この空の下で。若菜りお official

この空の下で。若菜りお official

人と環境に優しい命のための豊かな未来。この時勢だからこそ豊かな未来を描いていきたいです。


新年あけましておめでとうございます。


昨年、私たちは、無事に結婚式を挙げることができました。化学物質過敏症という病気を抱えながらの準備は多くの困難を伴いましたが、皆さまの温かいご協力のおかげで、この特別な日を迎えることができました。


ご縁をいただき、とても素敵な邸宅をお借りすることができました。会場から、装飾、料理、スタッフ、配置に至るまで、すべて自分たちで準備を進めましたが、その過程においても皆さまからも多大なるご協力をいただきました。


国内外からお越しいただいた来賓の皆さまには、普段から、香水や柔軟剤を使用せず、アレルギー対応の自然素材の洗濯洗剤をご利用いただくなど、ご配慮をいただいております。そのおかげで、当日の空気は、普段の生活ではなかなか実現できないほど清々しく、私と同じく化学物質過敏症を抱える来賓の方々にも体調に支障をきたすことなく、安心してご参加いただける式を実現することができました。


化学物質過敏症を抱えながらも結婚し、結婚式を挙げることができたこの経験が、同じような状況で悩んでいる方々にとって、希望や励みとなることを願っています。



日本では化学物質過敏症への理解が十分に広がっているとはいえない現状がありますが、周りでは関心を持ち、学んでくださる方々が増えていることを嬉しく感じています。


主人の出身国であるスウェーデンの皆さまからの協力も大きな支えとなり、どちらの国でも理解が広がっていることを実感し、とても心強く思います。


現在、私は自由に海外を行き来することが難しい状況ではありますが、日本とスウェーデンの二拠点で生活し、夫婦共々支え合いながら歩んでいきたいと思っております。


多くの方々のお力添えがあったからこそ、今日まで歩んでこられましたこと、深く感謝しております。


本年もどうぞ温かく見守っていただけましたら幸いです。


皆さまのご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。







公に化学物質過敏症を患っている自身のことを発信しなくなって久しく経ちます。

病状は緩やかに回復していますが、超重症から重症になったほどで、生活は大きくは変わっていません。

相変わらず公共機関にも乗れないですし、今も化学物質避けて車内泊で転々とすることもあります。

食物不耐性もあって、飲める飲料水も限られたまま。

今も、書ききれない不自由はたくさんあります。

環境病なので、周りの環境次第で一変してしまう体調と生活で、つい先月まで寝込んで動けなかったりもしていました。

そういう中で、何をもって自分の人生はしあわせだと言えるのだろうかと不安になることは今もあります。

10年ほど前、この病気を発症した頃、化学物質過敏症はまだ知られていない病気で、今もある軋轢なのかもしれませんが、病気のため苦しいので日用品を変えてくださいとお願いしても、理解を得られず、家族、親戚、友人、さまざまな人が離れていきました。

私はいまだに、人と日用品を天秤にかけて、人を傷つける日用品を使い続けるという価値観には哀しさを感じます。

そして、人との狭間で、こういう状況を否応なしに突きつけられしまうこの病気はとても酷なものです。

日本の社会の化学物質過敏症の理解は、今も大きくは変わっていないのかもしれません。

それでも、この10年で、こういう難しい病気、あるいは日本の社会情勢の中、私の周りは少しずつ変わり、周りの理解に恵まれるようになって、今は、穏やかに暮らしています。

これは単に支えてくださっている皆さまのおかげですが、化学物質過敏症と切り離すことができない人生の中で、たくさんの気づきがあって、嘘のつけない不自由な身体だからこそ、培うことができた人との関係もあるのではないかと、今は思います。

化学物質過敏症を患って、ずっと闘い、救いを求めて、それは今でも変わらないのかもしれませんが、どこまで行ってどこに辿り着けば、この病気の中で、自分の生活は心豊かだと言っていいのだろうかと、考えていました。長い間。
















まだ元気だった頃の写真 ヨーロッパにて🎞



 経歴について (清書)



若菜りお


病気をしてからの10年間、社会からほぼ離れた生活を送ってきました。病気をして以来、10年、社会からほぼ離れていました。今も社会生活が営めているかというと身体的に難しい状況です。でも、少し文字を書くことができるようになって、起きられている時も多くはないのですけれども、毎日したいこととできることがあって、些細な日常にしあわせを感じています。


10年以上にわたって病気で社会から離れており、今もこのような状況で、改めて自身の経歴について触れるのもためらいがありました。


しかし、周囲の友人には話しましたが、ネット上では事実無根の中傷ばかりが書かれ、私だけでなく、私のパートナーや友人の投稿まで執拗に追われています。相手は匿名で、こういったこともインターネットではよくある話かもしれません。


10年の年月の中で、支えてくださってきた皆さまのお気持ちがそれで変わるということもないでしょうけれども、ご心配の声をいただきました。


同時に、今まで、私自身の経歴を話すということもなかったということにも気づかされました。


SNSの投稿を始めたのは、闘病の中で家族の支えもなかった時もあったもので、社会福祉の整っていない病気の中で、一人ではどうにも生きられず、声を上げたことがきっかけでした。


