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胙豆

傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

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日記を更新する。

 

今回は小さなトピックを用意して色々書いていくいつものやつをやって行く。

 

どうでも良いことなのだけれども、僕は結構前に『春秋穀梁伝』の日本語訳を中古で買った。

 

古代中国の歴史書に『春秋』という本があって、この本はけれども、内容的に非常に素っ気なくて、その年に何があったかを箇条書きで書き記した程度の内容で、中身があんまりないからそれを補うようにこの本には注釈書がいくらかあって、その中で『春秋左氏伝』というのが日本では一番有名で、一番翻訳が出版されている。

 

僕が持っているだけで4種類あって、それ以外にも数種類翻訳がある程には日本人に読まれている。

 

まぁ…誰が買ってんのかとか良く分かんないし、『春秋左氏伝』、4種類持ってても一つも読み終わってないけれども。

 

元々、僕は岩波文庫版を持っていて、けれども、なんとなく筑摩世界文学大系の方で読もうと思って…というか、神保町で800円で売っていたからそれを買って、買って読み始めた結果として、原文や書き下し文がないと、気になる箇所に関してはパソコンを立ち上げて中国語のサイトを確認しなければならないという事態が生じるということが分かったので、そういうのが載っている新釈漢文大系のシリーズのそれを少しずつ読んでいる。

 

 

加えて、中国古典文学全集から出ている『春秋左氏伝』も持っているのだけれども、これは神保町で500円で売っていたからなんとなしに買っただけだし、このシリーズで以前読んだ『書経』が、正直あんまり良くなかったことに加え、この本には原文も書き下し文もないという事情がある。

 

本格的に読もうと思う前に安く売っていたから手元に2種類の左伝があって、読もうと思って改めて買った時に手元にある本だと不備があると分かって新たにもう一種類買ったという経緯で4種類の『春秋左氏伝』が僕の手元にある。

 

ともかく、そういう『春秋』の注釈書に関しては左氏伝は翻訳が沢山ある一方で、他の『春秋公羊伝』や『春秋穀梁伝』などに関しては、翻訳が全然存在していない。

 

そんな中で『春秋穀梁伝』の翻訳が6600円で売っているのを日本の古本屋というサイトで見つけたということがあった。

 

正直、高けぇよとしか思わないけれども、元の値段が色々とあれだったので、僕はこの6600円の『春秋穀梁伝』に関しては、買っても後悔するし、買わなくても後悔するという未来が目に見えていたために、この正直高い本を買うということを選んでいる。

 

そして、その本が届いて内容を確認したところ、途中までしか翻訳は存在していなくて、閔公のところで文章は終わっていた。

 

殺すぞ。

 

閔公とか、『春秋』に記載された魯の君主12人中の4人目だぞ値段考えろ。

 

買う前に調べたけれど、僕が調べた範囲では何処までの翻訳なのかとか一切そういう情報はなくて、値段的に流石に完訳だろうと思ったというか、前情報として、左氏伝以外の春秋伝は、分量が少ないと聞いていたから、普通に全部収録されているだろうとこっちが勝手に思い込んだだけではあるのだけれど。

 

だって定価13000円だよ?

 

部分訳と思わないじゃんそんなの。

 

 

けれどもまぁ、買ってしまったものはもうどうしようもないのであって、とはいえ、部分訳と知った時点で僕のこの本に対する気持ちは完全にめげてしまっていて、特に開かれることもなく、本棚に鎮座することになった。

 

その事はそのことで良いのだけれど、この本買ったくらいの頃から、この本の出版社から何故かパンフレットが送られてくるんだよな。

 

僕は中古でしかこの汲古書院の本は買ったことがないから、汲古書院が僕の住所を知っているわけもないのに当然の権利のように月一でパンフレットが送られてきていて、その事に関しては普通に、先の本を買った古本屋が情報を流したとしか思えない。

 

