県内14市別の飲食店数がわかりました。
まずは人口に関わらず単純に多い順に紹介します。
順位を見るとある程度人口規模と飲食店数が比例しているような「気がします」。
では肝心の人口当たり飲食店数を計算してみます。
県内14市別の飲食店数がわかりました。
まずは人口に関わらず単純に多い順に紹介します。
前回のブログでは住みよさランキング2022年版における、栃木県内14市の順位をご紹介しました。
残念ながら鹿沼市は14市13位でした。
14位は那須烏山市です。
鹿沼市は人口規模では県内7位であり、全国295位です。
スケールメリットを活かせばもっとまちの住みよさは向上できるのではないかと常々思うのです。
そのためにもまずは分析が必要です。
皆様にも様々なデータをご紹介して、みんなで考えていくきっかけとしたいのです。
今回は総合ランキングを構成する4つの部門について紹介します。
「安心度」、「利便度」、「快適度」、「富裕度」という4つの部門にも、それぞれ全国順位が示されています。
当然ながら県内14市での比較も可能です。
詳細については後日掘り下げていきますが、更に4部門を構成する合計20の指標については掲載した写真をご覧下さい。
今回は鹿沼市が4部門で県内で何位かについて簡単にご紹介します。
安心度 県内8位 全国454位
利便度 県内14位 全国754位
快適度 県内9位 全国389位
富裕度 県内9位 全国346位
いかがでしょうか。
この順位だけご覧になって、皆さんはどうお感じになるかとても興味があります。
お会いする機会があった時にでも聴かせてください。
この4部門を合わせて総合ランキングが出ます。
結局は14市中13位ですから4部門の順位が高いはずはありません。
ただし、利便度以外の3つは8〜9位ですから、利便度が県内ワーストであることが、最終順位のワースト2位の決定的要因であることがわかります。
利便度を構成する統計データは4つ。
小売販売額、大規模店舗面積、飲食料品小売店数、飲食店数です。
商業的に鹿沼市は弱いということなのでしょうか。
更なる分析と考察が必要です。
ちなみに商業に関して市民の声としてよく耳にするのは、
鹿沼にユニクロがないとか、レストランの閉店が多いとか、コストコが来なかったとかいうものです。
9万3千人も住んでいて、こういったお店がないのは不便だ。
何かお気づきになることがありましたらどうか教えて下さい。
個人的には漫画喫茶がないのがさみしいと思います。
ゲームセンターはあるけれど、湾岸ミッドナイトが撤去されてしまったのは本当に寂しいです。
鹿沼市のEスポレーサーはマリオカートでもやってろってことなのだろうか。
それでは最後までお読みいただきましてありがとうございました。
またお会いしましょう。
住みよさランキング2022年版の栃木県内14市の総合ランキングをご紹介します。
このランキングは、週刊東洋経済というビジネス週刊誌でお馴染みの、東洋経済新報社が毎年発表しているランキングです。
1989年から続いていて、算出に用いる指標は若干の入れ替えがあるものの、全て客観的な指標です。
アンケートの類、主観的にこのまちが好きだ云々というデータは用いられていません。
現在では20の指標を用いています。
国内には792の都道府県内の市と東京23区の合計815市区があります。
その中から東京都の千代田区と中央区と港区は除外されています。
富裕度等の数値が飛び抜けていて比較に馴染まないという判断です。
今回は県内でのランキングと、全国順位、昨年の全国順位の並びです。
県内順位 自治体 全国順位(本年) 全国順位(昨年)
1位 宇都宮市 64位 54位 |
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2位 那須塩原市 107位 95位
3位 下野市 133位 164位 |
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5位 さくら市 158位 222位
6位 佐野市 194位 322位 |
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7位 大田原市 275位 277位
8位 足利市 278位 305位 |
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9位 日光市 283位 302位 |
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10位 矢板市 475位 546位 |
