やまびこDr.の診療日記

やまびこDr.の診療日記

人生の大事業の子育ては、ほとんどぶっつけ本番! 分からない事だらけで心配がつきません。
でも正確な情報を知り納得できれば心配は減らす事が可能です。
薬よりもっと大切な事をお伝えする小児科医のブログです。

2ヶ月前に催眠の個人セッションを受けて下さった方が本日お子さんのことで来院され、セッション後の事をいろいろ伺いました。

 

セッションが終わった時点でも様々なキヅキがあり心軽やかになった様ですが、その後も日々何かが少しずつ剥がれていくような感覚が続き、気づくと「そういえば最近穏やかだなあ」と思う様になっていたそうです。

 

ご主人にも「以前ならこういう時に怒ってたのに、最近全然怒らないね」と言われてやっと「そういえばそうだな」と気づくといった状態だそうです。

 

何かが剥がれていく「何か」とは、幼少期から自分でも気づかずに纏(まと)い続けてきた自分にとって不要な想いとか観念であり、それは自分でも気づけないものなので剥がすにも剥がし様もなく、でも「気づく」ことで勝手に剥がれていくものなのです。

 

そしてどんどん剥がれていくにつれて、自分の内側の何かが徐々に移動していっているとおっしゃっていました。

 

 

病気やトラブルの根っこには「自分らしくない事」「我慢している事」があり、そこに気づき我慢をやめ自分らしさに近づいていくと、病気やトラブルは自然と良い方向に向かっていきます。

 

病気やトラブルを解決するには自分を変える必要があると思いがちですが、「自分を変える」のではなく「自分に戻る」という表現の方が正確だと感じます。

 

生まれた直後は全員自分らしく生きています。

自分が今この瞬間に感じる感覚の通りに感じてそれを表現しているので、純粋で素直で分かりやすく、自分の想いを自分で表現してあげているので、泣き叫んだ後でもケロッとしていたりするのです。

 

しつけや教育で我慢を覚えていくことで次第に自分らしさから外れていき、だから「本当の自分を思い出して!」というサインとして、病気やトラブルに見舞われるのだろうと思うのです。

 

この方の「徐々に移動している」のは、多分自分の想いや観念が作り上げていた「軸」が「本来の自分に戻っている」という事なのだと思います。

 

「軸」が本来の自分の真ん中に戻ってきた今現在、心は「凪(なぎ)」の状態だそうです。

 

同じ事柄が起きても、以前だと荒れ狂っていたはずの心が、今は穏やかで静かで心地よい状態なのだそうです。

 

 

催眠療法とはこの様に、セッションが終わった後も気づきがどんどん湧いてくるというのが、一般的なカウンセリングなどとは違うところですし醍醐味だと思います。

 

 

個人セッションも行っておりますが、集団セッションも行っています。

 

集団セッションは一度の複数人に対して行ういわゆる体験版ですが、これでも十分いろいろな気づきが得られます。

 

体験版が受けられるのは、①ヒプノセラピスト養成講座の「お試し講座」 ②キヅキの講座 ③芋沢心理学講座(新設)基礎編、になります。

 

大阪府交野市の「統合医療スペースくくり」で不定期で開催していますが、日本各地で呼んで頂ければ参ります。

 

個人セッションについても各種講座についても、まずはお問い合わせください。

 

公式ライン  https://lin.ee/6zDg7CI

メール    yamabiko.dr@gmail.com

キヅキ事務局 https://www.instagram.com/kizuki.hypno?igsh=MTR1ZGpjNjVhZ3ZlMA==

 

先日のお話会で、最前列に並んでいた受講生お二人のお話。

 

途中休憩の時に「今回の講座はどうして参加しようと思ったのですか?」と聞いたら、お二人とも「特別編って書いてあったから!」と答えました。

 

そこで「もしや?」と思ったのでお二人の生年月日を聞いて計算したら、予想を裏切らず二人とも「数秘1」でした。

 

「1」の人は、思い立ったら考える前にすぐ行動し、何でも自分で決めたがり何でも自分でやりたがる、ポキっと折れやすいがすぐ立ち直る、軽やかで分かりやすい突貫小僧・突貫娘です。

 

