跳ね除けるために幾つかの事を試すのが三峯神社に訪れるきっかけだったのだが、

初めて三峯神社に訪れた際に、その強烈な感覚を感じ、それ以来日本の八百万の神様を大切にして今日まで生きてきたわけである。


三峯神社の参道を歩き、ご祈祷を受けている間に考えていた。

私は2015年くらいからビジネスや人生を好転させるために考えつくことをいくつか実践してきた。

その中で習慣的な神社参拝で神様に感謝の気持ちを申し上げ、自分の決意やお願いをしてきた。

そのことに対して神様は一体何をお返しくださったんだろうと考えた。


最近私はとある人のアドバイスを受けている時に、自分の場合は自力ではなく他力で生きなくてはならないことをなんとなく気づいた。


サラリーマンなどを10年以上経験していると自然に自分でやる、責任を持つ、弱みを見せない。その上で金銭や所有物で自分を飾り、さぞ人よりも勝っているかのように見せなければ生きてけないように思い込んでしまうものだ。


私もその通りで、独立した今でも自分の弱みは見せずに家族や仲間や知り合いがいてもこの心の底は常に孤独の戦いを行ってきた。


けれども人生の浮き沈みを考えて、自分がうまく行っているなという時は必ず他力が大きく作用していたことが振り返りでわかり、

その後の考えの中で実は飾り物を捨てて、他者の胸に飛び込める、自分の欺瞞や弱さを打ち明けられることこそ勇気なんだ。

自分のつまらないプライドを捨てて他人に頼れる、それが勇気なんだなって気づいたのだ。


松下幸之助や偉大な経営者の多くが共通していう事がある。

それは運というのは他人が運んでくるという事だ。


話が大きく逸れたが私の中でおそらく神様は他人を通し、私に運を運んできたのだと、それは金銭を通してだったり、人脈を通してだったり、美味しいものを通して私に数多くを与えてくれたのだ。

今年を振り返るだけでも、信じられないような出来事が多く起こり、それは全て他人によってもたらされたこともわかり、この他力や運というものについての自分なりの結論がわかってきた。


ちなみに三峯神社から帰る西武の特急の中で多額の入金があった、偶然が運んできた出会いに出会いが重なり出会ったお金持ちのお客様からだ。


結果が変わったというところで私が何か変わったということはなく、ギターが倍速で弾けるようになったわけでも、オフィススキルの粒度が極めて上がったわけではない、強いて言えばAIが人より少し使えて、数年前から比べると人としての認知が変わったくらいだろうか


なので、表面ではなく心底納得してわかるということは大事だと思う。


来年の目標は勇気ある他力本願なのだが、

今年もまだ続くので引き続き感謝と行動を実践していこうと思う。






















年に一度の三峯神社参拝を終えると、胸の奥の埃が落ちたような気分になります。こういう節目の帰り道は、身体が勝手に“ご褒美”を欲しがるものです。秩父まで来たのなら、秩父ホルモンを攻めない理由がありません。昼からやっているこちらへ、西武秩父から歩いて向かいました。旅の終わりに、歩幅が少し軽くなるのはだいたいこういう時です。 

やはりホルモン焼肉をやるからには、アルコールもやらないといけません。まずはハイボールを作っていただき、喉を炭酸で洗ってスイッチを入れます。飲みながら待っていると、店員さんが説明とともにお肉を運んできてくれました。こちらは特殊な網(装置)を使っているそうで、煙が出にくいとのこと。焼肉で匂いがつくのが大嫌いな私には、これだけで好印象が一段上がります。

ホルモンは四種盛りで、ミノ、かしら、タン、生ホルモン。そこに豚バラとロースも追加して、今日の秩父を“豚で完結”させる布陣にしました。

まずはホルモンから焼いていきます。ミノはぷりぷりで、噛むたびに旨みが立ち上がります。盛りの豪快さと、この新鮮さ、そして安さ。こんなに美味いなら、秩父の人たちがみんなホルモンを食べるのも当然だと思ってしまいます。かしらはジューシーさが際立っていて、脂の押しつけではなく肉の力で美味い。生ホルモンはカリカリ寄りまで焼いて、卓上タレとたっぷり胡椒で。ここは思わず唸ってしまう美味しさで、ハイボールの氷が溶ける速度が追いつきません。タンは“こりぷり”という表現が一番しっくりきて、食感の良さにレモンタレと塩が生きます。

豚バラは、私が世界一好きなお肉です。脂が強すぎず、優しさと甘さを兼ね備えた味わいで、ただ焼いて頬張るだけで幸福度が上がります。ロースもまた、豚の美味しさがこれ以上なく出た素晴らしい逸品で、赤身の旨みが静かに伸びてくる感じがたまりません。

結論として、ここは私が食べた中でNo.1の豚焼肉のお店だと言っていいと思います。願うならば秩父に泊まって、時間も気にせず、とことんこちらでやりたいです。お値段も2人でだいたい4,000円くらいと破格で、参拝帰りの締めとしても完璧でした。ごちそうさまでした。