いやまぁ、こんな本を中古で買う時点で普通に汲古書院の顧客であるのだろうけれども、普通に個人情報は流出させるなよと思う。

 

それに…汲古書院の本、定価が数千円ならまだしも、当然の権利のように1万円越えるような本ばっかりなんだよなぁ…。

 

汲古書院は漢籍に関するの専門書を取り扱っている出版社で、けれども、僕は中国がその歴史の数千年の間に貯えた膨大なテキストの中で、特に古い時代にしか御用事がないから、汲古書院の本のその殆どが僕の関心の対象外で、こんなパンフレット貰っても要らないとしか思えないし、されども、パンフが送られてくるのを拒否する方法もイマイチ分からなくて、実際の所、実害もないという事情から、色々放置して今がある。

 

冷静に考えて、専門家以外買わないような一冊1万円越えの本なんて買うわけがないんだよなぁ…。

 

届いた『春秋穀梁伝』の翻訳は部分訳だし、個人情報も漏洩されるし、もう本当に良いことがない。

 

もっとも、汲古書院の本は新品で買ったことがない以上、古本屋が情報を漏洩させたとしか考えられないけれども、それはあくまで推論で、実際の所、僕の所にどうして毎月パンフが来るのか、その理由は定かではないけれども。

 

ちなみに、後に調べたら『春秋公羊伝』と『春秋穀梁伝』の全訳が存在しているということが分かって、Amazonだと前者は現在取り扱いがなくて、けれどもかつて売っていた時は3万5千円で、後者は今も売ってて1万8千円だそうです。

 

 

無茶言うなよ。

 

買えねぇことはねぇけど買わねぇよ。

 

…。

 

書きたいことも書き終わったので、始めていくことにする。

 

・うんちってのはね、結構効率的に吸収されているから殆ど栄養がないんだ

 

牛を飼っている地域で燃料資源が乏しいようなところだと、牛糞を燃料として使っている場合があって、話ではあれは完全に乾燥させれば臭くないそうだけれど、実際の所臭いんだよなあれ。

 

ただ単に、普段から牛と一緒に暮らしているから牛の匂いと牛糞の匂いに慣れて分からなくなっただけで、匂いは普通にあって、それが分からないだけだと思う。

 

以上。

 

まぁ書いた通り、燃料資源があまりないような地域だと、牛の糞を乾燥させて燃料として用いるということは実際ある。

 

なんつーか、ジョジョでもその描写あったよね。

 

(荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』17巻 p.175)

 

こういう文化はあんまり薪が取れない地域では結構見られて、そうではなくても牛糞を何かに用いるということはそれなりにあるようで、アフリカのある地域では牛糞を建材に用いることもあるらしい。

 

僕は以前、『アフリカを食べる』という本を読んでいた。

 

この本がどういう本かと言うと、朝日新聞関係でアフリカの報道に携わった人物が、仕事の中でアフリカ各地をめぐっていて、それに際して食べたものに関するコラム集のような本になる。

 

実際、普通にアフリカで何を食べているのかとかは知りたかったのでこの本を読んだけれど、このサイトで言及できる内容はそれほどに多くなくて、まぁどこもタマネギとトマトと肉を煮込んだ料理食ってるんだなと思ったことは覚えている。

 

当然、それ以外の料理についても色々言及があるとはいえ、基本的にアフリカではそのスープが食べられているらしい。

 

…もっとも、そんなことよりもこの本を書いた著者の異常性の方が気になっていて、生魚に対する執着が常軌を逸していて、海岸に近い都市で海産物を刺身で食べるという話はまだ分かるにしても、どうしても生で色々食べたいらしくて、タンガニーカ湖で獲れた淡水魚を刺身で食べたという話がされている。

 

「 小屋に釣りざおがあったので、拝借して釣ってみた。えさはスパゲティの残りだ。魚はまったく無警戒で、よく釣れた。ティラピアという、タイに似た魚が多い。太古の地殻変動で湖が海から切り離されたとき、陸封されたのだろう。白身で、おいしそうな魚だ。

