(3掲)狂躁亭日乘・『ヒロシマ・ナガサキ一発必中』の謎 1808 13 0840 | おととひの世界

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いわゆる
歴史の謎について
論じているものの多く

怪しげな出典
もとに論じているので

深く関わりあうこと
避けてきました

広島長崎は 
人類史上初の核惨事であり 

広島の原爆
地上から撮影した珍しい写真

ニューラルネットワークで着色したもの
呉市から撮影



核兵器が
対人兵器として明白に使われた
最初の出来事です 

使用者は米軍
自明のことと扱われてきました 

私も
それを否定するに足るだけの
材料は持っておりません

しかしながら

ここには
ずっと自明のことでありながら

誰も問いかけすら
行ってこなかった 
なかなか

解決するに困難な 
重大な疑問点が一つ
横たわっています 

問いかけが
行われなければ
問題は永久に解決されません

日本側アメリカ側
両方の抱えていた問題を
突き合わせれば

たちどころに
わかるはずなのに
誰もそれをやってこなかった 

何者かによる隠蔽があった
可能性がありますけれど 

隠蔽するまでも
なかったのではないか ?

双方の諸事情
ある程度分かっていれば 

おそらくそういう関係者
たくさんいた
と思われますけれども

すぐにわかった話

怪しげな資料など
持ち出さなくても
たちどころに分かる話 

それが
『ヒロシマ・ナガサキ一発必中の謎

1945年8月6日以前
 広島市内で
たくさんばらまかれていた 
おそらく

米軍が空から投下した
と考えられるビラ 



近々この辺りに
新型爆弾が投下されるから
という話 

ビラの多く
回収されていた

自分だけ助かってしまった
という後ろめたさから
戦後も長いこと持っていた人
大勢おられます 

ビラの多くは 
当時の円札

空から
おサツが降ってきた

見てみると
それはお札ではなかった

お札の表半分しか
印刷されていないビラ

そして裏に
警告文

近々広島に
新型爆弾が投下される
広島市街地内に入らぬよう

本物を見たことがあります

これをもって
対人被害を
できるだけ減らそうとした

市民の巻き添えを
減らそうとした

考えるのは早計

広島長崎の
対人核攻撃

文字通りたくさんの
被害者が出る状況を作り出し

核兵器による
都市攻撃によって

どれくらいの被害が出るか?
実験するためのものだった

期待される
データ
できるだけ

都市住民が
暮らしている状態で
集められる方が
より望ましかった

周辺部から沢山
人が来ている状況は
望ましくなかった
だからそうしただけ

おそらく
 1発か、2発しかできない
後々人道上の問題が言われること
アメリカ側も重々承知

最初から
対人被害実験の人体実験

爆発すれば
どれくらいの威力か?
前からわかっていた

核兵器の被害想定
米軍側が作っていました

第一次世界大戦中
カナダの軍港沿岸で起きた大事故

Wikipedia で

『ハリファックス大爆発』

ググれば出てきます
1917年12月に起きた



ヨーロッパ向け
大量の軍事爆薬原材料
この時は ピクリン酸

これを満載した船が出港
直後に火災を起こし
乗組員は全員退避するか死亡

大火災を起こしながら
貨物船は漂流

珍しい話だから
たくさんの見物人
めったに起きないことが起きた

爆薬は火薬とは違い
単なる火災程度のこと
では誘爆しません

爆発させるには 
専用の信管・雷管
高電圧によるスパーク
導爆線と呼ばれる
細かな爆薬をまぶした

水中でも燃える
特殊な着火装置が必要

しかしこの時は
なぜか爆発した
おそらく製品の爆薬ではなく

ピクリン酸
だったことが原因
と考えられている

この時の爆発
広島・長崎以前では

製造物の爆発としては
史上 最悪と言われ
目撃者は全員死亡

広島・長崎の被害想定
この時の調査をもとに
