1990年
本田技研熊本から、ドラフト外入団。球もそれほど速くないアンダースローで、182㌢、77㌔という細みの体である。が、中身は、西崎同様、ギリギリと絞り込まれたバネそのものでカーブ、シンカー、スライダーを操る変則投法で、一軍残留の1次試験をあっさり、突破してしまった。「球の速さは感じないが、抜群のコントロールと、打者が打ちに行く、そのインパクトの瞬間にキュッと変化するタマの切れがいい。これはかなりの掘り出し物」手放しで近藤監督は絶賛した。制球力と駆け引きで投球を組み立てる投手でクレバーである。その持ち味を発揮できれば、一気にメジャーになる資格を持っている。その可能性を内山はわずか4イニングの投球で披露した。
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1959年
プロ入り3年目、はじめて完投勝利となった蔦投手は、喜びを満面に浮かべて質問に答えた。高校時代にお父さんを失い、お母さんと二人暮らし。親孝行者と評判である。これで蔦は四勝。三勝の大津をぬいて近鉄では一番勝星が多い。「完投して疲れなかった?」蔦「疲れませんでしたが、いつも南海には五回ごろ打たれて負けていますから、まず先頭打者を打ちとりたいと思いながら投げました。六回に小玉、伊香、渡辺さんで二点をとってくれましたから勝てたんですね」サディナを打ち、祓川をくずした近鉄の闘志が蔦をたすけたともいえよう。「八回穴吹に2ラン・ホーマーされた球は?蔦「スライダーでした。きょうの試合ではじめてスライダーを投げました。よく低目にきまったので穴吹さんにも投げたんですが、高く浮いて打たれました。穴吹さんに三回に打たれたのもスライダーでした」このスライダーを多投したので、南海の各打者はそれを引っぱり凡打していた。小さいがスピードはあった。「九回はカタくなったね」蔦「完投ははじめてですから肩に力が入り、長谷川さんを歩かせました」好リードした加藤(昌)捕手が横でニコニコしながら「投げたコースがよかったよ」と力投をねぎらった。「八回二死、三塁のとき野村を2-3から三振にとった球は?」蔦「カーブをねらわれてファウルされていましたからシュートで勝負しました」ねばりにねばる野村を四球で歩かすと思われたが、シュート・ボールでよくしとめた。打ち気に出る打者はこの落ちる球にひっかかるものだ。「きょう投げた球の種類は?」蔦「きのうからの試合をみていますと、南海は外角の球をねらっていましたのでシュートを多く投げました。結局これが成功したようです。また外角に投げたのはカーブとスライダーでした」ネット裏からでは速球に見えた球が、実は全部シュートだったらしい。球のひねり方がよかったのでノビたのだろう。立派なピッチングと拍手をおくろう。1㍍76、72㌔。右投右打、洲本高出身、二十一歳、三年目。
1993年
どこのだれだ!!温和そうな顔を見て、銀行マンだの英会話教師だの言ってたのは、タネルこそは、鷹の救世主サマだったのだ。近鉄戦の連敗を14で止める108球完投2勝目。初先発初勝利を飾った四日の西武戦でも、チームの連敗を7で阻止している。それでも「連敗ストッパー?偶然だと思うよ。それよりバックに助けられたんだ」と少しも胸を張らずに静かにのたまわった。見事なまでの返礼だ。来日3試合目の登板となった十一日の近鉄戦では7回1/3で13安打8失点KO。「あの試合はコースばかりを考えすぎて失敗した。今日はストライクを取りにいくことだけを考えていたんだ」とはいえ、外角のスライダーと、内に突くシュートの絶妙なコンビネーションで、猛牛打線を手玉に取った。「頭のいいピッチャーだ。一度した失敗は忘れてないね。やっぱり野球は投手に尽きるよ」田淵監督も手放しの喜びようだった。もちろん裏では緻密な計算もされている。登板のない日はネット裏に座り、敵の打者を観察しながらタネルメモを記入する。「体を温めるには手っ取り早い」と試合中にもベンチではジャンパーを着込んでいた。メジャー仕込みはやることが違う。三万人の観衆にご威光を見せつけた平和台初見参。「今までで最高の球場だね。最初から最後まで緊張感を持たせてくれるよ」と大声援にも感謝感謝。オーロラビジョンには、スタンドで観戦するビーアン夫人(30)、エミリーちゃん(4つ)、ジェームス君(3つ)の姿も映し出され、顔はクールにハートは燃えていた。「世界一のピッチングよ!!」夫人も興奮する快投劇。そういえば…チームは42勝目。昨年の白星を早くも?上回った。