 これを刺身で食べてみたい、と思った。アフリカでは濁り水に住む魚は住血吸虫が多く、刺身で食べるのは危険だ。しかしタンガニーカ湖は住んでいる。水浴びして住血吸虫にやられたなどという話も聞いたことがなかった。長谷川青年も、「刺身、ですか」と目を細めている。

 いつも持ち歩いているスイス・アーミーナイフで三枚におろした。皮に湯をかけて、皮付きの刺身としゃれてみた。わさびはなかったが、小屋に日本の醬油があった。

 刺身はこりこりして、釣ったばかりのイサキにそっくりの歯ごたえだった。夕焼けを見ながら、湖の水で割ったウイスキーで一杯始めた。静かだった。後ろの山からチンパンジーたちの鳴き交わす声が聞こえたきた。(松本仁一 『アフリカを食べる』朝日新聞社 1998年 pp.93-94)」

 

 

住血吸虫が居ないらしいからという理由で湯引きして洗いで食べているけれども、住血吸虫が居ないような地域でも淡水産の生物は生食に向いているとは限らない。

 

昔、多摩川で獲ったすっぽんの生き血を飲んでサルモネラ菌にやられて入院した人が居るんだよなぁ…。

 

 

ちなみに、僕はカメ五郎さんの大ファンで、生放送とか以外の動画は全部見ていると思う。

 

ともかく、海に生きている生物以外はあまり生で食べることは現代人には向いていない。

 

寄生虫がそこら中に居て、寄生虫でなくても病原体は沢山あって、生で食べるということはそういうものを体内に入れてしまうという危険がある。

 

アフリカの奥地とかどんな未知の病原体があるか分からないというのに生で色々この著者は食っていて、本気で頭おかしいのではと思う部分があった。

 

…インパラも刺身で食ってたんだよなぁ。

 

「 「インパラの肉が手に入った。すばらしく新鮮だよ」。朝早く、友人から電話がかかってきた。

(中略)

 これを刺身にしたらどんなだろうか。冷えたビールで一杯やりたい――。新鮮な肉を見ているうちに、そんな誘惑にかられた。そうなると、もう我慢できない。

 野生動物が寄生虫だらけなのは知っている。しかし、あきらめきれない。たまたま、日本から動物学者がケニアを訪れ、ナイロビに滞在中だったのを思い出した。さっそくホテルに電話した。

 インパラを刺し身にしたいのだがというと、彼は驚いた様子だった。しかし、親切に教えてくれた。

 「野生動物の寄生虫は、ふつう、胃腸や肝臓にいる。肉にはいないはずだ。ただ、殺して解体するときに、内臓をいじった手で肉に触っているかもしれない。肉の表面には気をつけた方がいい」

 包丁をその都度よく洗って、ブロックの表面を一センチ厚にそぎ捨てた。これはあとで焼いて食べればいい。表面よりさらに鮮やかなピンク色の肉が現れる。それを薄く切り、刻みネギを散らし、冷えたビールを横に置いて、ショウガじょうゆで食べた。青くささはない。とろりとした舌ざわりは、上等のヤギ刺しの味だった。

 これが病みつきとなり、その後、かなりの野生動物を刺し身で食べた。うまかったのはインパラ、そしてトムソンガゼルだ。一度だけだが、キリンの刺し身を食べたこともある。(同上pp.34-35)」

 

正直なところ、頭おかしいんじゃねぇの?としか思えないけれども、僕も滅茶苦茶生肉が好きだから、アフリカとか生肉料理とか殆どないような環境だろうので、そこで何十年も勤務していたら、僕でも彼のように生肉を貪欲に食べに行ってしまったりするのかなと漠然と思う所はある。

 

ただ今回したい話はそういうことではなくて、牛糞の話になる。

 

