人間が持つ弱点の中で、誰でもが持っていると自覚するのが良い弱点とは何でしょうか?

 

それは嫉妬心ではないか、と思います。多分、嫉妬心とは、「自分にはない」と思っているうちはまだ克服できていなくて、「自分にはある」と思うようになった時に、克服への道が見えるようになるものかもしれません。

 

統一運動の中において、嫉妬心は問題だったかと言えば、大きな問題でした。

 

例えば郭錠煥先生は、たくさんの役職を与えられ、さらに娘が、後継者と見做された文顯進会長と結婚したことにより、全てを独り占めしているかのように見られました。文鮮明師は郭先生の家庭を模範家庭と認めて発表しましたが、それは人々の嫉妬心を減らすことにプラスとならなかったでしょう。

 

また、文顯進会長は全てを独り占めしていると、兄弟姉妹から思われました。教会内の役職は、兄弟姉妹の準備ができた段階で与えられるものでしたが、準備ができていないので、役職を与える事ができず、結果として、嫉妬されましたし、郭先生に嫉妬を感じていた教会リーダー達と手を結ぶこととなり、分裂に至りました。

 

嫉妬した人たちの口から出てきた言葉は、嫉妬であるのがはっきりしない表現だったかもしれません。しかし、根本的には嫉妬だったと思われます。

 

このような問題が将来、また発生する可能性があるか、と言えば、あります。

 

原理講論で、天使が愛の減少感を感じたのは、比較する能力のせいで、嫉妬心は、「創造本性から誘発されるところの、不可避的な副産物」だったという部分があります。これは、嫉妬心というのは不可避だということを示しています。

 

では、どうしたら、これからそのような問題を乗り越えていくことができるのでしょうか?

 

私は自分にカインとしての自覚があります。いわゆるアベルはカインの心を解く事が必要ですが、原理講論において、堕落性を脱ぐ蕩減条件はカインが立てることになっていると記されているように、堕落性を脱ぐのはカインの努力が大きいです。ゆえに、自分の課題と考えています。

 

この課題は、原理的な平等ということに関わっています。原理的な平等に関しては、別のところで書いたことがあります。(リンク)でも、嫉妬心というのは、「原理的な平等とは愛の平等であり、人格の平等」だという説明だけでは乗り越えられないかもしれません。もっと具体的対処法が必要かもしれません。各自で、嫉妬への対処法を検索してみるのも、一つの方法かもしれません。

 

ちなみに、人間の感情の中で最も怖いのは嫉妬だと言う、医学教授もいます。そうかもしれません。

 

また、嫉妬心に対処するには、まず、「私は、今嫉妬している」と気が付くことで、嫉妬の苦痛が大きく和らぐと言う人もいます。それは、嫉妬は自分が感じたくない感情なので、嫉妬していると自分が認めることに障害があり、自分を誤魔化してして正当化しながら、悪循環に入る傾向があるからだそうです。

 

あるコメディアンは、「人間は金、地位、健康の一つを失うくらいで丁度良い。皆持っていたら、嫉妬の総攻撃を受ける」と言ったそうです。

 

確かに、原理的な平等という概念が無いところではそうかもしれません。でも、神様は明らかに人間を祝福したいと思っておられ、その祝福が大きく現れる人もいれば、そうでは無い人もいるのは事実です。それぞれの背景と事情が違うので、避けようがありません。

 

もしも大きな祝福を受けた人が、「金、地位、健康の一つを失う」ことでしか、嫉妬を免れる事ができないとすれば、それは悲しいことではないでしょうか?そのような状態なら、統一運動の分裂が、再度、将来起きないとは限りません。