「純粋士業批判」 ―筋肉弁護士・失敗小僧・福永弁護士・かようまりの…―
「真の哲学者とは」 高澤 一成
2025年6月29日 21:10
「純粋士業批判」(※NHK党界隈の配信者の士業のみ)―筋肉弁護士・失敗小僧・福永弁護士・かようまりの…―
道徳のない士業系配信者から日本を守る!!
(X ポンセ・スイーツさん)
世間を騒がしているNHK党の界隈には人としての最低限の社会性が欠如して、微塵の謙虚さもない傲慢な士業系配信者が多い。
しかし、専門分野である法律論を除く、荒唐無稽な彼らの人生哲学や政治論、経済論までをも信じてしまう人も最近は増えつつあるので、哲学者・道徳家として日本国民のために警鐘を鳴らしておきたい。
法はその根底において、道徳的原理にもとづくものが多い。たとえば、刑法上、犯罪とされている殺人・窃盗などは、道徳的にも是認できない反倫理的行為である。
「理解しやすい政治・経済 改訂版」(文英堂)
そもそも法律の多くは人間の道徳から成り立っている。
しかし、NHK党界隈にはびこる士業配信者界隈では、道徳そのものが全否定され、あるいは軽視されている。
つまり法律論だけを振りかざして、いわば再生数を稼ぎつつ、法律業務に加え、毎月高額なYouTube収益を得た上で、他者に対して暴言を吐いたり、法律マウントを取って、我が世の春を謳歌しているのである。
彼らの優越感から成るゴーマンな人生観と、その発信は、弁護士や司法書士といった有資格者としてなまじ社会的信用性がある分、立花孝志氏以上に悪影響であり、日本人本来の謙虚さや他者配慮を始めとした道徳倫理観を破壊し、少なくとも歪めるものである。
若き天才弁護士、桜井ヤスノリ氏を批判する
(X 筋肉弁護士)
「筋肉弁護士」こと桜井康統(やすのり)氏は、福永弁護士と同様、Xで人様に対していきなり「お前」、「クズ」、「雑魚」など、社会性と他者配慮のない暴言が多く、弁護士にも関わらず、過去に「キチ○イ」というワードでXのアカウントを凍結されたことがある。
「そんなしょうもないプラットホーム、こっちから願い下げだ」としつつも、YouTubeで人気が爆発して以降、Xを再開して、ドワンゴ創業者であるかわんご(川上量生)さんに対しても、一切の敬意なく「雑魚」という、全く客観性のない暴言を吐いてひんしゅくを買っている。
彼らのベースとなっている思想は、他者を自分よりも下に置く「優越感」であるが、私が尊敬する美輪明宏さんは、「オーラの泉」で某ベテラン男性俳優が「優越感」という言葉を口にした時、厳しくたしなめて批判した。
そしてこのような他者の存在を一切顧みない優越感だけを全面に出して世の中を渡り歩くことは、ヘーゲル哲学によって厳しく批判されている。
ヘーゲルはこういった精神を自らを実現する精神の最も貧しい形態であると表現しておりますが、他人を我が物にしてしまう。他人を自分のとりこにしてしまう。そういうあり方であるわけです。
「世界は自分しかいない、自分の世界だ」と、こういうふうにいわばいい気になっているわけですね。ところがやはり世界は世界だと。社会は社会だということで強烈なしっぺ返しを受けると。社会、世界によってヘーゲルはこれを普遍的なもの、…要するに世間、社会であるわけですね。それによって襲撃され、襲われ、破滅させられるのだと、こう言うわけですね。
「思いあがった個は社会によって襲撃され、やがて没落していくのだ」と。
(放送大学 髙山守(東大教授・日本哲学会会長) 「ヘーゲルを読む」 )