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11位 真岡市 486位 344位 |
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12位 栃木市 506位 379位 |
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13位 鹿沼市 557位 495位 |
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14位 那須烏山市 743位 765位 |
鹿沼市は昨年は県内9位でしたから大幅にランクを下げました。
鹿沼市の県内13位、つまりワースト2位という順位はここ10年近くの間に何回か記録されています。
気の毒ですが、那須烏山は14位から上がったことはありません。
鹿沼市も13位が準定位置です。
私個人としては、鹿沼市を経営していく上での通信簿という基本的な認識でいます。
とても褒められたものでもなく、誇れるものでもないと思っています。
分析して議論して対策を実行していくことでこのまちをもっと良くしていくことが可能だと私は確信しております。
最後までご覧いただきありがとうございました。
次回以降では色々な分析をしていこうと思います。
詳しく述べるつもりはないけれど、
自分は比較的親戚とか身内という存在が少ない境遇にある。
小学生の頃、放課後は従兄弟と遊ぶのだと友達が言うのが不思議だった。
従兄弟が友達という概念がなかったからだ。
従兄弟とか親戚というのは何百キロも離れた遠くに住んでいて、
せいぜいお盆とか正月とかの節目にたまに会うくらいのややよそよそしい存在だという認識で生きていた。
場合によっては親戚という言葉の意味すらよくわかっていなかった。
大学を卒業して鹿沼に帰ってきて、
縁あって小林守先生に仕えていた頃には、
「いくらか引っ張っている」などという独特の表現を認識した。
もし結婚するとして。
相手には兄弟がたくさんいて、同じ街の中に親戚とか従兄弟もたくさんいる賑やかで騒々しく面倒臭いけれども楽しく暮らしている。
そんな一族に婿入りするようなことになったらどうだろうか。
そういう生き方というか人生に多少の憧れまでいかずとも、
好奇心を抱くことは告白しておく。
大家族というコンセプトだ。
親戚がたくさんいる境遇や生い立ちだったならば、
成人する過程の中でもたくさんの冠婚葬祭の機会があっただろう。
記憶を辿ると、二十歳過ぎるまでに葬儀に出席した記憶がないのだ。
身近な人が亡くなるという経験が自分でも驚くほどに乏しい。
子供の頃は、事故や事件で人が亡くなるニュースでさえ衝撃的だった。
死というものに身近に接したことがないからだろうか、
未知故の恐怖もあれば、言いようのない興味も抱く。
17歳、高校3年の春に入院していたことがあり、
夕方見舞いに訪れた友人たちと尾崎豊が亡くなったニュースに接した。
彼らの中にはひどく動揺し涙する者が多数いた。
自分はあまり尾崎豊のことは良く知らなかったので驚きはしたけれど、
悲しんだという記憶はない。
惜しい人が亡くなったんだなという気持ちはその後湧いてきた。
19歳の頃、飼っている犬が死んだ。
人間ではないけれど、身近な存在の喪失として悲しいと思ったのは、きっとそれが初めてだったと思う。
20代半ばの頃だろうか。
歳上の女性が急病で亡くなった。
当然ながら悲しいと思い涙した。
数週間前に食事をご馳走になったばかりだったのだ。
悲しいという涙である以上に、驚きを心の中で消化するための涙だったのかもしれない。
若い人が、この前まで一緒にいた人が、突然に亡くなるということが衝撃的だったのだ。
近しい人の死は人生の中で初めてのことではなかっただろうか。
長く病気を患っていたとか、高齢で大往生ともいえる人の死は自分の周囲で多少は経験がある。
やはり若い人が突然に亡くなるというのは心が揺さぶられるし可哀相だと思うし、悲しいと思うものだ。
東日本大震災のように、一度にたくさんの方が亡くなることはとてつもないことだ。
ただ、あの災害で亡くなった約2万人もの方の誰一人として自分が知る人はいなかった。
何度も被災地に足を運び、何度も黙祷を捧げてはいるけれど、自分は冷たい人間だからなのか涙した経験はない。
橋本正男さんが亡くなった時はただただ本当に驚いた。
市議会という同じ組織に属する人間が突然に亡くなった経験も初めてだった。
以前のブログでは追悼の記事を捧げた。
誰に頼まれた訳でもなく自然とそうしたのは、きっと何か意味があるのだろう。
石下友彦さんの死は本当に驚き、本当に悲しかった。
年が明けたら一緒に飲む約束をしていた。
