私が恋愛を通して

自分と向き合っているのと同時進行で、

実は父と母の、

2人の夫婦関係も見せられていました。

 

 

 

今年の初めに、

母にブチギレたことがある。

 

 

 

小さい頃から、

うちの両親はお金のことで喧嘩をしていた。

 

朝から父が、

「お小遣いくれ」と言う。

「あんたこの前もいくら使ったでしょ!」

と母が機嫌悪くなる。

 

行ってきますも、

行ってらっしゃいも、

いつの間にか言わなくなった。

 

 

働いても働いてもお金がない父と、

節約しても節約してもお金がない母。

 

体が弱く、毎月病院通いだった私。
縫うほどの怪我ばかりしていた弟。

 

 

「お金があったらお母さんは機嫌良いのかな」

「お金があったら2人は仲良くなるのかな」

「お金があったら幸せになれるのかな」

 

 

幼かった自分の純粋な心が抱いた期待が、

きっと私がお金を稼ぐ原動力の一つだった。

 

 

2人を見て育ってきたからか、

 

お金がないことで、

機嫌や空気を悪くしたくなかった。

 

お金がないことで、

好きな人と喧嘩をしたくなかった。

 

 

私は私の、

大切な人を大切にするために、

お金を稼げる自分でありたかった。

 

 

だから、

私がお金を稼ぐのは、

私自身のためであって、

家族のためじゃないんだ。

 

「お金があったらお母さんは機嫌良いのかな」

「お金があったら2人は仲良くなるのかな」

「お金があったら幸せになれるのかな」

 

これらは本人たちの問題であることを、

今年の初めにようやく理解して、

彼らへの期待を手放した。

 

 

 

その後すぐ、

私はマノアへ飛んだ。

 

 

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3週間ほどの滞在を終えて、

再び実家に帰ったら、

突然母が刺繍を始めていた。

 

それに付き合うように、

妹は編み物を始めていた。

 

 

興味があったとかやりたいとか、

一言も言ってなかったのに、

帰ったら急に始まっていたの!

 

 

3週間前のこの2人は、

「なんで自分ばかり好きなことをして、

お金もくれないんだ」とムスっとしていたのに、

(あげていたにも関わらず…)

 

 

私の中で、

 

「もうこの人たちのためにお金は使わない。

この人たちに渡すお金は”お祓い”だ」

 

と決めて家を出て、帰ってきてから、

 

まるで憑き物が取れたように、

2人は遊び心を発揮させて楽しそうに過ごしている。

 

 

 

 

たくさんある刺繍の本の中から、

「お砂糖みたいな甘い刺しゅう」っていう

かわいい本を選ぶところが、

食神がある母らしいなと思うし、

 

完成のイメージだけは完璧で、

でも初心者という現実のギャップに

早くも飽きがきている妹は、傷官らしいなと思った。

 

 

 

 

 

それから、

同じ知性の星でも、

本を読みながら刺繍をするところが

母は印綬らしいし、

 

YouTubeを見ながら編み物をするところが

妹は偏印らしい。

 

 

 

 

 

とにかく、私がブチギレて、

しばしマノアに行っている間に、

2人は「自分らしく」なっていたのです。

 

 

 

そこから2週間後の2月末に、

私はまたマノアへ飛んだ。

 

 

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10日後、再び実家に帰ってきたら、

今度は父と母が喧嘩していた。

 

 

喧嘩なんてしょっちゅうなので、

「ふーん」って感じでいたら、

父は部屋に引き篭もったまま出てこない。

 

ご飯も食べない。

 

たまにコソコソとコンビニに出かけて、

ビールとタバコだけ買って帰ってくる。

 

必ず一番風呂に入るような人が、

夜中になるまで風呂にも入らず、

誰とも口を聞かない。

 

 

そうなる一部始終を見ていた妹に、

「何があったの?」と聞くと、

 

「この前お昼ご飯の時に、

おとんが”いただきます”って言わなかったから、おかんが”いただきますくらい言え”って言ったら、それからあぁなってる」

 

っていうのね。

 

 

 

それだけ???

