さてタイトルからして早速削除依頼が来そうなエントリーだが、上の動画を観てほしい。

吉本新喜劇でおなじみの未知やすえ姉さんのブチ切れギャグである。

もう結構やってるよな。20年くらいかな……。

 

観ての通り、やすえ姉さんが突如ブチ切れ、悪態の限りを吐き散らかして、最後急にしおらしく「怖かった~☆」でオチが付く、という、僕も大好きな芸だが、この口上には必ず「お前ら全員頭スコーンと割って脳味噌チューチューしたろか!」というお決まりの〆のセリフの最後に、「殺すぞ!」と付け加えられる。

 

さて、この「殺すぞ!」、今の時代で大丈夫だろうか?

 

ネット生活の長い人々は思わず「ウッ」となるだろう。

X、YouTubeでは最悪BANだ。

しかし、関西人は未だにこの「文化」をこうして頑なに護り通そうとしている。

 

自分たちの「言葉」を護っているのだ。

 

いつぞや、同級生の弁護士から「ネットで『殺す』を使ったらアカンやろ」と言われ、思わず「関西では『殺す』は『いてもたろか』『ボコボコにしてまうぞ』と同じくらいの意味やないか!なんでそんなことが解らんのや!」

と、ちょっとした議論(?)になった。

「いてもたろか」「ボコボコにしてまうぞ」も大概な言葉遣いだが、こういったニュアンスは関西人にしか解らないのだろう。

ただやはり、良く言われる通り関西人は自分たちの文化、特に「言葉遣い」に強烈なこだわりとプライドを持つので、こればかりは譲れない。

 

関西圏では「殺すぞ!」は必ずしも殺害予告ではない。大抵は「ふざけんなよボケ!」くらいの意味合いであることが多いのだ。

 

 

この温度差について想起されるのだが、かつてnoteにも記事を書いたが、「オタクは行間が読めない」ということに尽きるのではなかろうか。

本当に最近、ネット上で「言外の意味」を読み取る能力が絶望的に減りつつある。

 

極端な例で言えば、かつてツンデレの常套句であった「べっ別にあんたのためにやってあげてる訳じゃないんだからねっ!」というセリフに対し、ああー俺のためにやってる訳じゃないんだぁー!!終わったぁー!!と膝をついて絶望する、くらいのアホである。

そういや確かに最近アニメでツンデレ減りましたなぁ……。

 

こういう「ツンデレさえも解らなくなったバカオタク」がここ10数年の間に激増し、それがネットを介して日本中に拡散して、今のようなネット言論空間を形成しているのだと思う。

京都弁で言う「ぶぶ漬けどうどす?」もどこへやら、日本人が大切にしてきたこういうハイコンテクストな言語文化は、このまま廃れていくのであろうか?

 

どうしてもそうでないと現代人はコミュニケーションができないというのならば、それも止む無しだろう。しかし僕は、関西に生まれ育って、関西の大学の文学部を出た人間として、このような「言葉の衰弱化」を悲しく思うし、それがSNSの腐敗で、かえってディスコミュニケーションの一途を辿っているとしか見えないので、大げさな言い方だがこういう「日本の言語文化」に対し、もう少し誰かが、特に研究者が、神経を尖らせて対峙しなければならないのではないか、と切に思う。

 

 

更に言えば、これは日本独特の問題ではないと思う。実は世界レベルで、「言語の力」が今こそ問われているのだと思う。

このSNS全盛の、腐りきった言論空間で。