作られています

やれば何が起こるか?
実験するまでもなかった
あくまで

核兵器による
対人被害が
どれくらいになるか?を調べる

それが唯一にして最大の目的です

ただこの時の米軍
ひとつ重大な問題を抱えていた

彼らはこの
人体実験をやるにあたって
躊躇などひとつもしていない

多くの人命が失われる云々
気にしていた形跡
ほとんどありません

ドイツでは
ハンブルク空襲があり


ドレスデンも破壊



ハンブルク空襲

街全体が巨大な火災旋風に
巨大な炎の竜巻が
100キロ以上遠隔の場所でも見えた

東京は二度大空襲

以前に
申し上げましたけれど
現在でもおそらく

意図的にが流されている
東京大空襲

B 29による高高度爆撃

ではありませんでした
超低空侵入による
焼夷弾攻撃だった

B 29
与圧構造のコクピット

日本は結局
それが作れなかった

高度一万メートルを
飛行しても与圧服を着ずに
過ごすことができた

しかし
窓も開けることができた

東京大空襲の時
窓を開けると
下の悲鳴が聞こえたと

それくらい超低空を飛行

まさに
都市部の目標を
正確に焼き払い
実験するためのもの

高高度侵入
では出来なかった

なぜなら彼ら
ドイツとは違う日本の特殊事情

ジェット気流
爆撃への影響


あまりにも軽視した計画を立て

実際に
サイパン・テニアンから
日本空襲へ
飛びたってみると

うまくいかなかった

投下した爆弾
2割以下しか命中しない

田畑にのめり込むなどし
現在まで不発弾になったまま
この問題は

 戦略爆撃の責任者だった
カーチス・ルメイ
大いに苦しめることに

連日連夜
大量の爆撃機
大量の爆弾投下

にも関わらず 
期待戦果が挙げられない

 爆弾だって
 安価で無尽蔵には 作れない
大変高価な兵器

米軍はおそらく

500 kg1トン
という爆弾なら 

風の影響など大したことは
と思っていた

しかし
ジェット気流の威力は絶大

 一万メートル上空から 
0.5  & 1 T という
大きな爆弾を投下しても 

目標から
話にならないほど

所期の成果があがらない

ちなみに
真珠湾第一次攻撃隊 
史上最も正確な
爆撃技術を持っていた
と考えられ

ナチスドイツの
ルフトバッフェ 
ユンカース急降下爆撃機隊による 
攻撃においても 

なかなか
100 M 以内を切れなかった 
爆撃目標半径ですが

 真珠湾攻撃の攻撃隊

30 M を切っていた
と考えられている

 実際その後行われた 
シンガポール攻防戦では 

イギリスの主力戦艦

Prince of wales
戦艦尾部の 舵破壊に成功 

巨大戦艦
Prince of wales は 航行不能に
同じ場所を何度も ぐるぐる 
日本軍の猛爆撃を喰らい沈没

この成果は
連合軍側を驚嘆させた



注意が必要なのは
このテの話は全て低空爆撃
爆撃はそれだけ難しい

戦艦は
長射程の 対空砲を持っています
超低空侵入ではなかったにしても 

飛行機が見えないような
高さではありません

ましてや
一万メートル上空から

一発の
500 k ・1 T の爆弾
目標地点に正確無比に爆撃する

熱線誘導装置でも
ついていない限り

爆弾そのものにですよ

日本軍
『ケ号兵器』と言って


そういうものを開発はしていた

あの糸川英夫博士
 後に SONY を作ることになる
 井深大、盛田昭夫の両氏も
 開発に参加
 目鼻がついていた

当時米軍
これと同等の兵器を持っていた
という記録はない

投下された原爆に
搭載されていた記録もありません

あれば彼らは
自慢しているはずです
隠さなければならない理由はない

そうしたものが
ないのならば

昭和20年8月の段階
米軍でも不可能だったはず
そうであるがゆえに

東京大空襲
のようなことを
せざるを得なかった

もしあの時
東京に
高射砲が並んでいて

B 29編隊を
地上から迎撃したら
どうなった?

