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関西空港に着いて、「よし大阪だ」と気合いを入れた瞬間から、まず思ったのがこれです。関空、意外と梅田まで遠いです。バスでまあまあ揺られて、途中ちょいちょいトイレに寄ったりしながら、ホテルのチェックインまでまだ時間もあるし、二日酔いの気配も薄くはないしで、「とりあえず一杯やって整えたいです」となりました。
そこで引っかかったのが「餃子とセアブラおでん 梅田のしんちゃん」さんです。背脂おでんって何なんだろうと思いながら、こういうのは気になったら負けなので入ってみました。レモンサワーとハイボールで、まずは“背脂おでんだけ”頼もうという軽い気持ちだったのですが、出てきた瞬間に笑ってしまいました。二郎系みたいなもやしの山、背脂、にんにく、そして赤い辛味の気配。え、これおでんですか?と脳が一回バグります。でも箸を入れると、ちゃんと中に“おでん”がいます。
まずホルモンみたいなやつがめちゃくちゃ美味しいです。脂が重いんじゃなくて、お酒を呼ぶ方向にちゃんと尖っている旨さです。背脂の甘みとにんにくのパンチで、レモンサワーが一気に仕事を始めます。さらに崩しながら掘っていくと、大根が出てきます。これがまた、背脂の海に沈んでいるのに大根としての芯が残っていて、味がしみていてズルいです。豆腐っぽいのも出てきて、完全に「ちゃんとおでんです」と納得させられます。見た目は反則、でも中身は真面目。こういうギャップに弱いです。
付け合わせのキャベツも良かったです。ここに“粉ドレッシング”みたいな、にんにくと塩が混じった系をかけると、それだけで立派なおつまみになります。大阪って、こういう「脇役に手を抜かない」瞬間が普通にあるので、地味に心を掴まれます。ハイボールも雑に強いだけじゃなく、ちゃんと背脂を流して次の一口を呼んでくれます。二日酔いの誤魔化しに来たはずが、普通にテンションが上がってしまいました。
結果、「大阪の一杯目はここで正解でした」と思えるお店でした。背脂の暴力に見せかけて、ちゃんと“おでん”として成立しているのが偉いです。しかも地下の横丁っぽい空気の中で、サクッと入って、サクッと満足度を持って帰れます。この街はやっぱり酒場の層が厚いです。大阪のスタートダッシュにちょうどいい一軒でした。
この日は大阪出張でした。
動物園前の安宿に滞在していたところ、以前から親しくしている社長が高級ベンツで迎えに来てくださり、「本当に美味しい鴨料理の店があるから行こう」と誘ってくださいました。
向かったのは心斎橋にある名店「宗平」さん。暖簾の佇まいからしてすでに只者ではなく、入店前から期待が高まります。
席に着くと、最初に登場したのは鴨のお刺身。
鴨を刺身で食べられるという発想自体が新鮮でしたが、一口食べた瞬間、その常識が覆りました。
レバーは舌の上でとろけるように濃厚で、まるでフォアグラのような深いコク。
砂肝はコリコリと歯ごたえが心地よく、噛むほどに旨味がじんわりと広がります。
そしてロースはプリッとした弾力がありながらも驚くほど柔らかく、肉の香りがふわりと鼻を抜けていきました。
それぞれの部位に明確な個性がありながら、どれも雑味がなく清らかな味わい。
この洗練された一皿に、鴨を扱う職人の技と丁寧な下ごしらえを感じました。
続いての鴨鍋は、まさに圧巻の一言です。
新鮮な鴨肉をしゃぶしゃぶのように、透き通った出汁にくぐらせていただくのですが、その出汁がまた絶妙。
鴨の旨味がしっかりと凝縮されていながら、決して重たくならず、口の中に優しく広がっていきます。
お肉はしっとりと柔らかく、噛むたびに鴨特有の香ばしさと甘みが感じられ、野菜やお揚げとの相性も抜群です。
さらに、特大のなめこのようなキノコが入り、それぞれの食材が出汁を吸い込んで味の層を作り上げていく。
まるで一つの鍋が芸術作品のように完成していく様は、見ているだけでも楽しく、食べるごとに感動がありました。
そして締めには、長野県産の蕎麦を投入。
鴨と野菜の旨味が溶け込んだ出汁をたっぷり吸った蕎麦は、香り、コシ、味わい、全てが完璧でした。
これはもはや蕎麦屋で食べる「鴨南蛮」や「鴨せいろ」とは別次元。
“真の鴨出汁そば”と言いたくなるような奥深い美味しさです。
一口ごとに身体に沁みるような滋味深さがあり、食後も出汁の余韻が静かに残る。
高級感がありながらも、どこか家庭的な温かみを感じさせてくれるのも魅力的です。
大阪・心斎橋という土地で、ここまで丁寧に鴨を扱うお店に出会えるとは思いませんでした。
「宗平」さんは、素材、技、雰囲気のすべてが美しく調和した“大人のための鴨料理屋”です。
鴨の真髄を知りたい方、そして日本料理の奥深さを味わいたい方に、心からおすすめしたい名店です。
私の最も影響を受けたギタリストの1人はイングヴェイである。
そんなイングヴェイが最近苦言を呈している。
最近イングヴェイ人気の高い日本などでイングヴェイの元ボーカル達がイングヴェイのアルバムをそのまま再現するというツアーをやっている。
イングヴェイはその事に憤慨しているというわけだ。
ちなみに私の友達に堀さんというドラマーがいるのだが、マークボールズが来日した際にはバックを担当している。
私も生きる世界が変わったものだ。
