京都はんなりロマンチカ

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日々の出来事色々・・・


 

続いての御菓印こちら

 

とらやの後、熊野の

聖護院八ッ橋本店

 

元禄二年(1689年)

京都の八ッ橋屋で最も古い歴史を持つ

本家 西尾八ッ橋と同じ年に創業

 

八ッ橋の考案者は西尾家の三代目で

板橋の形に似た焼き菓子に

『八ッ橋』と名付けたのが始まりだそう

 

一方、こちら聖護院八ッ橋

箏曲の祖・八橋検校を偲ぶため

琴をかたどった堅焼きにした菓子をつくり

聖護院の参道における茶店にて

供されたのが始まりだと言われています

 

お正月だったので立派なお鏡さん

 

 

 

和菓子屋さんらしく

お正月飾りのもなか舞玉

 

掛け軸は初日の出でした

 

1500円分以上の購入で

御菓印がいただけます

 

姪っ子、甥っ子へのお年賀に購入

 

すぐ斜め向かいに

本家 西尾八ッ橋

 

帰りに河道屋本店へも寄ってみたけど

まだ正月休み中だったので出直しです

 

更に翌日は祇園・四条京阪

 

井筒八ッ橋本舗

 

水上勉の五番町夕霧楼に登場する

『夕子』から名付けられた

生八つ橋でお馴染みです

 

井筒八ッ橋の本店のある井筒屋ビルは

『南座』の向かい側で

かつては『北座』という芝居小屋が

建っていました

 

昔の四条河原は今より川幅が広く

中州には屋台や茶店が立ち並び

大勢の人で賑わっていました

 

当時、大人気だったのが

出雲国出身の阿国が

伊達男風の扮装で披露した

『かぶきをどり』の興行

後に女歌舞伎は禁止され

男が女形を演じるようになりました

 

元和年間(1615年~1624年)に幕府は

鴨川の東側・祇園に

7軒の芝居小屋の建設を正式に認め

四条通の南側に3座、北側に2座

大和大路通に2座の計7座が立てられました

 

その後、火災の焼失などで5座が無くなり

南座と北座だけが残りましたが

明治25年、四条通の拡張に伴って

北座も廃座

 

 

こちらが実家の本棚から唯一見つけ出した

在りし日の北座の貴重な写真です

よく見てみると井筒屋ビルが建っている場所は

北座の北隣くらいですね

 

明治時代にはまだ中州も残っていて

電柱まで立ってますね

 

昔の四条通りは今よりだいぶ道幅が狭く

川端通りもなかったんですね

 

菊水ビルが建つ前の四条大橋

鴨川の河川敷が整備され

四条大橋も頑丈なものに架け替えられました

四条京阪が開通し

中州もなくなっています

 

7軒の芝居小屋が立ち並び

活気に満ちた華やかな時代と共に

この地で茶屋を営んできたのが

井筒八ッ橋本舗

 

聖護院八ッ橋を相手に訴訟を起こし

敗訴されましたが

歴史を見る限りこちらの言い分の方が

若干筋が通っているような気も・・・

(知らんけど)

 

そんなライバル店同士が

京都御菓印五店の内の二店なんですよね

 

四条通りの北側にあった

二軒の芝居小屋の所有者の名に

井筒屋助之丞と記録が残っていることから

北座は井筒屋の所有だったようです

 

商品は『夕子』以外にも色々あり

上の不二家コラボ商品や

人気の琥珀糖

鳩サブレならぬ鴨サブレ等々

 

井筒屋ビルの北角の花咲大黒天

商売や芸の道で花を咲かせてくれるそう

 

自分土産に買った

ひとくち最中

 

舞妓さんの後ろ姿が可愛いです

 

写真を撮り忘れた鴨サブレは

娘の手土産にしました

 

京都の代表銘菓である八ッ橋は

西尾八ッ橋、聖護院八ッ橋、井筒八ッ橋

あと、おたべも有名です

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