先ほどの 品田教授の 「令和」解釈ですが

読者さんから 難しいと言われたので

読むのいやになっちゃいますよね。長いし。

 

まあ 赤字だけを読んでくだされば 要点だけは押さえられるはずなのですが

 

ざっくり解釈をしますと

 

 

つまり

品田氏は 万葉集の専門家でありまして

剃刀のような切れ味を持っていらっしゃる。

国立大学に所属しながらも 権威に対して真っ向から意見できる ものすごい知識の量能力胆力をお持ちの方で

国立大学っぽくないところ

そういうところが 私は大変好きなのですが

 

品田氏によると

そもそも万葉集というのは 貴族だけでなく 庶民の詠んだ歌があるという解釈自体が間違っている。

間違った認識のまま そんなふうな解釈で総理が話していたけど こんなこと専門家の間では知れたことだよ、と。

調べもしないで 発言しちゃって、って。(私の解釈)

 

これに関しては 私も疑問に思っていたのですけどね

だって 庶民の詠んだ歌っていうけど どうやって記録に残していたのかとか

百歩譲って 防人というのは許すけど 農民って・・・・・

どうやって それらの歌を回収したのかとか

ちょっと想像できない。

庶民階級が 自分の詠んだ歌をとっておきますかね?

 

これに対しては

実は すべてが 天皇に対する称賛や 思慕の歌で

恋人に対する歌と 思われているものは 「妹よ」の対象は天皇。

あらゆる歌に 天皇への称賛を込めた プロパガンダ(これは私の解釈)だと。

詠っているのは 庶民なんかではない。

庶民の姿を借りているのだ。

というのが ちょっと乱暴ですが 品田氏の主張です。(と思う)

 

そして

この 梅の宴で詠まれた歌というのは

長屋王事件   天武天皇の孫で 聖徳太子のもとでの左大臣であった長屋王が藤原4氏の汚い陰謀で

家族もろとも自害させられた事件

 

表立ってではなく これを裏で詠んでいるという・・・

 

朝廷の 横暴を許さないし 忘れないぞという意を込めた歌だというわけ。

 

当時の人間なら この歌が裏で長屋王のことを指しているのは分かった。

 

 

 

つまり

宮内庁はこれを分かって選んだのかどうかわかりませんが

 

この歌は

権力者の横暴を許さない!という メッセージがあるのだ。

 

 「テキスト全体の底に権力者への嫌悪と敵愾心が潜められている。」品田弁

 

 

まるで 今の政権の横暴を許さないぞ という庶民のメッセージみたいでしょうって。

これを自分のことだと思うこともできず (知識が無いから)

こんなものを元号にしてしまった愚かさを 揶揄しておられます。

 

 

当代きっての 万葉研究家に 突きつけられた ものすごい痛いメッセージなのです。

 

 

分かっていただけたでしょうか?

 

 

なんかこういうのって 象徴的な出来事ですよね。

マリーアントワネットが オーストリアから輿入れして 結婚式の時に飾られたタペストリーみたい。

なんでこんな不吉なタペストリーを飾ったのかと ゲーテが驚いたというエピソードを思い出します。

興味があったら 調べてみてくださいね。