但し私の本記事の意図は、これら士業系配信者に対する攻撃ではなく、優越感という概念を否定した美輪明宏さんと同じ「批判」であることをまずは留意していただきたい。
「批判を欠くと、理性はいわば自然状態にあるようなもので、その主張や要求を貫徹し或(あるい)はまたこれを確保するには、戦いによるよりほかに途はない。…このような批判こそ、我々に平安な法的状態を与えるところのものである。」
(カント著 篠田英雄訳 「純粋理性批判」より )
また、桜井氏は「大衆を啓蒙する」と言っているが、少なくとも彼らのXを見る限り、人としての最低限の道徳倫理が欠落しており、その資格が微塵もない。
それは実社会で初対面の人に対して、「相手を侮辱する感情」を全面に出し「こいつ(お前)」、「クズ」、「雑魚」などという暴言を吐けば、絶対に人間関係自体が成立しないし、時にパワハラなどの非難を受けるだろうから。
また、彼らは自分たち以外の一般国民を最初から見下し、いわば社会そのものに対して資格マウントを取っているのだが、レヴィナスによれば「他者」とは超越不能である。
「見ることが…かりそめの外在性しか設けない…以上、無限的他人とは不可視のものである。
不可視のものは極高在である。…極高在は高さ以上に高いのだ。
…自我に内在する他者性…とは見せかけでしかなく、いわば幻覚…でしかない。
…非暴力とは他人の尊重である…。…モラルは哲学の一分枝ではなく、第一哲学なのである。
レヴィナスは…倫理関係一般の本質を規定しようとしている…。
…他人との関係とはある「神秘」との関係である。」
(ジャック・デリダ著「エクリチュールと差異」)
当たり前の話であるが、アリストテレスによれば、人間は「社会」に生きる動物(ポリス的動物)であり、他者への尊重(レスペクト)、他者配慮こそが大前提である。
たとえば社会の構成員は社会インフラの恩恵を享受している。他者配慮すなわち社会に対する配慮ができないこれら士業系配信者は社会インフラのない無人島に行くしかない。
また、「他者を尊重せよ」という最低限の道徳は社会思想家のジョン・スチュワート(J.S.)ミルと哲学者の西田幾多郎が次のように述べている。
「ある個人の行為が、…法定の権利を侵害するという程度には至らないにしても、…他人の幸福に対する当然な配慮を欠いている、という場合はありうる。このような場合には、…世論によって処罰することは正当であろう。」
(J.S.ミル著 塩尻・木村 訳 「自由論」)
「カントに従えば、…即ち人格は絶対的価値を有している。…他人の人格を敬し、目的其者(そのもの)として取扱えよ、決して手段として用うる勿(なか)れということであった。」(西田幾多郎著「善の研究」)
私はここで、J.S.ミルの言う「当然な配慮を欠く」士業系配信者に対し、J.S.ミルの言う「世論による処罰」を行っている。
これら士業系配信者は、資格や収入の額だけを見て、資格のない人や低収入の人をモノ扱いして当たり前のようにマウントを取っているが、西田幾多郎の言うように、人を決してモノ(手段)として扱ってはならないのである。
一方で、広く社会問題として認知されている立花孝志氏の言動は荒唐無稽かつエンタメと化しており、また、彼が引き起こしてきた様々な犯罪のテレビ報道もあり、影響を受ける人は極めて限定的なものとなった。
