歴史の謎について
論じているものの多く
怪しげな出典
もとに論じているので
深く関わりあうこと
避けてきました
広島長崎は
人類史上初の核惨事であり
呉市から撮影
核兵器が
対人兵器として明白に使われた
最初の出来事です
使用者は米軍
自明のことと扱われてきました
私も
それを否定するに足るだけの
材料は持っておりません
しかしながら
ここには
ずっと自明のことでありながら
誰も問いかけすら
行ってこなかった
なかなか
解決するに困難な
重大な疑問点が一つ
横たわっています
問いかけが
行われなければ
問題は永久に解決されません
日本側アメリカ側
両方の抱えていた問題を
突き合わせれば
たちどころに
わかるはずなのに
誰もそれをやってこなかった
何者かによる隠蔽があった
可能性がありますけれど
隠蔽するまでも
なかったのではないか ?
双方の諸事情
ある程度分かっていれば
おそらくそういう関係者
たくさんいた
と思われますけれども
すぐにわかった話
怪しげな資料など
持ち出さなくても
たちどころに分かる話
それが
『ヒロシマ・ナガサキ一発必中の謎』
1945年8月6日以前
広島市内で
たくさんばらまかれていた
おそらく
米軍が空から投下した
と考えられるビラ
近々この辺りに
新型爆弾が投下されるから
という話
ビラの多く
回収されていた
自分だけ助かってしまった
という後ろめたさから
戦後も長いこと持っていた人
大勢おられます
ビラの多くは
当時の円札
空から
おサツが降ってきた
見てみると
それはお札ではなかった
お札の表半分しか
印刷されていないビラ
そして裏に
警告文
近々広島に
新型爆弾が投下される
広島市街地内に入らぬよう
本物を見たことがあります
これをもって
対人被害を
できるだけ減らそうとした
市民の巻き添えを
減らそうとした
考えるのは早計
広島長崎の
対人核攻撃
文字通りたくさんの
被害者が出る状況を作り出し
核兵器による
都市攻撃によって
どれくらいの被害が出るか?
実験するためのものだった
期待される
データ
できるだけ
都市住民が
暮らしている状態で
集められる方が
より望ましかった
周辺部から沢山
人が来ている状況は
望ましくなかった
だからそうしただけ
おそらく
1発か、2発しかできない
後々人道上の問題が言われること
アメリカ側も重々承知
最初から
対人被害実験の人体実験
爆発すれば
どれくらいの威力か?
前からわかっていた
核兵器の被害想定
米軍側が作っていました
第一次世界大戦中
カナダの軍港沿岸で起きた大事故
Wikipedia で
『ハリファックス大爆発』
ググれば出てきます
1917年12月に起きた
ヨーロッパ向け
大量の軍事爆薬原材料
この時は ピクリン酸
これを満載した船が出港
直後に火災を起こし
乗組員は全員退避するか死亡
大火災を起こしながら
貨物船は漂流
珍しい話だから
たくさんの見物人
めったに起きないことが起きた
爆薬は火薬とは違い
単なる火災程度のこと
では誘爆しません
爆発させるには
専用の信管・雷管か
高電圧によるスパークか
『導爆線』と呼ばれる
細かな爆薬をまぶした
水中でも燃える
特殊な着火装置が必要に
しかしこの時は
なぜか爆発した
おそらく製品の爆薬ではなく
ピクリン酸
だったことが原因
と考えられている
この時の爆発
広島・長崎以前では
製造物の爆発としては
史上 最悪と言われ
目撃者は全員死亡
広島・長崎の被害想定
この時の調査をもとに
作られています
やれば何が起こるか?
実験するまでもなかった
あくまで
核兵器による
対人被害が
どれくらいになるか?を調べる
それが唯一にして最大の目的です
ただこの時の米軍
ひとつ重大な問題を抱えていた
彼らはこの
人体実験をやるにあたって
躊躇などひとつもしていない
多くの人命が失われる云々
気にしていた形跡
ほとんどありません
ドイツでは
ハンブルク空襲があり
ドレスデンも破壊
ハンブルク空襲
街全体が巨大な火災旋風に
巨大な炎の竜巻が
100キロ以上遠隔の場所でも見えた
東京は二度大空襲に
以前に
申し上げましたけれど
現在でもおそらく
意図的に嘘が流されている
東京大空襲
B 29による高高度爆撃
ではありませんでした
超低空侵入による
焼夷弾攻撃だった
B 29は
与圧構造のコクピット
日本は結局
それが作れなかった
高度一万メートルを
飛行しても与圧服を着ずに
過ごすことができた
しかし
窓も開けることができた
東京大空襲の時
窓を開けると
下の悲鳴が聞こえたと
それくらい超低空を飛行
まさに
都市部の目標を
正確に焼き払い
実験するためのもの
高高度侵入
では出来なかった
なぜなら彼ら
ドイツとは違う日本の特殊事情
ジェット気流の
爆撃への影響
あまりにも軽視した計画を立て
実際に
サイパン・テニアンから
日本空襲へ
飛びたってみると
うまくいかなかった
投下した爆弾
2割以下しか命中しない
田畑にのめり込むなどし
現在まで不発弾になったまま
この問題は
戦略爆撃の責任者だった
カーチス・ルメイ
大いに苦しめることに
連日連夜
大量の爆撃機が
大量の爆弾投下
にも関わらず
期待戦果が挙げられない
爆弾だって
安価で無尽蔵には 作れない
大変高価な兵器
米軍はおそらく
500 kgや 1トン
という爆弾なら