 

 

 

そんな子供みたいな喧嘩を、

本人たちは真面目にやっているのだ。

 

 

父は、昨年定年退職して、

今はリモートで仕事をしているんだけど、

 

まぁずっと家にいなかった人が、

今はずっと家にいるんです。

 

 

「いただきます」も言わないし、

ご飯を作っても食べないような人で、

 

でも私たち(子供)からすると、

「この人ずっとこういう人じゃん」なんだけど、

母からすると許せないことや

やるせない日々がいっぱいあったと思う。

 

言っても変わらないし。

 

そんなフラストレーションは、

もう何十年分積もりに積もっていたはず。

 

 

 

それが、

”いつものやりとり(喧嘩)”から、

なぜか父の方が爆発したらしい凝視

 

 

 

父が引きこもりになって

10日ほど経ったとき。

 

妹が私にこう言ってきた。

 

 

「今日おとんがコソコソしてるから、

部屋を覗いたら、離婚届があった」

 

 

えーーー!!そこまで!?!

 

と思ってね。

 

 

うちには関係ないと思っていた

熟年離婚という可能性が、

まさか目の前にやってきたのです。

 

 

離婚

 

 

その言葉を聞いたら、

私の中から沸々と怒りが湧いてきた。

 

それを、お前(父)が言うのか?と。

 

 

どれだけ母が今まで我慢してたと思ってる?

どれだけ虚しい思いをしたと思ってる?

 

「いただきます」って言えばいいじゃないか。

「ありがとう」って言えばいいじゃないか。

 

 

 

ただそれだけのことだったのに、

今更お前から離婚届を母に渡すのか?

 

と、腹が立った。

 

 

 

でもそれを妹に言ったら、

 

「でもおとんもおとんで、

”自分が今まで働いて養ってきたんだぞ”

って言いたんだよ。

素直じゃないのはどっちもどっちなんだよ」

 

「離婚したら、

この家はおとんの名義だから、

私たちは家から追い出されるかもねƪ(˘⌣˘)ʃ」

 

 

そう言われて、

 

なんだよそれ。

「こんなにやってあげたのに」

の押し付け合いかよ。マジでくだらなすぎる。

なんだよそれ…って、

すごいむかついてきて。

 

 

 

私は、

沸々とする怒りと向き合うために

自分の部屋に篭った。

 

そして気持ちをノートに書き殴った。

 

 

 

私の怒りは、これだった↓↓

 

これまで私たち3人(私、弟、妹)が、

どれだけこの2人の仲裁役をしてきたと思っているんだ。

 

どれだけ自分の人生を、

この2人に捧げてきたと思ってるんだ。

 

それなのに、こんなくだらない理由で離婚なんて、

許せない!!

 

 

そう、許せなかったのだ。

私も私で、「こんなにやってきた」のだから…

 

 

 

私が中学2年の時、

父が大阪に転勤になった。

 

母は「絶対ついて行かない」と、

父を単身赴任に送り出した。

 

 

父が単身赴任になって1年が経ったとき、

私は、小さい頃から可愛がってくれている

父の上司のおじさんに呼ばれた。

 

 

「まいちゃんからお母さんを説得してくれないか?

お父さん、一人じゃ生きていけないんだよ」

 

 

そう言われて、

私はその日の夜に母にこう言った。

 

 

「私、大阪の高校を受験する」って。

 

 

自分が何を思ったかは覚えてない。

 

でも、高3だった私は、

それからすぐに受験の手続きをして、

家族全員で大阪へ引っ越した。

 

 

一個下の弟は、中3だった。

 

泣き虫で真面目で優しかった子が、

地元で一番荒れてる中学に転入した。

 

それからみるみるうちに弟は変わっていった。

 

タバコは吸うは、

警察に呼ばれるは、

問題ばかりだった。

 

 

弟がなんであぁなったのか、

あの頃は分からなかったけど、

今なら分かるよ。

 

誰も知らない土地で馴染むには、

あぁなるしかなかったんだろうなって。

 

 

 

大阪での生活も5年が経った頃、

再びお父さんの転勤が決まった。

 

 

 

グレた私は夜の仕事をしていたし、

弟は大学生になっていた。

 

私は絶対に両親に着いて行かないと決めて、

2週間で一人暮らしの準備を整えた。

 

 

うんざりしていたんだ。

もう、親に人生を振り回されることに。

 

私は私の人生を生きるんだって思ってた。

まぁ、それは反抗からの行動だったけど。

 

 

その頃妹は、中学生だった。

 

 

妹だけが両親と一緒に千葉に帰り、

それから今まで一回も実家を出ずに暮らしてる。

 

妹はきっと、

私も弟も誰も2人の間に入らないから、

ずっとそばにいるのだ。

 

 

中学生だった妹も、

結婚もせず、家から一度も出ず、

あっという間にアラサーになった。

 

 

妹がいなかったら、

とっくに2人は離婚してただろうさ。

 

 

私たちが必死に繋げてきた関係を、

今更「いただきます」と言わなかっただなんて、

そんなちっぽけなことがきっかけで離婚だと?