石下さんのことについては別の機会に多くを語りたい。
身近な人が、若くて、しかもこれから一緒にやろうとしていた状況での突然の訃報。
今まで語ったように、人の死に接する機会の乏しい私の人生においては、とても重い出来事である。
あとは任せてください。
安倍晋三首相が亡くなった。
元首相とは自分は言わない。
たった一人の人間の死であることに変わりはないし、自分は5年前の総選挙で鹿沼に応援演説に来た時に初めて近くで目にした人でしかない。
それでも自分の中では本当に想いの溢れる死である。
あの時、あえて握手をしなかったことが今では悔やまれる。
父親の安倍晋太郎氏と同じ67歳で亡くなった。
第二次安倍政権を7年8ヶ月率いて、7月8日に亡くなった。
偶然でしかないのだが、何かしらの意味を見出すことで気持ちを紛らわせようとでもしているのだろうか。
安倍首相の執政から色々なことを感じ学んだ。
皇室を敬うこと、歴史を学ぶこと、国を愛すること、国を守ること、やりたい事とできる事とのジレンマであがくこと、野党のありさま、経済が人を生かしも殺しもすること。
理想を掲げ先頭に立ち人々に訴えかけ命を賭けて挑戦していく姿。
そして悲劇的な最期。
昭恵夫人の追悼の言葉、
「種をいっぱいまいているので、それが芽吹くことでしょう」
自分もその種の一つであることを誓う。
まずは議会(≒会議)について自分の意見です。
理由は、今後の会議は極端な話を言えば、出席して座っていれば形式的なやり取りで進んでいくからです。
仕事というよりは作業です。
顔を出して座っていればそれで一丁あがりっていつも思うのです。
これで本当に議員は必要なのか、議会は必要なのか、なくてもいいのではないかと思ってしまうのです。
だからこそ、会議においては必ず積極的に発言をして意見やアイデアを発信していかなければならないと心がけています。
そうしなければ、我々議員は市役所や役人の下請けに堕してしまうのです。
調教師の笛の音に合わせて芸を見せればエサにありつける水族館のイルカであってはならないのです。
悪意や敵意を抱いてはならないのだが、自分自身緊張感は持ちたいし、市役所にも緊張感を持っていただきたい。
そのために鋭い指摘や、哲学を問うていき、多様な価値観を提示したり、さまざまな可能性を提案していくこと。
それが二元代表制の健全な姿だと思っています。
そういう過程を市民に理解していただくためにも、過去の議会の議事録を全て公開してしまいたいのです。
そうすれば、それが嘘ではないことはわかってもらえると思う。
やろうと思えばできるのに色々な抵抗にあって未だ道半ばです。
会議で議論することが議員の仕事だと思う。
一般のビジネスの世界だって同じだ。
いやそれ以上にビジネスの方がもっと厳しい。
会議で何も発言せずにいるなら、いる意味がない。
所属する組織に貢献していないことになる。
その社員が会議に出ている間の賃金コストがチーム全体の損失だ。
議席は手段であって、目的であってはいけない。
もちろん選挙に受からなければ何もできないのだから、その手段を失わないように多くの労力を割かなければならないのも現実ではあります。
議会とは要は会議をするところなのです。
だから会社でも議会でも理屈は同じなのです。
自分の理想を語りました。
次回は9月議会の報告です。
みなさんこんにちは。
今回は9月議会の進行状況の簡単な報告。
9月議会の一般質問が終わりました。
この後は色々な議会内の会議が控えています。
まずは常任委員会。
全部で4つあり、自分は総務常任委員会の委員長なので進行に対して責任があります。
他の3つの委員会は全て傍聴しようと思います。
特別委員会は、議会改革と政策調査と広報公聴が予定されてます。
政策調査は副委員長を務めています。
議会改革にはヒラのメンバーとして所属しています。
広報公聴は傍聴しようと思います。
そして例年9月議会では決算特別委員会が設置されます。
委員長なので2日間の司会進行役です。
自分の一般質問が終わって心理的重圧感は質問前までの比ではありません。
開放感すら感じていますが、10月1日の閉会までほぼ毎日議会に赴くことになります。
色々と会議があって忙しくて大変ですね、頑張ってますね。
そう思っていただけるならば基本的にはありがたいことです。
更に頑張って行かなければと思います。
しかし単に頑張ってるアピールで原稿を書いているわけではありません。
次回以降では、議会の内実を知っていただこうと思います。
きっと違った印象をお持ちになるかもしれません。
そしてどうすればいいかという私の理想をお伝えさせてください。
更には私の一般質問の報告と進めていこうと思います。
読んでいただきありがとうございました。
