Neuhaus

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Pianist Neuhaus's Blog

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どうも(=゚∀゚)ノ


ここんところ近況ですが実はかなりハードな練習ばかりしてます


一日中ピアノ弾いてる感じ。


他やることないヾ(´ー`)ノ


結構体力勝負なんですが


かなり体が疲れる。


最近ピアノ演奏には芸術エネルギーが存在するという理論が私の中であります。



そのエネルギーが無いと演奏しても意味がないのです。


つまり疲れ果てているとそうなる。


芸術エネルギーが0になったらもうなにやっても無駄です。



素直に寝ましょうヾ(*´∀`)ノ゙



もしくはうまいもん食って補給しましょう。



つまるところ曲に対してすさまじいロマンティズムやらが彷彿としてこないと取り組む意味がないのです。


これは誰でも知っている事。



そこで音楽家もあれこれと曲へのアプローチに色々と主観や体験や知識や思い出なるもので


カバーしようと試みるわけですね。


ネイガウス先生がよく言ったセリフは「この曲でなにを思い出すかね(  ´_ノ` )」


というこのセリフに尽きるわけでして


霊感なりインスピレーションが得られなければ演奏する意味がないのです。



ただ機械的にここの鍵盤を押して叩いてここはこうでああで



なんかあまりに淡々としすぎてはきっと素晴らしい音楽は生まれないでしょう。



やっぱり情熱がなにかを変えるのです。


これは行き着くところ心の中の炎の問題でしょう。



では


焔に向かって(=゚ω゚)ノ

どうも(=゚∀゚)ノ


演奏会は濃厚な時間です。


そこに圧縮されたエッセンスがあります。


今やっている仕事も濃厚な時間が存在します。


そしてそれが終わったら一日の業務はほぼ終わりです。( ´ー`)y-~


指揮者は本番前にほぼ仕事が終わってます。


本番はタクトを適当にかっこつけて振るだけでしょう。


しかしピアニストも実は本番前にほぼ仕事は終わってます( *´∀`*)b


本番は



やはり


かっこつけて弾くだけでそうヾ(´ー`)ノ



それは時間的にあっというまである。



そこに全芸術エネルギーが注がれるのだから素晴らしい。



日々の練習で私は慣れ親しんでいる曲は常に本番と同じ気持ちで弾く。


100回の練習よりも一回の実践が重要になっているレパートリーはそうする。


それらはほぼ仕事が終わっているレパートリーである。


だがもしかしたら万が一なんかあるかもしれないのでとりあえず最初から弾いてみる


やっぱりなんかある( ´∀`)



今日はここが微妙だった あれが微妙だった


「微妙」この言葉が常によぎる。


まあそうはいっても 慣れ親しんでいる


今日はこんな感じだった あはヾ(´ー`)ノ


と楽しめるので良い。


なるべくどんな新しい取り組みもさっさと一回の実践に賭けて練習したいものだ。


実践を積みまくらなければいつまでたっても完成はしない。


できれば常に大勢の観客の前で堂々と弾くのだという心構えがなければ駄目であろう。


元々楽器の練習はそうでなければ上達の道はない。


これはどっかの教則本にも書いてあったと思う。


しかし


私の場合、大勢の観客の前で弾くのはいいけど


自分の耳で聴いて


「お いま凄い演奏をしてる」


と自分が感じなければはっきりいって むだである。ヾ(*´∀`)ノ゙



それがなくて他人に「よかった」とか言われても結局自己満足できないから言われてもうれしかない。


つまるところ自己満足できない演奏は糞同然である。



これに尽きた



これからもそうである



The End

どうも(=゚∀゚)ノ



オカルト情報に興味あるネイガウス( ゚д゚ )


最近ではこういった「まさかそんな」という話が結構有力な情報で信じてみたくなってくる時代になってきました!


例えばノアの方舟伝説(=゚ω゚)ノ


これは有名なお話ですよね。

ある神が大洪水を起こす事を知っている神の弟が優れた人間であるノアに知らせて

方舟を作らせて救ったという。

ノアの方舟の残骸とかが発見されているらしい。


あと古代には巨人が存在していたらしいですよ(  ´_ノ` )

その話もまた巨人の遺骨が発掘されているらしい。

ノア伝説のときも存在していたのは巨人で寿命も何百年も長かったとか。

古代は宇宙人が色々地球にやってきていたらしい。


こういう話をそんなまさかって思ったところで自分で確かめる術ってないですよね?

でもまあ偉い人達が熱心に調査している極秘データではだんだん現実味を帯びてるようです。


要は歴史学ですか

昔の人が残した書物に書いてあることって嘘偽りがあるとは思えないんですねえ。

マヤ文明とかエジプトとかギリシャとか古代の人達はその時確かに「それ」を体験したのでしょう。

だから熱心に書物に記録したのです。

まあもちろん創作の話もあるでしょう。

それは今現代でも小説とか文学の世界と通じてますし。


色々ミステリーが地球上に残されているわけですし。


例えばあるときナスカの地上絵の謎とかも

私はそれに熱心なときドビュッシーの「ピアノのために」という曲集に同時に熱中していたのが印象的。

あんま結びつきがないんですが。あと英雄的子守唄とか取り組みながら

アルカトラズの脱走の謎に思いをめぐらせたりしてヾ(´ー`)ノ


結構ピアノの芸術に取り組みながらこういう地球上で起こる様々な謎に興味を抱いてきて現在に至る。


ここんとこまたフランツリストさんの作品にも力を入れています。

彼は結構文学や宗教的で観念的作品が多いと感じています。

有名なのは巡礼の年シリーズヾ(*´∀`)ノ゙

あとヴェネツィアとナポリなど。

二つの伝説も好きですねえ

これには波を渡る聖フランチェスコとかいう曲がありますが


この「波を渡るパオラの聖フランチェスコ」なんかは

私はあのモーゼの話が思い浮かぶんですね。ヾ(´ー`)ノ

ファラオ軍に追われているモーゼ一向が海に追い詰められて

モーゼが杖を振りかざしたら海がまっぷたつになって道ができてそこを通って逃げる。

その後に到着したファラオ軍がそこを通ろうとしたら海がもとに戻っておぼれて全滅。

という有名な話。


実はこのモーゼの「海渡り」も現代の分析では物理的に地理的に起こりうる現象としてすでに

実証されています。

要は潮の満ち、引きで説明がつくんだって( ´∀`)


実際起こった事!


素晴らしい(*゚ー゚)


とにもかくにも古代に起こりえたことが証明されつつある現代の解明力のファンタジー( ゚д゚ )



きっとそのうち常識が変わるに違いない





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