文芸部

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ここは田園と聖堂の街、ロマーニャ。教会と、神を信じる敬虔な人が暮らしている。俺の名は櫻井ショウ。この街で小さな農園を所有し、農夫をしている。神から日ごとの糧と罪の許しををいただき、感謝は尽きない。妻のミエコは、神学校生徒。清廉で敬虔な、善き妻である。俺たちはお互いを自分のように愛し、毎日昼は作物を作り、夜は祈りを捧げていた。

 

 

 

 

「恵み深い主よ、感謝します。我らをお救いください、苦しみに遇わせず、悪から救ってください」

 

 

 

 

夜、寝る前に神の御前でいつもの祈りを捧げる俺とミエコ。俺は五分ほどで祈り終えるが、ミエコは十分祈り続ける。彼女が祈り終えるまで、俺は無言でアーメンと繰り返す。これが毎日の日課だった。

 

 

 

 

「…さて、明日は主日礼拝ですショウ様。そろそろ休みましょう」

 

 

 

「ああ…」

 

 

 

 

そうして俺たちは床につく。布団をかぶりながら、ミエコはまだ祈っていた。ああ主よ…ああ主よ…感謝します…そんな小声を子守唄のように聴きながら、俺は眠りにつく。何よりも幸せだった。

 

 

 

 

『ああ、主の瞳~まなざしよ~』

 

 

 

『三度我が主を否みたる~弱きペテロをかえりみて~』

 

 

 

 

『疑い惑うトマスにも~』

 

 

 

 

『いつくしみ深きイエスよ~』

 

 

 

 

『我らを憐れむ~』

 

 

 

 

俺とミエコは教会の礼拝に出席し、讃美歌を歌って、それから神父の説教を聞いていた。ミエコはベールをつけて顔を覆い、祈りながら聞き入っている。

 

 

 

 

「ああコラジン、ああベツサイダ、裁きの日にはソドムの方がまだ罪が軽いのだ」

 

 

 

「ああカペナウム、おまえたちが天に上げられることはない、ハデスにまで落とされるのだ」

 

 

 

 

教会長の説教は、正直よくわからない。ただ、皆がしているように黙って聞いているだけだった。

 

 

 

「主よ、お許しください…」

 

 

 

「罪深き我らに救いを…」

 

 

 

 

礼拝にきている人たちは、皆頭を低くして祈っていた。俺は、帰ったら何をしようかとか、今日の夕飯のこととか、他愛もないことを考えていた。やがて説教が終わると献金、それが終わると祝祷といって、神父が出席者に簡単な祈りをして終わる。そんな感じの流れだ。説教、献金と滞りなく終わり、祝祷へ。いつも通り、礼拝が終わる。何の問題もなく。そう思っていた。

 

 

 

 

「あおぎ願わくば…」

 

 

 

 

神父が手を上げて祝祷を始めたとき、それは突然起こった。

 

 

 

バタン!と大きな音がして見ると、前の方の席で誰かが倒れていた。皆が驚き、席を立って駆け寄る。俺も何事かと思い、近寄ってみる。

 

 

 

 

「春日さん!!!」

 

 

 

誰かが叫ぶ。倒れたのは、教会の近くで料理屋をしている春日さんだった。皆がパニックになる。

 

 

 

「ひどい熱だ!誰か手を貸してくれ!」

 

 

 

男たちが春日さんを抱え、ひとまず教会の休憩室に運んでいく。あまりのことに、俺は慌てふためくだけだった。ミエコは顔を青くして、立ち尽くしていた。

 

 

 

 

結局、その日の礼拝はそれで中止となった。まさか礼拝中に急病人が出るなんて思いもせず、動揺が広がっていた。しかしそれで終わりではなかった。教会だけではなく、街中で突然倒れる人が続出したのだ。始めは春日さん、数日後には教会長さん、教会の使用人のサトウさん、ミドリさん、長老のブーツさん、隣に住んでいるバークレーさんも倒れた。みんな高熱を出し、全身の力が抜けて動けなくなってしまった。だが、さらに恐ろしいのはここからだった。

