ガイアに直接つながっているという 縄文族のお話の続きです。
切手神社。
かつて 手を切り落とされた 場所に立つ 神社。
切り手。
それは 全国あちこちにあったのですが
いまは 香取市にある 「切手神社」くらいでしょうか。
ほとんどの「切り手神社」は
その名前が変えられ 祭神も変えられ その由緒がわからなくなっています。
この近くには 大根村があります。
崇神天皇側が 物部軍を制圧し
出雲族に伝わる 「息よせ」という 死人を蘇らせる方法を伝授された 大根一族の
者たちの手を切り落とした。
そこが切り手神社の由来です。
この息よせ。個人的には イエス・キリストが 死者を蘇らせた方法だと思っておりますが。
手を切られた場所。
そういう場所が 日本中にありました。
逃げても逃げても 追手が来て
技術を持つ 縄文の「手」を切り落としていった場所が
日本中にあったということ。
手だけではなく もちろん殺戮もあったでしょう。
地元の人間が それを憐れんだのか あるいは 彼等が恨みを残して亡霊となって
悪さをしないように
それを鎮めるために 土地土地に神社が建ったのですね。
この大根一族こそが
出雲の王族 大根王です。
大根の名前は 完全に封印されていますから
世の中には出てきていません。
出雲地方に かろうじて 「大根島」が残っているかな。
だいこんじまと呼ばせていますけど。
「ネ」の一族のことです。
どんな歴史書にも 一切出てこない。
あらゆる情報が 抹消されている一族です。
弥生がかなわない技術を多数有した 物部。
かつては 歴史の中枢にあったものの
いつのまにか中央から追いやられて 消えた民。
この一族を 抹消せんとして
何度も何度も征夷大将軍は派遣された。
さらに
青森
「ねぶた祭り」
この祭りの由来は 「根」に蓋をする。という意味。
東北に逃げた縄文族が どうなったのか
こんな形で今も残されているというわけですね。
縄文駆逐の 残照は 日本のあちこちにまだ残っているのです。
その由来は 決して語られない。
「アテナイ」と呼ばれる 蝦夷の 物語はそのほんの一つ。
利用され抹殺された民。
会津藩が 何故あんなにも 疎外され 苦しめられてきたのか
戊辰戦争の 代価にどれだけの補償を求められてきたのか。
会津藩は どうして 東北六ヶ所村に 移動させられさらに極寒の北海道にまで
追いやられたのか。
そしてそこに 再処理工場を作られるという 仕打ちを受けるのはどうして?
何千年も続く因縁はまだ終わっていない。
封印された歴史。
日本人が決して教わらない歴史です。
徹底的に封印された民。
これら 「サンカ」や「アイヌ」など 縄文にまつわる研究は
決してアカデミーでは発表できないし
論文も正式に認められない。
国立大学では 研究できない分野になっているのをご存知ですか。
学者として できないということです。
だから 研究者は すべて在野の人たちのみ。
そして 今 東北は 完全に中央から見放されています。
多くの縄文が いまだ残る土地だから。
「決して 救わない 」 ことになっているのです。
ところが
東北の震災で 東北人の おそるべき忍耐性と 底力を
世界中がまた みてしまうことになった。
おそるべし 日本人。
ちがいますね
おそるべし 縄文人なんですね。