この本ではマサイ族の人々を取材した際の話もあって、そこに僕が今回触れたい、牛糞に関する彼らの衛生観念についての話題がある。

 

「 夕方、夫のヤテペラさんが様子を見に来た。第三夫人はいそいそとチャイの準備を始めた。なべに、しぼりたての牛乳をたっぷり入れる。わき立ったところに紅茶の葉をひとつかみ放り込む。そして砂糖を山ほど入れる。ミルクティーである。

 チャイがわくと、彼女は外に出ていった。見ていると、家の横の牛囲いで新しい牛ふんをつかみ、それでごしごしと手をこすり始めたのである。こすり終わると乾いたふんを拾い、タオルのように使って手をふく。最後にぱんぱんと手をたたき、ふんの残りを払い落とす。家に戻ると、彼女は空き缶のコップにちょっぴり水を入れ、牛ふんでこすった手できゅっきゅっとふき始めた。

 そのコップで「さあどうぞ」とお茶を出されて、ちょっと戸惑った。ヤテペラさんが、「チャイはきらいか」と不審そうに尋ねる。宿を提供してくれた夫妻だ。断って気を悪くさせるわけにはいかなかった。

 一口すすった。かすかに牛ふんのにおいがする。しかし、一杯飲んだらあとは腹がすわり、すすめられるままにおかわりをした。甘いチャイは、夕暮れのサバンナの冷気の中で、ほっとする温かさだった。

 マサイの人々にとって、牛は神様からあずかった神聖な動物だ。その体から出るものは清浄だという観念がある。お客が来たから、手を洗ってお茶を出すという感覚は、われわれと変わりはない。本質的には、彼らはきれい好きなのである。辺りに水が少ないことと、牛についての考えが、われわれとちょっと違っているだけのことなのだ。(同上pp.27-28)」

 

結局、ヤテペラさんとその第三夫人が牛糞を臭いものだと認識していたならば、牛糞で洗った手で茶を客に出すということはしないわけで、牛糞が身近にある環境下で過ごしている結果として、牛糞の匂いを悪臭と認識しえないが故に、このような振る舞いをしていると判断して良いと思う。

 

だから、乾燥した牛糞を燃やしても臭くないのではなくて、普段から牛と一緒に暮らしていたらその臭いが分からなくなって、牛糞を燃やす臭いを悪臭と認識できていないと判断しても良いと思う。

 

僕は人生の中で牛舎の近くを歩いたことが幾度かあって、そんな場所を通ると当然の権利のように牛の匂いというか牛糞の臭気が風に乗ってくるわけで、あれを臭くないと思ったことは過去に一度もない。

 

けれども、マサイ族のヤテペラさんとその第三夫人は牛糞のついた手でコップを洗うということに何にも思っていないわけであって、結局、日常的に牛と暮らしているとその辺りの匂いは感じないらしい。

 

実際の所、日常的に牛と接している人々にとって牛糞は汚いものではないらしくて、その話は原始仏典の律蔵の『スッタ・ヴィバンガ』の記述を読めば分かる。

 

このテキストの全訳は日本だと戦前に出た文語訳しかないから、非常に読みづらいそれになるけれど、出典を明記する以上、原文をそのまま持ってくる以外に方法はなくて、引用した後に詳しい話はするので勘弁してください。

 

「 その時長老須提那の父は、須提那の手を捉りて彼に斯く言へり「やよ須提那、来れ、我が家へ行かん」と。かくて長尼(原文ママ)須提那は己が父の家に至りて設けの座に著けり。時に長老須提那の父は、彼に斯く言へり、「やよ須提那、食せよ」と。「止みなん、居士、我已に今日の食事を作し了れり」。「須提那、(さらば)明日の食を諾けよ」と。長老須提那は黙然として諾へり。かくて長老須提那は座より立ちて去りぬ。