(続く)
常任委員会の数と任期について
常任委員会の任期は1年とし、委員会の構成数は4とするべきである。
まず任期に関しては2年にするメリットは一つもなくデメリットしかない。
活動期間を1年から2年と倍にしようと言うのならば、そもそも1年間の中で活動量を2倍にすればいいのである。
万が一そこまで本気でやることができた上で、1年間では足りなかった際には次年度の委員会に申し送りをし、継続して調査研究をすればいいのである。
この点に関して2年制を主張している議会改革委員からはなんら反論や対案等が提示されることがなかった。
任期を2年にして委員会活動を充実させようと言う主張は市民の目に触れない委員会活動をサボろうというまやかしの論理と市民に捉えられ、更なる議会不要論に拍車がかからないかという懸念を拭えない。
任期は倍になって活動量と質が2倍以上になるどころか、質量ともに低下することが容易に予想される。
また、せっかく4年間で4回市執行部に対して提言する機会を半減させることになり、議会の権能を積極的に放棄するばかりか、市長の対してモノを言わない議会、つまり追従するだけの組織に成り下がってしまおうとしているかのような印象すら持たれてしまう恐れも指摘される。
現状の体制下で、視察の参加以外での委員会活動に対して積極的な発言等をしない議員が、委員会活動の充実と称して2年案を望むのならば理解に苦しむ。
委員会構成数であるが3にすることには、4つの委員会の担当領域の平準化という観点では一定の検討の余地がないとは必ずしも言えない。
しかし、4から3になれば市執行部への提案する機会が減ることになるデメリットがあり、それを超えるメリットが議会改革委員会の中では一切説明がなかったと言える。
また3になれば、1委員会あたりの議案が増え、委員会の冒頭での執行部の説明が増えることになりそ、その全てを念頭に置いてその後の質問をしなければならなくなるので、委員会ではほとんど質問や提言を行わない議員にとってはさらに負担が増してしまい、結果として充実した審議ができなくなる。
委員会が3になれば、所属議員数が増えるので、自分が質問等の発言をしなくても増員された他の議員に任せておけばいいと今以上になってしまい、議員の資質向上の観点からも大いに禍根を残すこととなる。
現状の4委員会制での1委員会あたり6名の議員では多様な観点からの審議や委員会活動ができないというのであれば、欠員を補充するために現状でも掛け持ち所属が実現しているように、2以上の常任委員会に重複して所属できるように制度を変更すればさらに意欲的な議員の成長を促すことになり活動量も増え、審議も重層的に行われ、議員作成の条例案提出等も期待できるだろう。
また常任委員会数を減らしてしまうと、慣例により初当選した議員がその任期を終えるまでの間に常任委員会の委員長を経験することができていたことが、今後難しくなり反市長派や少数派の期数の若い議員にとっては著しく不利な状況をもたらす恐れも拭えないばかりか、議会全体としての資質向上の観点からも大きな問題を孕むものである。
なぜゴルフ⁈なぜ週刊ダイヤモンド⁈
他にやることがあるのではないかとは十分自覚しつつ、なぜか筆を取った。
そうである以上は読んでいただいた方に何かしら有益な情報を伝えなばなるまいという使命感で書きました。
コロナ騒動で密を避けて楽しめるゴルフの人気が復活しているそうだ。
自分は貴族でもないし平民出身だからゴルフはやらない。
がしかし嫌いではない。
市議会の中でもやる人は多いし誘われもする。
高校を卒業してフリーター時代には72カントリーでキャディのバイトもしていた。
だからゴルフがどんなものかや、
やったら楽しいんだろうなってことは分かっているつもりだ。
プロゴルファー猿の漫画だって全巻持っている。
コスプレも考えてる。
鹿沼青年会議所主催の過去の銀座通りの七夕祭りでは悟空のコスプレもやったし、マリオもやった。
ちなみに2019年の七夕祭では浴衣姿の佐々木里加候補(当時)と初めてお目にかかりマリオ姿で記念撮影をさせてもらった。
もう辞めてしまったのだしアップしてもいいような気もするのだがどうなのだろう。
次があれば猿谷猿丸でいこうとすら思っているくらいだ。
裾がギザギザの半ズボンはジーンズを改造すれば楽勝だ。
オレンジとグリーンのボーダー柄のシャツはネットで探してもなかなか見つからないが、白Tシャツに着色すれば大丈夫。
裸足のコストに至っては0円だ。
問題はクラブだ。
柿の木でドライバーを作りたいが、柿の木の原木の値段がエライ事になってる。
数万円では済まない。
紅蜂に折られてもいいように保険にも入らなくてはならない。
そこは重要ではないのか?
