前回までに記した旧荒川の流路についての追加事項です。(荒川の瀬替え以前の時期に当たるので、ここでは当時の荒川本流を旧荒川と称します。)
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改めて国土地理院の治水地形分類図を観て、自然堤防の形状と蛇行跡から、前回③の流路の時期はあったものの、それ以降に今回記載のルートとなったと思われるので追記します。
その流路と考えられる旧荒川の河路は、以下画像に記した赤線のルートとなります。
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基本的には従前から記している通り、現在の赤堀川が旧荒川の河路であった考え方には変わりなく、備前堤築造の理由となった直前の旧荒川の河路は上図の通り、赤堀川の河路から備前堤部分をそのまま直進し、綾瀬川部分に流れ込んで行ったと推測しています。