時々ふと、「通貨と人生において本当に必要なもの」について考える。
というのは、我々は通貨に縛られ過ぎてはいないか?
とくに都市で暮らす人々は。
私自身も、「お金を稼ぐ為に働く」「お金を稼げる人は偉い人」「お金を稼ぐのは正しい事」と刷り込まれて来た。
ある程度、それは通常の事なのだろう。
しかし、生活全てが通貨に縛られているという現実に、最近ひしひしと疑問を感じている。
人間社会にとって、通貨とは?
そこで表題の、「経済活動しかしない人々」に繋がる。私がまさにそうだ。
世の人も多くはそうではないだろうか。
例えば、平日夕方に駅でお婆さんが困っている。重い荷物を運べないらしい。誰も助けない社会。助けるのに躊躇する自分。(時間がかかりそう)
「荷物を持ちましょうか?」
何故それを実行出来ないのか?
保育園のお迎えに遅れると、ペナルティが課される。時間に遅れて延長料金を支払うくらいなら、素通りしよう。
…と、とても不自然である。
誰かが困っているなら、自然と助けてあげれる優しい社会でありたい。
また、とある夫が言う。
その家庭は共働きである。
夫「外で稼いできてやってるんだから、家事育児は妻がやるべき。」
妻「…」
共働き、夫の帰宅が毎日遅いのでほぼワンオペ状態。
時には夜中まで続く家事。よく風邪を引き、夜泣きをする子供。応対は妻。
ここでわかるように、夫もまた「経済活動しかしない人」なのだ。
家族がどんなに困っていようと、お金が発生しない事に関しては動こうとしない。
ざっくりした説明ではあるが、この世界に起こること殆どが、通貨を介している。
そしてその「手ぐすね」を引いている者が操れば、労働者はどんどん引き寄せられ、思うがままに操られる。
「経済活動」という「盲進」のもとに。
通貨価値についての個人的主観は、またの機会に記述する。