時に長老須提那の母は、其の夜過ぎて、緑の牛糞にて地を塗らしめ、一は金貨、一は黄金なる、二の積重(つみかさね)を作らしめぬ。(高楠順次郎監修 『オンデマンド版 南伝大蔵経 1 律蔵 1』 大蔵出版株式会社 2003年 p.24)」

 

 

えーと、長老が正しい所が一か所、長尼になっているけれど、多分普通に誤植か誤訳かのどちらかだと思う。

 

だって、須提那は男であって長老であっても、長尼ではないんだから。

 

文語の文章を書き写すのがしんど過ぎるので引用は早々に切り上げたけれども、ここに緑の牛糞を敷き詰めてそこに金を積み上げたという話がされている。

 

この文章は仏教の戒律に関する話で、性行為はしてはいけないという戒めの文章になる。

 

須提那という人物は名家の生まれで、けれども彼は出家してしまって、家族は家に帰ってきて貰いたいと思っていて、偶然、彼が乞食行為の為に両親の住む家に托鉢に訪れたという場面設定で、彼を出家生活から引き戻すために、色々と工作をしている際の一幕になる。

 

原始仏典の時期だと教説で食べるものは乞食行為でしか得てはいけなくて、それは仏陀とて同じで、仏陀が乞食行為をしている描写は原始仏典では多い。

 

だから、仏弟子とて食事は乞食行為で得るのであって、家々を回って食べ物を貰っていた時に、自分の家族に出会ったという話になる。

 

彼らは仏教修行なんてして欲しくないから、どうにか帰ってきて貰おうと、世俗的な贅沢を見せつけて俗世の良さを須提那にアピールしようと企てて、その一環として、金を積み上げてそれを受け取らせようとする描写になる。

 

最終的に須提那は色々拒んだけれども、跡継ぎが欲しいという両親の懇願に根負けして、跡継ぎを残すために仕方なしに性行為をして、それを知った仏陀に口汚く罵られるというのがこの話のあらすじになる。

 

その罵る文章はあまりに言い草が酷くて普通に面白いとはいえ、ここに引用するには冗長なので、気になる人は以前、違う記事で引用したそれを読んでみてください。(参考)

 

あれ書いた仏教徒の人、本当に禁欲辛くてその戒律破る人の事が嫉妬で本気で許せなかったんだろうなって。

 

ともかく、その一連の描写の中で、緑色の牛糞、すなわち、牛が排泄して間もない新鮮なそれを絨毯のように敷き詰めて、その上に金貨などの高価なものを置くという振る舞いについての言及があるということが分かる。

 

結局、乾燥させれば牛糞は臭くないという話を僕は聞いたことがある一方で、『スッタ・ヴィバンガ』では新鮮な牛糞をむしろ絢爛さのための演出として用いているわけで、その辺りは文化の違いになるし、まぁ普段から牛と暮らしていると臭いとか一切分かんないのだろうと思う。

 

日本の空港に行くと醤油の匂いがするという話は聞いたことがあるし、僕は中国の土産を何度か貰ったことがあるけれど、それに共通する匂いがあったということを覚えている。

 

日常的にその臭いを嗅いでいると、その臭いについて認識出来なくなるわけで、マサイ族も古代インド人も、牛が身近にありすぎて、その臭いはもう分からないのだと思う。

 

家畜と近距離で暮らすことは、インフルエンザやコレラと言った伝染病が怖いとはいえ、日常的にそのような感染症が発生するということもなくて、それ以外の牛糞に存在する細菌などを呼吸で体内に取り入れてもあまり健康を害すことはないのだろうと僕は思う。

 

ただ、僕としては以前何処かで燃料としての家畜の糞は、乾燥することによって臭いがなくなると聞いたことがあって、その事について、嘘つけ、臭いが分かってねぇだけだろと思って、その話をしたいと思ったから記事を作っただけです。

 

そんな感じの日記。

 

本当はもう一個トピックを用意するつもりだったけれど、文章の量が十分出来てしまったので、今回はこれくらいにする。

 

まぁ多少はね?

 

では。