 

許せない!!

そんなの絶対許せない!!!

 

 

 

自分の中から出てくる叫びを、

泣きながら全部書き殴った。

 

 

 

今までコミュニケーションを取らず、

言いたいことや気持ちをきちんと伝え合わず、

すれ違いにすれ違いまくってきたのは、

自分らのせいじゃないか。

 

そんな自分と向き合わず、

長年の恨みを晴らすかのように

「離婚」して「家から出てけ」だなんて、

 

もしそんなことこの親父、

家族に言いやがったら、

 

私はおばあちゃんにも、親戚にも、

ご先祖様のお墓にも、

おじさんのお墓にも、

 

全員に謝りに行くからな!!!!

 

 

 

「みんなが何とかして繋げようと

気にかけてくれていた2人は、

 

きちんと話し合うこともできず、

最後までお互い素直になることもできず、

こんなくだらない理由で離婚しました。


本当に申し訳ない。

 

って、全員に言うからなー!!!!!」

 

 

ぐっちゃぐちゃになりながら、

そんなことさせんじゃねーぞ!!!

って怒りに震えた(笑)

 

 

 

私の怒りの真相は、

 

「私はあなたたちのために、

こんなに人生捧げてやったのに!」

 

じゃないんだ。

 

 

 

離婚したければすればいい。

それは2人が決めることだから。

 

 

 

だけどそれは、

「幸せになるため」の選択であってくれよ。

 

「不幸になるため」だったり、

「当てつけ」のような選択はするなよ。

 

 

なんでこのクソ親父は、

自分が一人じゃ生きていけないことに

自分だけが気づいていないんだ。

 

お前、お湯しかわけせねーだろ!!!

 

 

おかんもおかんで、

どっからどう見たって本当は

このクソ親父のことが結局好きじゃんか!!

 

 

なんで、自分のこと、

何もわかってないんだよ。

 

恋をして、結婚して、

2人で親になるという責任を受け入れて、

もうすでに愛の中にいるんだから、

お願いだから「幸せ」を選んでくれよ。

 

 

 

そうやって、

その日の夜は一人で泣いた。

 

 

 

 

 

 

次の日。

 

 

父が、上司のおじさんのお墓参りに行くと言って、

私を誘ってきた。

 

いつもなら行かないのだけど、

今日は行こうかなと思って一緒に行った。

 

 

この2週間ほど、

ろくに食事もせず引きこもってて、

完全になんかに取り憑かれてるだろ…

って感じの父の背中を見ながら、

 

 

私はおじさんのお墓の前で、

 

「この人は今も変わらず、素直じゃないです。

私たちの助けがないと、すれ違ってばっかりです。

 

だけど、まだもう少しこの人を見守っていて欲しいです」

 

って心の中で話した。

 

 

 

 

帰りに、お墓の近くにある香取神宮によってもらい、お昼ご飯を食べていた時、

 

母から、

「鍵を忘れて家に入れない」

と連絡が来た。

 

 

ちらりと父を見たら、

「まったくあいつは」と言いながら、

早く帰ってやるか。と言った。

 

 

 

 

それから少しずつ、

父は部屋から出てくるようになり、

 

ようやく数日前から、

母と一緒にご飯を食べ始めた。

 

 

 

そして昨夜の夕飯の時、

テレビに映る牛丼を見ながら、

 

「これお前(母)がいつも作るのに似てるな」

と言った。

 

 

母が、「そう?」と言ったら、

「俺はお前のがいいけど」

と言った・・・!!!!!!!!!!!

 

 

 

俺はお前のがいいけど

 

は??????

 

 

 

ちょいちょいちょい!!

そんなこと、言ったことないよな?????

言うような人じゃないよな??

 

 

信じられない凝視!!!!

一人でニヤニヤしてしまった(笑)

 

 

 

そして今日のお昼の時に父は、

小さな声で「いただきます」を言ったw

 

 

 

さらに驚きなことが、

昨日から父が近所の畑を借り始めたってこと!!

 

 

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何年も前からやりたいとは言っていた。

 

でも、

年間費とか諸費用と手間を考えたら、

野菜は買った方が安いんじゃない?