風の影響など大したことは
と思っていた
しかし
ジェット気流の威力は絶大
一万メートル上空から
0.5 & 1 T という
大きな爆弾を投下しても
目標から
話にならないほど
所期の成果があがらない
ちなみに
真珠湾第一次攻撃隊
史上最も正確な
爆撃技術を持っていた
と考えられ
ナチスドイツの
ルフトバッフェ
ユンカース急降下爆撃機隊による
攻撃においても
なかなか
100 M 以内を切れなかった
爆撃目標半径ですが
真珠湾攻撃の攻撃隊
30 M を切っていた
と考えられている
実際その後行われた
シンガポール攻防戦では
イギリスの主力戦艦
Prince of wales
戦艦尾部の 舵破壊に成功
巨大戦艦
Prince of wales は 航行不能に
同じ場所を何度も ぐるぐる
日本軍の猛爆撃を喰らい沈没
この成果は
連合軍側を驚嘆させた
注意が必要なのは
このテの話は全て低空爆撃
爆撃はそれだけ難しい
戦艦は
長射程の 対空砲を持っています
超低空侵入ではなかったにしても
飛行機が見えないような
高さではありません
ましてや
一万メートル上空から
一発の
500 k ・1 T の爆弾
目標地点に正確無比に爆撃する
熱線誘導装置でも
ついていない限り
爆弾そのものにですよ
日本軍
『ケ号兵器』と言って
そういうものを開発はしていた
あの糸川英夫博士や
後に SONY を作ることになる
井深大、盛田昭夫の両氏も
開発に参加
目鼻がついていた
当時米軍
これと同等の兵器を持っていた
という記録はない
投下された原爆に
搭載されていた記録もありません
あれば彼らは
自慢しているはずです
隠さなければならない理由はない
そうしたものが
ないのならば
昭和20年8月の段階
米軍でも不可能だったはず
そうであるがゆえに
東京大空襲
のようなことを
せざるを得なかった
もしあの時
東京に
高射砲が並んでいて
B 29編隊を
地上から迎撃したら
どうなった?
七面鳥撃ち
確実にそうなった
そうならなかったのは
日本側が無防備だったから
劣勢の各地で高射砲が足りず
東京防空目的高射砲移動
その結果
首都・東京が丸裸
日本軍の恥ずべき大失敗
責任回避のため
『B 29が高所から爆撃』
というフィクション
見てきたような
嘘っぱち未だに
東京大空襲
3月10日と5月27日
2度行われています
最初は
下町人口密集地
二度目は
都心近くです
乃木坂で大量の死者が出た
ほとんどが小学生
だったという
日本軍の高射砲が
足りなかったから可能だった
超低高度侵入爆撃
広島・長崎は違う
高いところから
核爆弾投下され
広島・長崎上空
爆発目標高度まで落下
それまで
極めて短時間
エノラ-ゲイ号
遠くに逃げる必要が
つまり
原爆投下は
米軍が
正確無比な爆撃を
期するため
おこなった
従来の
超低高度侵入では
不可能な作戦
高いところから
行わなければ
しかし
爆弾は爆弾で
核爆弾だからといって
別段変わったところ
見てくれ
普通の1トン爆弾
500キロ爆弾と変わらない
しかし
最初の広島
二度目の長崎ともに
爆撃目標地点に
ほぼ正確に投下
計算通り爆発
あれだけ
目標にアタラなかった
『 B 29 高高度爆撃』が
なぜ
広島・長崎 の 2 度 だけ
『 正確無比 な 一発必中 』
であり得たのか?
誰も質問していない
疑問の核心部はここ
爆撃の性質上
失敗は許されない
不発にでも終われば
核爆弾は日本軍へ
最大軍事機密が敵に渡る
しかし
高高度爆撃
やれば
そのリスク 80%
これまで爆撃成績
そのくらいだった
臨界量に達すれば
自動的に爆発する
片方・ヒロシマ型は
そういう原爆だった
(高純度ウラニウム原爆)
だから
材料が二つに分けてあった
一つに合わせれば
ほうっておいても
連鎖反応が起き爆発した
これは
カネさえかければ
北朝鮮・パキスタンでも
しかし
もう片方は違います
長崎型プルトニウム原爆
『爆縮レンズ』
を使っていた
『マンハッタン計画』
核兵器技術開発上
最大のボトルネック
米軍しか
手にしていなかった
『トラの子・超高度軍事技術』
不発に終われば
それが日本軍の手に渡る
ロスアラモスで
実験に成功はしていたが
成功率100%かどうか
やってみなければ
それだけ
ミズ物の超新兵器
敵の上空で
高高度爆撃で
戦略目標に『正確無比』に?
当時の米軍の実力を考えれば
ほぼ不可能な作戦
だってそうでしょ?
関東地方で
あれだけドカドカ爆撃して
いい加減錬度をあげても
8割 は
ハズれた爆弾
なぜ
広島・長崎
の2度だけ
正確無比に
目標投下
命中したのか?
その時だけ
なぜ可能だったか?
誰も
質問するものがいないから
アメリカが答えない
ここで
重大な疑問が生じます
あの2度の核攻撃
果たして本当に
米軍によるものだったのか?
という疑問です
あの時
本土決戦部隊の片方
『広島』にいた
というのが
ひとつのヒントかも
もう片方の
本土決戦部隊
いわゆる東部軍
東京にいて
1945年8月15日未明
玉音放送録音盤を奪うべく
皇居内に侵入
いわゆる
宮場占拠事件を起こす
二度映画になりました
『2.26事件』より
はるかに重大な
『終戦間際のクーデター未遂』
広島で全滅した西部軍
もし合流できていたら
8月15日の
無条件降伏・終戦は不可能
だったと言われます