こんにちは。
久しぶりすぎて何から書けばいいのかわからないね......。
でも、ここにはたくさんの思い出があって、私の大事な歴史の一部でもある。
だからちゃんと最後に書いておきたいと思いました。
ユチョンに言いたいこと。
それはやっぱり「ありがとう」しかない。
たくさんの楽しい思い出、出会うことが出来た大事な友人たち、
全てユチョンがいたからこそ貰えたものだから。
私達ユチョンペン、長い長い間、闘ってきました。
闘ったこと自体を責められもしました。
バカなんじゃないの、盲目なんじゃないのと。
でもそれは間違いなく「愛」でした。
たとえ間違いをおかしたとしても、たとえ失敗したとしても、それでも守りたかった。
私達だけは信じているよと言いたかった。
それは「愛」に他ならないものでした。
よく盲目だとバカにされましたけれど、みんなが本当に「見えていなかった」わけではないと私は思っています。
もしあの子が弟だったら、息子だったら、友達だったら.....。
非常識といわれても、間違っていると謗られても、それでも捨て身で守ろうとした。
私はもうずいぶん前に「沈黙」を選択しました。
それは自分を守るためです。
哀しみに耐えかねる自分を守ることを選びました。
だからこそ、今までも、そして今も、嘲られてもバカにされても彼を守ろうとする人達を、
心から愛しく思う。
ファンとして逸脱しているのかもしれない。
愚かなのかもしれない。
でも、それをどう名づけるかと言われたら。
それは「愛」でしかありませんでした。
それを嗤うのなら、嗤えばいい。
無償の愛を笑う人間こそ、傲慢に他ならない。
もし他の人が私達と同じような経験をするとしたら。
私は決して私達が言われたようなこと、彼が言われたようなこと、絶対にするまいと心に誓いました。
誰かを傷つけたいという意図を正義という衣で包んでニヤニヤと笑いながら差し出す人々。
そんな醜いものをたくさん見ました。
私は今後彼のことを口にすることは無いでしょう。
このブログもこれで終了です。
彼は芸能人ではなくなるでしょう。
だから「ファン」でいることを終わりにする。
だから「ファンブログ」も終了です。
私はペン卒したと言いながら、うだうだといつまでもユチョンのことを書いては
「自分は彼を見限れた理性ある人間」とでも言いたいかのような、
「自分はもの申せる賢い人間」とでも言いたいかのような、
そういう人が大嫌いです。
「ファンが傷ついた」という表現も嫌いです。
彼は少なくとも私を傷つけはしなかった。
彼が傷つけたのは「自分自身」だと私は思うからです。
私は以前から、「ファン」というのは見返りを求めない永遠の片思いだと思っています。
「報われた」とか「報われない」とか。
好きじゃない。
だから何も後悔は無いですし、今でも、これからも、彼は大切な人です。
彼は弱かったかもしれない、でも私だって弱い。
彼は逃げたかもしれない、でも私だって逃げた。
私は何が一番心に刺さったかというと、「ファンがどう見るかと怖かった」という言葉。
愛され、期待され、必ず芸能人として復活しなくてはならない。
その重圧は彼を押し潰した一因なのかもしれない。
冤罪だというひともいます。
私もそれを否定することは出来ません。
事実は小説より奇なり、ということは実は世の中にはたくさんあるから。
でも彼は今後「罪を認めた人」として生きていかなくてはならない。
認めたからには償わなくてはならない。
彼が今立っている岐路は、芸能人としてやっていけるかどうかなんていうものではなく。
人としてこの先の長い人生を、どう逞しく生き抜いていくか、自分を大切にして生きていけるか、という岐路です。
「芸能人」という立場なんて、彼の人生の1パーツにしかすぎないということを、ユチョンに忘れないで欲しい。
そんなものはいつだって捨てて良いものなんだと気づいて欲しい。
「芸能人パクユチョン」である前に、
ただの「パクユチョン」であることを、忘れないで欲しい。
決して絶望しないで。
いつだって希望はどこかにある。
自分という人間を諦めないで。
かけがえの無い自分の人生を、大切にして生きて。
これまでも、これからも、そして永遠に
私はユチョンの幸せを願っています。
最後に。
今までこのブログを読んで下さった皆様、ありがとうございました。
ユチョンを愛する皆様の健康と幸せを、心よりお祈り申し上げます。