そんなに育つの?やれんの?

 

と、母が余計なことを言うので、

結局口をへの字にして話が進まなかったのだ。

 

 

それがいきなり始まったんだけど…チーン???

 

 

私がいつも犬の散歩しながら

インスタライブしている辺りの場所で、

父がリモートの仕事が終わったら、

すぐ行ける距離に畑のレンタルがあったの!

 

 

 

 

これ、私が一人でわんわん泣いて、

翌日おじさんのお墓参りに行ってから、

たった10日間の話😂

 

 

畑をやるのを妹も手伝い、

母は本をプレゼントしていた。

 

 

 

 

多分父は1ページも開かないと思うぞ・・・

 

 

 

 

そして本当は、本なんかいらなくて、

一緒に畑やりたいんだと思うんだよな…

 

でも母の行動力の星は、

そういうタイプじゃないんだよなーー

 

 

と一人で、

「なかなか気が合わない二人」を

眺めています。笑

 

 

 

 

多分、離婚届はもう、

破り捨てられているだろう。

 

 

父は、離婚届にサインをしながら、

その未来を想像したのかもしれない。

 

何を思ったのかは分からないけど、

きっとご先祖様やおじさんたちにも、

私の怒りであり祈りが届いたのかもしれない。

 

 

一緒に行った香取神宮で、

何か憑き物が祓われたのかもしれないし、

 

とにかくどんな心境の変化なのかは、

本人のみぞ知る・・・・

 

なのだけど、

 

母が刺繍を始めたように、

父もまた「自分らしさ」を取り戻している。

 

 

引きこもってパソコン作業しているより、

畑に出ているほうがずっと「らしい」じゃないか。

 

 

 

 

そして私は、

涙が出るほど深く自分と向き合いながら、

親の前での子供としての「私」が解放されていくのを感じている。

 

 

両親を見ながら、

「どうしてこんな未熟なまま、結婚したの?」

とどこかで思っていた。

 

私はそうならない、と。

 

 

でも、今回一連の流れを見つめながら、

未熟なままで十分なのだと思った。

 

未熟者同士だけど、

それでも愛することを誓ったからこそ、

家族も親戚も上司もご先祖様も、

皆が愛が続いていくように、手を差し伸べるのだと。

 

 

もちろん世の中には、

離婚を選ぶ二人もいるけれど、

 

それはそれで、

その選択の先にそれぞれが幸せであれば、

誰も責めたり、否定したりはしないんだ。

 

 

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このお守りはまるで、夫婦のようだ。

 

 

親のために生きてきた私がいることに気づきながら、

私も私らしさを取り戻している。

 

きっとその応えが、

目の前の人たちにも現れているのだと思う。

 

 

 

最近は泣いてばかりだ。

 

だけど悲しい涙ではなくて、

自分が癒されるために流れている涙。

 

 

 

 

昨年の年末に、

氷川神社にお礼参りに行った時。

 

自然と口から出た言葉は、

「私、結婚します」だった。

 

 

 

 

だからなのか、

今年は見せられることや、

気付かされることがたくさんあるなぁ。

 

 

 

愛していても、

言葉にしなければ、

伝わらないことっていっぱいあるし、

 

言葉の限りを尽くしても、

伝わらないことがいっぱいある。

 

 

感情のまま言葉にするよりも、

少しくらい心の中で熟成させた方が良い時もあるし、

熟成させすぎて腐ってしまうこともある。

 

 

お互いがお互いを思うからこそ、

言いたいこと、言えないことがあるけど、

 

「本当はそんなことが言いたいんじゃない」

っていうことで傷つき合うのは悲しいよね。

 

 

今回私は、

父と母の2人の様子を見ていたから、

 

だから、好きな人に好きだって

伝えることができたと思うんだ。

 

 

すごい人だと思うから

大丈夫だと思ってるんじゃなくて、

好きだから信じてるんだよね。

 

心配してるから言ってるんじゃなくて、

好きだから心配するんだよね。

 

 

っていう、

自分の根本を大事にしたいなぁと

改めて思ったのです。

 

 

 

今、父と畑から帰ってきた妹が、

興奮気味にこう話してきた。

 

「おとん、すごい生き生きしててさ!

あんなに引きこもってたのに信じられない!!」

 

だって🤣

 

 

 

現実が変わる、

自分と深く向き合う21日間。

 

4月3日から始まります。

 

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