 

 

 

 

高熱で倒れた人たちは、医者の懸命な治療にも関わらず、数日経っても熱が下がることはなかった。やがて、彼らは顔がまるで火で炙られたように真っ黒になって、7日間苦しんだ後に亡くなった。街中がそうなるまで、大して時間はかからなかった。あちこちで人が倒れ、黒くなり、息耐える。街は地獄と化した。

 

 

 

 

「ああ、主よ、なんでこんなことに…この街をお見捨てになられたのですか…」

 

 

 

 

俺とミエコは来る日も来る日も祈り続けた。教会は閉鎖。神学校は休校。農作業に出ることもできず、家にこもってひたすら祈った。しかし、状況はよくなることはなかった。毎日毎日、どこかで誰かの絶叫がした。俺はミエコと一緒に震えながら眠ることばかりだった。俺たちもいずれああなるのだろうか…そんなことを考えながら。もうどこにも救いはなかった。

 

 

 

 

そんな日々が続いたある日、朝起きてすぐ、家の玄関を強くノックする音がした。誰だろう、と思って扉を開ける。すると、そこに立っていたのは、マスクをして顔をフェイスシールドで覆った初老の男性だった。

 

 

 

 

「…あ、あなたは」

 

 

 

 

彼は、大地主の伊藤さんだった。街でも有名なお金持ちで、知らない者がいない人だ。教会にはあまり来ないので、個人的には会うこともまずなく、話したこともほとんどなかった。雲の上の人である。そんな人が、どうして我が家に…?

 

 

 

「伊藤先生、いかがなされましたか…?」

 

 

 

「櫻井、久しぶりだな。今日は折り入って話があってきたのだ。おまえ、熱はないか?妻は大丈夫か?」

 

 

 

 

「ええ、はい…今のところは。でも近所に住んでる人はみんな倒れてしまいました…」

 

 

 

「そうか…」

 

 

 

伊藤先生は険しい表情をして、もう一度聞いた。

 

 

 

 

「おまえたち夫婦は、確かに大丈夫なのだな?熱も咳も出ていないな?」

 

 

 

「ええ、はい…」

 

 

 

一体なんでこんなところに来て、俺たちのことを聞くのだろう?首をかしげていると、伊藤先生は突然言った。

 

 

 

 

「私はこの街から逃げようと思う。見てわかるだろうが、ここはもう駄目だ。街の人間は半分も残ってない。ロマーニャだけじゃなく、ロンバルディアも、ヴェネチアも、トスカーナもやられた。王族は海外に逃げ出した。もうこの国はおしまいだ。疫病は収まる気配もない。調べたところ、北のカールスラント帝国は安全だという。商人や領主はみんなカールスラントへ逃げた。俺もそうする。おまえたちもそうしろ。明日、正午の鐘が鳴ったら出発する。それまでに荷造りをしておけ。時間がないぞ」

 

 

 

 

矢継ぎ早に話され、俺は動揺した。

 

 

 

 

「待ってください!そんな、この街を捨てるだなんて、神がお許しになるわけが…」

 

 

 

「馬鹿者!この世に神などいるわけがあるか!あんなものは教会がおまえら平民を利用するために作った綺麗事だ!いつまで騙されておるのだ!」

 

 

 

伊藤先生は語気を強めて言った。あまりの剣幕に俺は反論できずにいた。すると、奥の部屋からミエコが出てきて、反論した。

 

 

 

「冒涜です!なんてことを仰るのですか!神は必ずおられます!聖書を読んだことがないのですか!見よ、私は世の終わりまでいつまでもあなたがたと共にいる、と書いてあるではありませんか!」

 

 

 

 

すると伊藤先生は険しい表情を少し緩め、穏やかに言った。

 

