何年も前ですが、陳舜臣の『小説 十八史略』が面白くて、2度通読しました。
戦国時代に趙で活躍した藺相如と廉頗の刎頸の交わり(ふんけい の まじわり)、唐の太宗・李世民と尉遅敬徳(うっち けいとく)のエピソード、春秋時代の絶纓(ぜつえい)の会の故事など、盛りだくさんの内容で、今でも、時々思い出して、ページをめくることもあります。
そうそう、孫臏(そんぴん)と龐涓(ほうけん)の武陵の戦いのスリリングさも絶品でした。今思い出して、書き出しても止まらない程面白いエピソードにあふれています。
だが、しかし、なんたる勘違いだったのだろうか。。。。。
十八史略を『中国人の歴史』、『漢民族の歴史』と勘違いして読んでいたのです。
『小説 十八史略』は、宋が元に滅ぼされるまでの中国大陸の通史です。
通史だから、中国人・漢民族の歴史と思い込んで読んだのは、全くの不覚でした。
例えば、始皇帝で有名な秦は、西戎(せいじゅう)の騎馬民族国家。隋・唐は遊牧民の鮮卑の王朝。
あぁ、そなんだよね(^^;)
考えてみれば、当たり前。
元はモンゴル人の王朝で、清は満州族の王朝。それなら元帝国以前の中国大陸の王朝が、全部漢民族の王朝の訳がありません。
そもそも、初めて職場で中国人と話したときに、驚いたことのは、『中国語』が無いと知ったことでした。
日本語ペラペラの中国人だったので、「何カ国話せるの?」と尋ねたら、「日本語、英語、北京語、上海語、広東語」。えっっ、何それと思いましたよ。
『漢民族』という言葉自体が、日本人の私からみると変なんですよ。私は、血統・言語・文化・伝統・歴史などの諸々が共通なのが同一民族だと思っているからです。
いわゆる『漢民族』なるものは、『漢字でコミュニケーションできる、多言語・多文化・多民族の総称』なんですね。
最近になって、東洋史学者の宮脇淳子先生・岡田英弘先生の本を読んで目からウロコのおもいです。
中国大陸の歴史は、大きくいえば北方の雑多な騎馬民族と、南方の雑多な農耕民族の抗争の歴史。
騎馬民族は武力が強い。理由は、騎兵の方が歩兵よりも威力がある上に、兵士に限らず家族全員が馬に乗って移動できるので機動力が高い。さらに重要なのは、戦争に輜重(ロジスティック)費用がかからないから、安価に戦えるからです。
騎馬民族は、負けそうならば、さっさと逃げれば良いし、勝てそうな所だけ攻めれば良いし、勝てば略奪してたんまり儲かる。だから、騎馬民族が戦争には圧倒的に有利でした。
一方で、農耕民族は肥沃な土地に定住しているから生産性が高い。遊牧民の土地は痩せているから、穀物はとれない。そのため、穀物などを得るために騎馬民族は、農耕民と交易する必要がある。平和に商売するか、戦争するかは状況次第だから、南北の異民族の抗争の歴史が延々と続くわけです。
十八史略って、そういう異民族抗争の歴史を、漢字を使う人たちが、自分に都合良く描いたモノなんだと納得できました。