そして、何でも1番が好きで、限定品やレアモノが好きという性質も持ち合わせます。

 

だからお二人が「特別編」に惹かれたと言っていたので「1ではないか!?」と疑ったのです。

 

「1」の人はシンプルで分かりやすいという性質もあるので、講座中もリアクションが大きく、こちらとしてもとてもやりやすくありがたい存在です。

 

逆に一番分かりにくくて、面白くてもムスッとしている数字が「7」です。

 

だから講座中に「あれ? この人怒ってるのかなあ・・・」と思っていても、終わってから感想を聞くと「面白かったよ」と言ってくれたりするのです。

 

数秘は誕生日をバラバラにして一桁になるまで足していくだけなのに、なぜその人の性質が分かるのかは分かりません。

 

でもこの様になぜか当てはまるので、まあそれでいいんじゃないかなと思い、数秘を利用しているのです。

 

人間の体もあまりに素晴らしすぎて全てを分かっている人はいないと思います。

 

それでも日々体はちゃんと機能してくれています。

 

だから、理屈は分からなくても、結果としてうまくいくならそれでいいんじゃないかなと思っているのです。

 

僕の方から告知は一回もしたことがなかったので知らない方も多いかとは思いますが、大阪府交野市の「統合医療スペースきさいちの杜くくり」にて、8回シリーズの連続講座「いのちの根っこの講座」を昨年5月から開催しておりまして、昨日(2025.1.20)最終回の特別編を開催し、全8回無事終了しました。

 

これは、僕が小児科医としての知識経験をベースに、体や心や子育てや世の中のしくみといったものを独自の視点でお伝えし、午後は参加者とくくりメンバーを交えて様々な角度から悩み解決をしていく「よってたかってお悩み相談の会」を行うという勉強会です。

 

単発で参加も可能ですが、連続で参加して頂いた方も何名かいらっしゃいました。

 

その中でも、初回は暗い表情で参加されていたのに、2回3回と参加されるたびにどんどん元気になっていき、最後には「楽しく過ごせています」とおっしゃっていた小さいお子さんのいるお母さんが、一番印象的でした。

 

くくりが試験稼働を始めて1年経った昨年5月、自然に集まったくくりメンバーはみんな同じことを言っているということが分かってきた事もあり、僕がどの視点でどのように考えて診療をしているのか、それに関連して僕の考える「統合医療」とは何かをくくりメンバーにも利用される方にも知ってもらいたいなと思ったため、くくり人の岸本さんと、つくり人の布野ご夫妻と相談して作り上げた講座です。

 

各回の内容はこの通りです。

 

①体のしくみ編 

②子供の病気編 

③アレルギー編 

④発達障害不登校編 

⑤子育て編 

⑥心のしくみ編 

⑦命のしくみ編 

❽特別講座(くくり姫ンバー限定)

 

一貫してお伝えした事は、起きる現象全てに意味があり、自分の感覚に従えばいい、という事です。

 

そして、僕の考える(本当の意味での)統合医療とは、医者がトップのピラミッド構造ではなく、上下も優劣も強弱もない丸(輪・環・和・話)の構造の医療であり、それはくくりで自然発生的に出来上がってきた形であり、これからの雛形になるものではないかと感じているものです。

 

最後の特別講座はくくりの会員であるくくり姫ンバー限定の講座で、宇宙的な視点からみたこれからの地球の歩き方などのお話をしました。

 

また来年5月から、第二期いのちの根っこの講座を開催することになりましたが、今年度の内容を元に新たな形の講座にしていく予定です。(募集開始は近日)

 

いのちの根っこの講座についてのお問い合わせは、こちらからお願いします。

https://www.instagram.com/kukuri_kisaichi_katano?igsh=MXR0eWd4cG5pOGZoeA==

 

診療/乳幼児健診/医療相談/各種相談/数秘鑑定/催眠療法個人セッション/各種お話会・講座などに関してのお問い合わせ/お申し込みはこちらからお願いします。

(やまびこ(山梨)/くくり(大阪)/オンライン/出張講座/出張乳児健診/出張お話会など)

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今年(2025年)の富士山とコラボの初日の出

先日、車で20分ほどのところにある中学校にお邪魔し、中学3年生40名にお話をさせてもらいました。

 