 

 

 

「君は神学校生徒だったか。それなら聞くが、なぜ街中がこんな状態なのに神は助けにこない?なぜ神学校も閉鎖になり、教会の信徒はみな理不尽に死ななければならなかった?それも聖書に書いてあるのかね?」

 

 

 

「それはわかりませんが…」

 

 

 

 

「…まぁよい。とにかく、明日の正午までに逃げる準備をしておけ。さもなければ置いていくぞ」

 

 

 

 

それから俺とミエコは夜を徹して話し合った。この街を出ていくべきかどうか。俺は、出ていくべきだと言った。ともかく避難しなければ命が危ない。いつ自分たちがあの恐ろしい疫病にやられるかわからないし、そもそもこの街はもう街として機能していない。王族も逃げてしまって政府も動いていないし、商人も逃げたから食べ物も入ってこない。備蓄しておいた作物で飢えはしのいでいるものの、いつまでも持たない。病か飢えで力尽きてしまう前に、脱出するべきだと。だが、それでもミエコはここに残るべきだと言った。この街に留まって、助けが来るのを待とうと。まだ残っている人たちもいるし、いつか主が助けをよこしてくださると。そう言って聞かなかった。俺は粘り強く説得した。話して話して、やがて日が暮れても夕食も摂らずに説得した。それでも首を縦に振らないミエコに、俺は痺れを切らして、この際何でもいいからこいつを動かそうと思い、聖書を引っ張り出してきて乱暴にページをめくり、ある個所を読み上げた。

 

 

 

「やがて終わりの日がくる。そのとき、ユダヤにいる人は山へ逃げなさい。畑にいる者は、上着を取ろうと家に戻ってはならない。その日には、かつてないほど大きな患難がくるであろう」

 

 

 

 

どうだ、主は患難が来たら逃げなさいと言っている。今がそのときなのだ。だからすぐさま逃げよう。そう言った。信仰などもはやどうでもいい。ただ避難する正当性があればよかった。だが、結果的にそれがミエコの心を動かした。ミエコは窓を開けて空を見上げ、言った。

 

 

 

 

「本当に主は許してくださるでしょうか…」

 

 

 

ああ、許してくれるとも。天地が滅び去っても、私の言葉は滅びることはない、とあるではないか。

 

 

 

そう言うと、ミエコは黙ってうなずき、今日はもう休みましょうと言った。俺たちはパンを一切れちぎって食べ、ぶどう酒を飲んで、讃美歌を歌ってから床についた。

 

 

 

 

翌朝、起きた俺たちは協力して荷造りを始めた。家じゅうをひっくり返してとにかく必要なものだけを箱に詰め込んで、残りは放置。それだけでも時間がかかった。あらかた整理を終えた俺たちは伊藤先生の迎えを待つ。そうしているうちに、大きな馬車で伊藤先生がやってきた。

 

 

 

 

「準備はできているな?」

 

 

 

「はい」

 

 

 

 

俺たちは伊藤先生の馬車に荷物を積み、乗り込んだ。馬車は山を越え、オストマルクの街に入り、そこから北へ北へと進んだ。

 

 

 

 

 

カールスラント、ザクセンの街についた俺たちは役所に難民申請と住居の紹介を求めた。ほどなくして大学近くの借家に住むことができた。費用はとりあえず伊藤先生に借り、月ごとに返すことになった。

 

 

 

 

生活が落ち着いてきた今、俺は伊藤先生の口利きで、大学の図書館で本の整理をして月給を得て生活している。ミエコは、奨学金で大学に通っている。もっとも以前のような神学校ではなく、普通の法学部だ。ここに通って進士試験の勉強をし、将来は政府で働くのだという。まぁ、シスターになるよりは堅実な道だろう・・・少し不安もあるが、何とかやっていくつもりだ。神のいない生活もそう悪くない。そう思っている。