私はビジネスとしてマークボールズ達が権利を守り、イングヴェイ側の権利や尊厳、利益が守られるのであればやってもいいと思っているが、
実はイングヴェイの真似をしても誰もイングヴェイにはならない、なりようもないというところだけ、皆さんに伝えたいと思う。
イングヴェイよりも速く、そして正確にイングヴェイを演奏できる人は日本も含めて五万といるし、
私も完璧ではないにせよ、イングヴェイの曲をいくつかコピーする事に成功している。
しかしイングヴェイの本当の凄みというのは速さでもクラシック風のフレーズをメタルに持ち込んだことでもないというのが私の持論だ。
イングヴェイは感情や熱、そういったものをギターを通して、伝える事ができる唯一無二のギタリストだ。
イングヴェイの音色はイングヴェイモデルのギターを買っても出ない。
私が実際にfenderjapanのイングヴェイモデルを購入しているが、自分の音しか出ない。(最高のギターではあるが)
なぜ僕がロックを聴くようになってギターを弾いているのか
それは初期衝動や胸の奥底の強烈な感情を煽られる
ホンモノのロックはそういうエネルギーがある。
イングヴェイのギターは美しさとその熱を、僕らの心のエネルギーをぶち上げるパワーがある
イングヴェイという漢のエネルギーをぶつけられてるそういう音に俺は惹かれてる
イングヴェイのギターには僕や他のロックファン達が人生を変えられたような衝動性がある
それはただイカれてるというようなものではなく、技術と信念に裏付けられたイングヴェイの自信
誰も到達できない次元にいる彼に今日も衝撃を受け、どうしたらあんなギターを弾いてお客さんをノックアウトできるのか私自身が探求している
今年は駆け込みで三峯神社に参拝してきた。
私の家の神棚には三峯神社の御眷属様がいらっしゃって、常に私や家族を守ってくださっている。
しかし今年は私が交流会と飲み会、営業を命懸けでやっていたため、参拝に行く機会がなく、
お祓いと御眷属様の交換ができずにいたので、平日に休みをとって行ってきた。
冬どきに行くのは何年ぶりだろう、7年8年ぶりかもしれない。
あそこには行った人にしかわからない荘厳さ、何なら神様というのは実在しているという感覚が理屈抜きでわかるような雰囲気がある。
ドラクエ11をやったことがある人なら聖地ラムダのような雰囲気だといったらわかるかもしれない。
私は人生の絶望を跳ね除けるために幾つかの事を試すのが三峯神社に訪れるきっかけだったのだが、
初めて三峯神社に訪れた際に、その強烈な感覚を感じ、それ以来日本の八百万の神様を大切にして今日まで生きてきたわけである。
三峯神社の参道を歩き、ご祈祷を受けている間に考えていた。
私は2015年くらいからビジネスや人生を好転させるために考えつくことをいくつか実践してきた。
その中で習慣的な神社参拝で神様に感謝の気持ちを申し上げ、自分の決意やお願いをしてきた。
そのことに対して神様は一体何をお返しくださったんだろうと考えた。
最近私はとある人のアドバイスを受けている時に、自分の場合は自力ではなく他力で生きなくてはならないことをなんとなく気づいた。
サラリーマンなどを10年以上経験していると自然に自分でやる、責任を持つ、弱みを見せない。その上で金銭や所有物で自分を飾り、さぞ人よりも勝っているかのように見せなければ生きてけないように思い込んでしまうものだ。
私もその通りで、独立した今でも自分の弱みは見せずに家族や仲間や知り合いがいてもこの心の底は常に孤独の戦いを行ってきた。
けれども人生の浮き沈みを考えて、自分がうまく行っているなという時は必ず他力が大きく作用していたことが振り返りでわかり、
その後の考えの中で実は飾り物を捨てて、他者の胸に飛び込める、自分の欺瞞や弱さを打ち明けられることこそ勇気なんだ。
自分のつまらないプライドを捨てて他人に頼れる、それが勇気なんだなって気づいたのだ。
松下幸之助や偉大な経営者の多くが共通していう事がある。
それは運というのは他人が運んでくるという事だ。
話が大きく逸れたが私の中でおそらく神様は他人を通し、私に運を運んできたのだと、それは金銭を通してだったり、人脈を通してだったり、美味しいものを通して私に数多くを与えてくれたのだ。
今年を振り返るだけでも、信じられないような出来事が多く起こり、それは全て他人によってもたらされたこともわかり、この他力や運というものについての自分なりの結論がわかってきた。
ちなみに三峯神社から帰る西武の特急の中で多額の入金があった、偶然が運んできた出会いに出会いが重なり出会ったお金持ちのお客様からだ。
結果が変わったというところで私が何か変わったということはなく、ギターが倍速で弾けるようになったわけでも、オフィススキルの粒度が極めて上がったわけではない、強いて言えばAIが人より少し使えて、数年前から比べると人としての認知が変わったくらいだろうか
なので、表面ではなく心底納得してわかるということは大事だと思う。
来年の目標は勇気ある他力本願なのだが、
今年もまだ続くので引き続き感謝と行動を実践していこうと思う。














































