僕のお話会や各種講座にも色々と参加して頂いていて、僕の考え方などをよく知っているS先生からの依頼です。

 

現在中学3年生にガンについての授業を1時間することになっているらしく、僕に是非ということで声をかけて頂きました。

 

話をするのは大人では慣れていますが今回は中学生なので、ちゃんと話を聞いてもらえるのかという不安が強かったのですが、話をし出すと中学生の聞く力に引き出されるように、言葉が次々と湧いて来ました。

 

自己紹介の後は自分が幼少期から何を考え何に迷い、どんな失敗をしながら医者になり、医者になってからもどんな葛藤の中で生きているのかをお伝えし、人生の中での一番大切な指標は自分の感覚であり、生まれる時に持って来た想いを達成するために、体は全力でこの瞬間も働いているんだよ、だから自分の感覚に従い自分らしさを発揮していけば、体はもっとうまい具合に機能してくれて、もっと楽しく人生を生きていくことができるんだよ、さらに病気はその自分らしさに気づかせてくれる存在なんだよ、というお話をしました。

 

それなりにお話できたかなとは思いながらも、でも純粋で素直な中学生にどう受け止めてもらえたか不安もあり、記憶の奥に埋もれさせていたのですが、今朝S先生から送られてきた生徒さんたちの感想文を読んで、泣きました・・・😭

 

とにかく、感動しました・・・

 

お話ししてよかったと思いました・・・

 

呼んで頂いたS先生にも本当に感謝です・・・

 

全部を載せられないので、一人の生徒さんの感想と、全員の「今日の講義に題名をつけるとしたら?」を掲載します。

 

とにかく素敵すぎます・・・😭

 

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自分が生きている価値とか理由とかはないと思っていた。

何で私なんか生まれて来たんだろって思ってた。

私が生きていない方がみんな楽なんじゃないかと、小学校6年のころからずーっと思っていました。

毎日生きるのが辛いです。

でも今日先生の話を聞いて、本当に感動しました。

先生の言葉で「自分の体の中のものって、自分なんかを生かしてくれるために働いてくれているんです」みたいなことをおっしゃってて、自分なんかを生かしてくれるために働いてくれているんだ。

私の味方は、友人でも親でもなく、私自身なのかもなって感じました。

人生、辛いことがあるのは当たり前。

それがあったから、今苦しくても生きていけるのかも、と思いました。

大切なことに気づいたかもしれません。^^

 

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「生きること」

「体が教えてくれる本当の私」

「努力は裏切らない」

「自分と体を大切に歩む人生」

「自分の体だけが知っている自分の全て」

「想像を形にするために」

「人」

「キセキは自分から」

「『生きる』とは〜人と感覚・感情の関係性〜」

「常識にとらわれない」

「生」

「心の感覚と体の感覚」

「あきらめない心」

「抗えない欲」

「今を大事にする」

「人生の歩み方」

「今は今しかない」

「人生なんとかなる」

「何事にも病は気から」

「まあ生きていける」

「自分の人生を変えられるのは自分だけ」

「自分のやりたいことを考えることの大切さ」

「自分の感覚にしたがってもいい」

「山あり谷あり奇跡あり」

「一匹オオカミ」

「病は気から」

「命の始まりと終わり 絶望と希望」

 

何かを決める時に、協議(話し合い)ではなく競技(勝負)で決めるという星がありました。

 

その星にはたくさんの国があり、それぞれの国にはそれぞれの競技が一つだけ決まっていて、それ以外の競技はが唯一絶対の競技だという教義(常識)を信じ切っていました。

 

ある時、サッカーの国A国と、相撲の国B国の間でトラブルが発生し、競技で決着をつけようということになりました。

 

以下、A国の首相とB国の首相の会話です。

 

A「どのピッチで行いましょうか?」

B「ピッチとは何ですか? 

  それより土俵をどこにするのかを決めましょう」

A「土俵とは何ですか?」

B「そんなことも知らないのですか!? 競技の場所ですよ」

A「え!? それをピッチと言うんですよ! 

  そんなことも知らないんですか?」

B「何を言っているんですか!? 