桜井弁護士のモットーは「是々非々」であり、それ自体は正しく、法律論も理路整然としているだけに、人としての最低限の社会性や他者配慮を欠く発信はすべてを失わせるものであり、「月刊WiLL」の近藤倫子さんの弁護を担当する代理人の仕事も、野中信敬氏ら同志となる他の弁護士に対する批判によって、受けることができなくなってしまい、YouTubeで号泣していたので子どものような純粋さは垣間見ることができる。だが、飯山あかり氏と野中信敬弁護士の間に双方の合意がある以上、第三者がそこに介入してそれを破棄させる権限などない。つまり桜井氏にはなんにでも口を挟もうとする人としての未熟さがある。
一方で桜井氏は、立花孝志氏とNHK党の問題を知ったのが昨年10月の兵庫県知事選以降という新参者であり、2018年から7年間一貫して見てきている私に対しては、私が情報を提供するための交流を申し出ても数カ月以上、一切関心と配慮がない対応をしており、長年この問題を追っている人たちに対する敬意がなく、そのため的確な情報を集めることすらせず、これまでの経緯や事情をほとんど知らない状態で、ちだい氏はNHK党の立花孝志という政治家がデマの拡散によって竹内元県議を死に追いやったことに対する、同党へのJ.S.ミルの言う「道徳的非難」であり、民衆の抗議であるにも関わらず、選挙ウォッチャーちだい氏に対し、断片的な違法状態を以て、公共性のあるちだい氏の側だけに暴言を浴びせていたため、誤解と対立が生じている。
しかし、桜井氏がちだい氏を批判し、全否定するなら、桜井氏は世界中で起きているような、権力者の側に対して大衆の怒りの声がぶつけられる、社会性や公共性のあるデモも全否定しなければ、一貫しているとは言えなくなる。
最後に人気ユーチューバーの筋肉弁護士(桜井ヤスノリ氏)は、「二項対立ではなく、是々非々で」、「すべてが正しくてすべてが間違っている人はいない」、「相対主義で物を見ろ」として、一見して正論を言っているかに見えたが、6月24日の配信で彼自身が彼自身の信条と完全に矛盾していることを言い放っている。
つまり、吉野敏明氏や原口一博議員の不可解な一面だけを拾い上げて、彼らの言説の全てを全否定するという姿勢である。
桜井氏は「どんな人に対しても是々非々で判断する」のではなかったか?
むしろ吉野氏の橋下徹氏と上海電力に関する分析は日本の安全保障に叶うものであり、原口一博議員の国会における感染症の某医薬品に関する感染予防効果の水増しと死亡率の上昇に関する質問は日本国民の生命に関わるものである。
そして「あいつらはしょせん陰謀論者だから」と、桜井弁護士が言う「1ビット脳」で決めつけて、士業系の上流階級に共通する「自民党の政策はすべて正しい」、「移民政策はすべて正しい」という結論で終わっている。
果たしてそうだろうか?
移民政策については次に批判する司法書士の失敗小僧氏も強調しているため、そちらの方で叙述する。
人気司法書士配信者、失敗小僧氏を批判する
(YouTube 失敗小僧氏)
失敗小僧氏は、熱心な立花氏の支持者だったさとうさおり氏の当選を受け、さとうさおり氏を批判する私のような人たちに対し、「仕事ができない人ほど他人の批判が多い」とする挑発的なサムネを上げた。
さとうさおり氏は多くの犯罪を起こしている立花氏をこれまで一度も批判せず絶賛し、「たとえ立花氏が刑務所に行っても応援する」と公言していた人物である。
つまり失敗小僧氏は、順法意識のないさとうさおり氏を批判してはいけないというのだ。そして、「さとうさおり氏を批判するやつは仕事ができない」と。
さとうさおり氏は仕事ができるだろうか? 仕事ができるならなぜNHK党の会計は大きな問題を抱えてきたのか? なぜ立花氏が刑事で追及されないために会計上のアドバイスをしてこなかったのか?