漫画では、プロテストの開催を告げる書類には何を隠そう会場は鹿沼市とある。
鹿沼市のみならず栃木県はゴルフ場も多く、我が郷土を代表する一大産業とも言える。
だからこそある程度のことを知っておくことは議員として無駄ではない教養だと思った。
やらないからこそ尚更だ。
今週号の週刊ダイヤモンドの特集では、そんなゴルフ好きにはたまらない記事が盛り沢山だ。
パート1「復活!ゴルフ場ランキング」からの、「プレーしてよかったゴルフ場地域別ランキングベスト33」では20位に日光カンツリー倶楽部が県内唯一のランクイン。同ランクの関東部門では他に西那須野カンツリー倶楽部が13位。
「プレーしてみたいゴルフ場ランキング」では県勢からは19位の日光カンツリー倶楽部と27位のロペ倶楽部がランクイン。
「二度といきたくないゴルフ場ランキング」では県内のコースについての言及はないものの、低評価のゴルフ場に共通する大きな問題はプレーの○○○とコースの○○○○○○○○○○であることがわかる。
「データで見るゴルフ人気復活」ではバブル以降のゴルフ市場の低迷は底を打ち上昇に転じていることを示すが、一過性のブームに終わらせてはならないというのが業界の認識であり、今後のゴルフ場は高級路線かコスパ重視の二択を迫られていくそうだ。
パート2「政財界が集う最強サロン」では、名門ゴルフ倶楽部の内幕や、そこで絶対にやってはいけない作法などが関係者の証言として語られ、個人的には最も興味深かった。マフィアの世界、漁師の世界、政治の世界、各種プロの世界など、日常生活では馴染みのない業界の話は本当に面白い。
パート3「男女プロツアーの明暗」では、
男子ツアーの人気の凋落をアメリカPGAツアーからの教訓や、方や人気の女子ツアーとの対比や、青木功日本ゴルフツアー機構会長のインタビューなども交えて報じている。
ところでメガドライブの尾崎直道監修のソフト、誰か覚えていますか?