  知らないのはあなたの方ですよ!」

A「あの芝の緑が綺麗な神聖なる場所で行うのが常識です!」

B「芝? 緑? バカバカしい。

  競技の場は神の宿る丸い土俵以外何があると言うのですか!?」

A「神? 丸い? 神はそんな所にいるわけないでしょ!? 

  しかも丸くてどうやってゴールを決めるんです?」

B「ゴール?? 何を言っているのかさっぱり分かりません。

  勝敗は土をつけた方ですよ!」

A「土を付ける? 何に? 誰が?」

B「足の裏以外が土俵に付いた方が負けですよね。

  何で知らないんですか?」

A「いやいや! 

  足だけを使ってボールをゴールに入れると勝ちですよね!」

B「足を使う? 手は使わないのですか? 

  何を言っているのか分かりません」

A「手を使ったら反則ですよね! 何で分からないんですか!?」

B「いやいや、手を使わずしてどうやって戦うんですか?」

 

お互いがお互いの常識(普通・当然・当たり前)が絶対的正解と信じ切っているため全く話が噛み合わず、お互いが自分を理解してくれない、自分が否定されたと感じてきて腹立たしく感じ、高圧的になっていきます。

 

A「何も知らない様だから教えてやるけど、

  競技は四角い芝のピッチでやるのが当然なんだ!」

B「お前こそ何も知らないから教えてやるよ! 

  丸い土俵でするのが常識だろ!常識!」

A「何で何も知らない劣ったお前に、何でも知ってて優れている俺様

  が悪く言われなくちゃいけないんだ!」

B「それは俺様のセリフだ! 

  何も知らないのはお前の方だ! 俺の方が優れているんだ!」

A「何で分からないんだ! 頭が狂ってるのか!? 

  誰かに洗脳されてるのか!?」

B「俺はまともだ! お前の頭が狂ってるんだ! 

  誰かに洗脳されたのはお前だろ!」

 

とお互いがお互いを全く同じ圧で押し合う様になり、結局理解することなく怒りや恨みといったネガティブ感情だけが残ります。

 

こんなことは地球上のどこにおいても、いつでもどこでも繰り返されています。

 

人により価値観は違います。

 

好きな食べ物も好きな趣味も、好きな学問も好きな異性のタイプも、何もかもが違います。

 

何かをするにしても、それが得意な人もいれば苦手な人もいて、やりたいタイミングも人により場合により変わってきます。

 

この世の正解など、実は人間には一つも分かっていないのかもしれません。

 

太陽の表面温度は6,000度だと学校で習いましたが、本当は熱くないという説があります。

太陽に当たると暖かく感じるし、雲に隠れると和らぐので、肌感覚からすると熱いはずだと思います。

 

でも宇宙空間を真空なのだから熱は伝わるはずはなく、太陽から放出されているのは電磁波であり、その電磁波が地球の大気に当たることで熱が発生するだけなので、太陽表面が熱くある必要はないとも思います。

 

この世は仮説でできていて、たくさんある仮説の中で一番矛盾が少ないものがその時代の定説になっているだけと、誰かのブログで読んだことがあります。

 

科学の進歩という言葉がありますが、それは結局まだ科学が完成していなくて、新たにより矛盾が少ない仮説が出来上がった時に「進歩した」というのだと思います。

 

この世のしくみは結局何も分かっていないのかもしれません。

 

とすれば、誰かが「絶対正しい」と思い込んでいることも、「絶対的正しさ」ではないはずです。

 

自分がこの瞬間「正しいはず」と思ったことが、その人にとってのその瞬間の「正解」であり、それは人により場合により違うので、だから自分が正しいと思ったことだけを信じていればいいのです。

 

人のことを否定してもいい、蔑んでもいいという特殊なルールが許されている今の地球においては、自分の正しさを押し付け合うのが当然なのかもしれませんが、それって何も生み出さず、辟易としてしまいます・・・

 

周りには、「自分の思う正解」を押し付けてくる人もいるわけです。

 

自分の正解で押し返しても結局分かり合えないのは分かっているので、だからそんな時は「のらりくらりとかわして、逃げ回りましょうね」とお伝えしているのです。

 

この地球のローカルルールが早く撤廃され、本当の意味で全員が自分らしさをのびのびと発揮できる世の中になればいいなあっと、切に願っています。

 

富士山とUFO雲 ^^