昨年の「リハック」でさとう氏はNHK党や立花氏との現在の関係を完全に否定しながら、その直後の兵庫県知事選は、わざわざ兵庫まで行って立花氏の第一声に駆け付けている。
黒川敦彦氏や彩羽さくらさんからの、自身が会社役員を務めるリノシーに関する質問について一切答えなかった。
しかしさとう氏について何も知らない河村たかし議員らの影響力を利用する形でさらなる人気を博し、都議選に当選してしまった。
さとうさおり氏は人としての誠実さが皆無であり、追及された時は女性を利用して被害者を装う。
そして立花氏は「さとうさんは政治家女子に応募してきた」として、さとう氏が経歴を隠していることを立花氏自身が立証している。
また、仮に失敗小僧氏の言うように、たとえ仕事ができても 、人としての最低限の道徳がなければ話にならない。 まして政治家であるなら。
「法の概念を政治と結びつけることが…必要であり、法の概念を政治を制約する条件にまで高める必要があることを考えると、政治と法の概念を…結合させねばならない。…その結びつきとして考えられるのは、道徳的な政治家の概念で…ある。道徳的な政治家とは、国家戦略の諸原理が、道徳に反することのないようにつとめる政治家で…ある。」
カント著「永遠平和のために」中山元訳
哲学者カントは「政治家には道徳が必要」と言っている。
さとうさおり氏に警鐘を鳴らしていた岩井清隆さんの死もあり、立花氏の追っかけであるさとうさおり都議を私が支持することは金輪際絶対にない。
また、たとえ仕事ができなくても、日本は北朝鮮や中国ではなく、民主主義で、言論の自由があるのだから、政治家を批判すべきである。
ましてさとうさおり氏は立派な政治家であり、私は自分がさとうさおり氏について情弱なことを棚に上げて「仕事ができるマウント」を取って、他の人の言論の自由を否定するような人の動画を見ることは金輪際ない。
「仕事ができない人は政治家を批判する資格がない」というのが失敗小僧氏の主張だ。そうした人たちを失敗小僧氏は見下し、人とも思っていないのだろう。しかし、ヘーゲルは次のように言っている。
「万人がまた各人のために働いている。だから、各人の『自分のため』は共同性とつながっていて、…だれの役にも立たないことなどできはしないのである。」
(ヘーゲル著「精神現象学」作品社)
失敗小僧氏は、「外国人とは仲良くした方がいい」、「LGBTは認める方向になっている」として、自民党の政策を擁護している。
だが、それらは当たり前の話であって、移民政策やLGBT法に反対している国民はそういう普遍的な真理を問題としているのでは全くない。
なぜ日本だけが世界の流れに逆行して極端な移民政策を採らなければならないのか?
女性の人権が弱い中東や中国を差し置いて、すでにして女性が強い日本だけが伝統、文化、社会秩序を解体するようなジェンダー平等やLGBT法案を押し付けられなければならないのか?
極端な移民政策を転換することや、日本の社会秩序を破壊するLGBT法案の問題を、普遍的な一般論とすり替えてはならない。
日本は人手不足であり、移民が増えても問題はないと失敗小僧氏は話す。
しかし、移民政策や外国人優遇政策の継続は日本の治安の悪化や社会保障制度の破壊に他ならない。
さらに最近は以下の3つが大きな社会問題となった。
①中国人が突然マンションのオーナーになって、居住する日本人の家賃を2倍以上の金額まで引き上げたこと。②ペルー人が高速道路を逆走して2台と事故を起こし逃走したこと。③タイ人4人が八王子で民家に強盗に入ったこと。
これでも日本は移民政策をこれまで通り進めるべきだろうか?
「ドイツ家族省の最新調査では、移民の流入時期と犯罪率の増加に因果関係があることが明らかにされた。社会保障費は1年で73%増加」(堤 未果 著「日本が売られる」幻冬舎)
私が言いたいのは、失敗小僧氏や筋肉弁護士など、上流階級の士業系人気ユーチューバーの高額所得者の人たちが、そこまで移民政策に反対する人たちをバカにして移民賛成を連呼するなら、彼ら自民党支持の上流階級の士業系が短期滞在の外国人の高額療養費を負担すべきということだ。
私のような低額所得者は、普通に士業系の上流階級の高額所得者の政治論や経済論を絶対に信じてはいけない。
私は100:0 で、失敗小僧氏や筋肉弁護士といった自民党支持の士業系よりも、通商産業省に入省後、内閣情報調査室内閣参事官を務めた藤和彦氏や東京銀行入行後、豪州東京銀行取締役頭取などを歴任した菊池英博氏の政治論、経済論を信じる。