ゴルフジャーナリストによる『松山英樹「格闘の10年」秘史』はゴルファーならずともグッと読ませるものがあった。
共感すること大であります。
パート4「ビギナーのためのゴルフ講座」の『最速で「100切り」の極意』では左手を鍛えることの大切さが説かれているが、左利きの自分が右でゴルフを始めたら有利なのではないかと一瞬思ってしまった。(やらないけど)
実は何を隠そう自分の車のトランクルームには右用の5番アイアンとグローブが積んである。
その理由は週刊サンデー連載の「青空しょって」(森秀樹)でのセントアンドリュース編での飛田親子の激闘を知る人には説明は不要でしょう。
ゴルフやらないのにどれだけオタクなのだろうかという話でした。
おやすみなさい。
売れている本だ。
英語が小学生にも必修になった以上、議員としてもある程度押さえておきたい分野でもある。
建築や土木や不動産、農林業、福祉や子育て市民活動などに詳しい議員は鹿沼市議会にもいる。
せっかく24人もいるならば、こういう分野を自分が少しはかじっておくことに意義はあるだろう。
(石川さやか議員に先を越されてしまったが…)いつか一般質問で英語教育についても取り上げようと思っている。
そのためには自分も人に言うだけの英語力が問われるはず。
議員としての勉強の合間をみては密かに英語の勉強をしている。
自分の勉強法に何か有益なヒントが得られたらとの期待もある。
帯には「楽してではなく合理的に楽しみながら英語の達人になろう」とある。
しかし正直誰にでもおすすめの本ではなかった。
楽に読めて劇的な英語力の向上をもたらすメソッドが身につく本ではないからだ。
もちろん初中級者に対してのアドバイスがないわけではない。
まずは覚悟を促している。
『「わかりやすく教えれば、教えた内容が学び手の脳に移植されて定着する」という考えは幻想であることは認知心理学の常識なのである。』
『すぐ理解できて、斜めに読んで「わかってしまう」と、そのときにはどんな感銘を受けても記憶が定着せず、すぐ忘れてしまう。理解に努力を要するものほど、情報の処理は深くなり、忘れにくくなるのである』
YouTube等で色々な分野のことをわかりやすく解説する動画があり自分もかなり視聴している方だ。
それらを活用しての「学び」について一考を迫られる。
やっぱり読書なんだ。
じゃあ自分の子供には苦労して欲しくないから自然に英語を身につけてもらうには早いうちからの英語教育なんだ。
親心としては自然とそうなる。
幼児からの英語教育を否定はしていないが、いくら5歳で流暢な発音で聴き話せたとしても、『しょせん5歳児は5歳の知識の範囲でしか英語を使えない』し、そもそも知らない単語は聴き取れないし、一定の知識があれば最終的には聴けるようになるし、『ライティングが自由にできるようになれば、スピーキングは短期間の集中的な練習で上達する』という。
要はどうしたらいいのか。
『語彙がないのにリスニングやスピーキングに時間をたくさん使う前に、語彙を増やし、学習した単語を使ってたくさん作文する練習をするほうが、時間の有効利用であることは知っていてほしい』という点が、子供と言語の習得を専門とする著者からの初中級者向けの最も有益なアドバイスだ。
自分は読んで聴くというインプット学習には多少力を入れていたつもりだ。
今後は聴く以上にさらに読んで語彙を増やす訓練を心がけたい。
さらには英検でも英作文が課せられるのだからアウトプット(何より書く)学習も取り入れることにしよう。
『「楽に習得」と「楽しんで習得」は別』であり、『どの分野でも一流になった人は(中略)苦闘しつつも楽しみながら努力を重ねた結果そうなったはずである』というように、それは本書の肝といえる、「スキーマ」(氷山に例えるなら、海面に浮かんでいる氷よりも遥かに大きな海に沈んでいる部分、つまり経験によって身についた暗黙知のようなものだ)や「コーパス」(言語資料のデータベース・用例集)を駆使して、実際に著者が手間をかけつつも「楽しみながら」学んでいく過程が本書では紹介されている。
スキーマとコーパスの紹介は省略したい。
そこまで興味がある方はぜひ手に取って読む価値は絶対にある。
著者は慶應大学で教授職にあり、専攻は認知心理学、言語心理学、発達心理学で、その分野の著書多数。
英語が大好きでかなりのレベルを目指す人は読んで損のないベストセラー。
むしろ英語で論文を書く程度までを目指すマニア向けだ。
著者も自覚があるのか、全10章の全てを順番に読む必要がないと言っている点が良心的だ。
コラムで紹介されている、フィンランドの英語学習については鹿沼市においてもいかにこどもに限らず市民全体の英語力を高めるために有益な参考となり得る。
p.s.英検がなかなか受からないけれど「気長に楽しんでやろう」とあるので、市民の皆様から与えられた時間の使い方に責任を持ってバランスよくコツコツ学習していきたい(楽ではないけど)