七面鳥撃ち 
確実にそうなった

そうならなかったのは
日本側が無防備ったから
劣勢の各地で高射砲が足りず
東京防空目的高射砲移動

その結果
首都・東京が丸裸
日本軍の恥ずべき大失敗
 
責任回避のため
『B 29が高所から爆撃』
というフィクション

見てきたような
嘘っぱち未だに

東京大空襲
3月10日5月27日
2度行われています

最初は
下町人口密集地

二度目は
都心近くです
乃木坂で大量の死者が出た
ほとんどが小学生
だったという

日本軍の高射砲が
足りなかったから可能だった
超低高度侵入爆撃

広島・長崎は違う
高いところから
核爆弾投下され

広島・長崎上空
爆発目標高度まで落下

それまで
極めて短時間

エノラ-ゲイ号
遠くに逃げる必要が

つまり
原爆投下

米軍
正確無比な爆撃
期するため
おこなった

従来の
超低高度侵入では 
不可能な作戦

高いところから
行わなければ

しかし
爆弾は爆弾
核爆弾だからといって
別段変わったところ

見てくれ
普通の1トン爆弾
500キロ爆弾と変わらない

しかし
最初の広島
二度目の長崎ともに

爆撃目標地点に
ほぼ正確に投下
計算通り爆発

あれだけ
目標にアタラなかった 
『 B 29  高高度爆撃』が

なぜ
広島・長崎 の 2 度 だけ
『 正確無比 な 一発必中 』
であり得たのか?

誰も質問していない
疑問の核心部はここ

爆撃の性質上
失敗は許されない

不発にでも終われば
核爆弾は日本軍へ
最大軍事機密が敵に渡る

しかし
高高度爆撃

やれば
そのリスク 80%

これまで爆撃成績
そのくらいだった

臨界量に達すれば
自動的に爆発する

片方・ヒロシマ型
そういう原爆だった
(高純度ウラニウム原爆)
だから

材料が二つに分けてあった
一つに合わせれば
ほうっておいても
連鎖反応が起き爆発した

これは
カネさえかければ
北朝鮮・パキスタンでも

しかし
もう片方は違います
長崎型プルトニウム原爆
『爆縮レンズ』
を使っていた

『マンハッタン計画』
核兵器技術開発上
最大のボトルネック


米軍しか
手にしていなかった
『トラの子・超高度軍事技術』
不発に終われば

それが日本軍の手に渡る

ロスアラモス
実験に成功はしていたが

成功率100%かどうか
やってみなければ

それだけ
ミズ物の超新兵器

敵の上空で
高高度爆撃で

戦略目標に『正確無比』に?

当時の米軍の実力を考えれば
ほぼ不可能な作戦
だってそうでしょ?

関東地方で
あれだけドカドカ爆撃して

いい加減錬度をあげても

8割 
ハズれた爆弾

なぜ
広島・長崎
の2度だけ

正確無比に
目標投下
命中したのか?

その時だけ
なぜ可能だったか?

誰も
質問するものがいないから
アメリカが答えない

ここで
重大な疑問が生じます

あの2度の核攻撃

果たして本当に
米軍によるものだったのか?

という疑問です

あの時
本土決戦部隊の片方

『広島』にいた

というのが
ひとつのヒントかも

もう片方の
本土決戦部隊
いわゆる東部軍
東京にいて

1945年8月15日未明
玉音放送録音盤を奪うべく
皇居内に侵入
いわゆる
宮場占拠事件を起こす
二度映画になりました

『2.26事件』より
はるかに重大な
『終戦間際のクーデター未遂』

広島で全滅した西部軍
もし合流できていたら

8月15日の
無条件降伏・終戦は不可能
だったと言われます