ことに、菊池英博氏の「ゆうちょマネーはどこへ消えたか」によれば、2000年以降、特に小泉政権のデフレ政策によって、国から地方への支出が100兆円も削られ、地方が疲弊した。
そして財政投融資で日本国内で回るべきゆうちょマネーが、小泉政権の郵政民営化によって海外に流出し、イギリスの「ファイナンシャルタイムス」では「日本がアメリカに350兆円をプレゼント」と題する記事が掲載された。
三橋貴明氏によれば、現実にはかんぽ生命から1.2兆円、ゆうちょ銀行から最大22.7兆円が外国投資に化けて流出していった。
さらにアメリカの金融業界は農協マネー(農林中央金庫)やJA共済マネーを欲しがっている(三橋貴明)。
また、元農林水産省の鈴木宣弘氏によれば、全共済には55兆円、農林中央金庫は運用資金だけで100兆円あって、農協解体の部会長である小泉S次郎が海外に流出させる手口は郵政民営化と同じと指摘している。
そもそも失敗小僧氏が推奨する外国人労働者は、日本で最も不足している介護士の仕事を全くやりたがらないし、そもそも日本語をある程度習得できなければ、介護業務自体できないし、外国人を入れることで日本人介護士の給与も引き下げられてきた。
「外国人も裸足で逃げ出す介護業界…2018年になっても、介護職へ申請してきた技能実習生はゼロ、誰も応募して来なかった。…介護士の日本語能力が入居者の生死に関わる」(堤 未果 著「日本が売られる」幻冬舎)
経産省によると2025年には43万人の介護士が不足するが、介護士に最も必要な能力である日本語ができる日本の刑務所の受刑者の中で、希望する受刑者にのみ介護士業務をさせ、その見返りとして特別模範囚として、刑期も大幅に短縮するというのが私が掲げる日本にとって現実的な政策だ。
無論、受刑者にどこで介護をさせるかという場所の問題もあるので、介護報酬を引き上げて、53万人いる資格保有者を介護の現場に呼び戻すことが介護政策のもう一つの両輪として考えられなければならない。
司法書士かようまりのさんについて
私はかようまりのさんが全く嫌いではない。なぜなら、彼女の生い立ちはYouTube「AJチャンネル」に出演した元交際相手によって知られ、彼女のX上での暴言は、さとうさおり氏のそれとは違って表裏のないものであり、社会が更生させるべき若い女性だからである。
かようさんは請求書受け取り代行サービスや登記など、元交際相手である立花氏の悪行を一手に引き受けてしまっている。それは粟飯原(あいはら)美佳さんも同じだろう。立花氏の指示によって、かようさんとは全く関係ない豊田弁護士や山中裕氏を批判するnoteを書かされ、先日は大津綾香氏をだまして深夜に呼び出した件でも、立花氏のために心無い発信をしていた。かようさんはすでにして悪名が広まっている。私から批判することは何もない。立花氏と手を切ることがかようさんが真人間となる第一歩だろう。従順な女性が速やかに救済されることを願っている。
福永克也弁護士について
福永氏もすでにして「月刊WiLL 8月号」の郷原信郎弁護士と飯山あかり氏との対談で濫訴をする問題弁護士として名指しされ、そもそもがNHK党の候補者で立花氏側の代理人であるため、その言説を真に受ける人は立花支持者などに限られ、笑いの領域に達している。
「俺のツイッターは公文書より上だ!」
(X mayuta66 さん)
「登山家弁護士」、「ガムテ(大川宏洋氏いわく)」の愛称で親しまれ、筋肉弁護士の友人でもある。何より数多くの民事訴訟を戦ってきた山口三尊さんの生涯のライバルである。
私の中で、NHK党問題を描く予定である「立花孝志との戦い ネットの誹謗中傷」を映画化、ドラマ化するなら、配役は立花孝志氏が荒川良々(よしよし)さん、福永弁護士は沢村一樹さんで固まっている。
(6月11日 フジテレビ「Dr. アシュラ」 )
「真の哲学者の場合にあっては、非個人的なものは何もない。そして、特に彼の道徳こそは、…彼が何者であるかを示す。
―換言すれば、彼の本性のもっとも内的なるもろもろの衝動が、
いかなる順序をもって配列されているか、を示す。」
(ニーチェ著 竹山道雄訳 「善悪の彼岸」)
「仁義道徳と生産殖利とは元来ともに進むべきものであります。」
渋沢栄一
哲学者 高澤 一成