あの頃は見ず知らずの方が声をかけてくださっりと、今では見知った間柄になった方もいらっしゃいますが、本当に支えになっていただいていました。また、当時、病状が重く、私の病状が重すぎて、お会いすることもできなかった方もいらっしゃいますが、今でも心の支えとなっています。


このような経緯で始まったSNS活動なので、自身の経歴を語る機会はありませんでした。あまり表に出すことでもないと思っていましたが、書かないことで余計な憶測が生じるのかもしれません。


このような形になって、後手で私の経歴についてお話するのも申し訳ない気持ちですけれども、私自身が書いてきた経歴に偽りはありません。


一時はSNSのプロフィールに「ミス日本ファイナリスト」と記載していましたが、モデルの仕事から離れていたため削除しましたが、私は学生時代からモデルをしており、その後、他薦によりミス日本の選考ステージに立つ機会をいただきました。これがご縁となり、海外のディレクターから声をかけていただき、海外をメインにランウェイモデルとして仕事をさせていただきました。


このような経歴を話すと、美人だと思われたり、自分をアピールするのが好きな人に思われがちですが、私自身は、正反対です。特にランウェイモデルは、自薦よりスカウトなどの他薦も多い世界ですし、モデルとして話す機会もありませんから、意外に思われるかも知れませんが、シャイだったり、大人しい方が多いです。でも、海外で身1つでステージに上がるために各国から集まるので、どこか芯が通っているような方が多かったように思います。私がそういう人間というわけではありませんけれども💦 少なくとも、私がモデルをしていた頃はそう感じていました。


病気をしてしまって、そもそも仕事が出来ず、外にも出られない体調とお話すると、離れていく事務所もありましたし、お断りした仕事もありました。当時は、気持ち的にも塞ぎ込んでしまって、仕事仲間とはほとんど疎遠になりましたが、今でも繋がっている友人もいます。


また、FMラジオ局アナウンサー、国際会議の司会、国際展示会やモーターショーなどのイベントMCなどもしておりました。


学歴に関しては、公にしていません。今はこういうインターネット事情ですから、出身校などを上げて個人情報を引っ張り出されないようにとは常々思っていましたが、大学と大学院で、人権と国際法を勉強していました。


英語力については、TOEICのスコアが800点台ですので、高得点ではありませんが、滅茶苦茶だと批判されるような英語は使っていないと思います。 10年間の日英翻訳の経験があります。


病気の間、小説を執筆して、最優秀賞を始め、複数の賞を受賞させていただきました。病気で、社会からも切り離されて、何もできないような毎日の中で、書くということに救われていました。多くの方と繋がるきっかけにもなりました。ファンの皆さまに感謝しています。


いずれも病気の悪化で、全て手がつけられなくなってしまっていました。


今回の件でSNSでの投稿の多くを削除しましたが、経歴詐称などではなく、個人情報を詮索されることが苦痛だったからです。


化学物質過敏症に関しては、超重症から重症くらいに回復しています。一時期は、暖房もつけられず零下で過ごしたり、雨で身体を洗ったり、服も着れず過ごしたり、数日に1度しか起きられない状態で、そんな状態なのに自宅にも居られないなど、SNSに書くのも憚られる生活でした。


化学物質過敏症は、周りの環境次第のところも大きく、周囲の環境によって体調が大きく左右されます。将来に対する不安を抱えつつも、一日一日を大切に過ごしています。


化学過敏症は未だ治療法の確立されていない病気ですが、医療の進歩が進んで、化学物質過敏症の治療も受けられるようになったらいいなと願っています❤️‍🩹


 若菜りお🐧



 Twitter:   https://mobile.twitter.com/rio_wakana


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厳しい残暑が続く毎日でしたが、ようやく、秋の訪れが近づいている感じが致します。

先日より、「 note 」を書き始めています。

10年程前にもなりますが、SNSを始めたきっかけは、突然の化学物質過敏症の発症で、生活がままならなくなり、SNSで、広くご助力を仰がせていただいたことがきっかけでした。

化学物質過敏症発症と同時に、自宅に住めなくなり、転々としながら、呼吸困難の発作を起こすといった体調の中で、何とか身体を休められる場所を探してきました。

当時は、化学物質過敏症についての情報もほとんどなくて、暗中模索の中、手を差し伸べてくださった方々がいらっしゃったこと、今でも、気持ちの中でも、支えになっています。

長らく、病気のことで確執のあった家族とも、今では、理解に至るようになりました。

一重に、今の暮らしがあるのは、支えてくださる皆さまのおかげです。

一方で、社会に、化学物質過敏症への確立された福祉があれば、あるいは、医療があれば、多くの方にご迷惑をおかけすることもなく、また、家族の生活を変えることもなく、生きることができたのではないかという思いもあります。

それほどに、重症になると、患者の生活の質、QOLを落とし、人としての生活を困難にする病気ですが、未だ、社会のどこに助けを求めれば良いのかわからないままで、重症であればあるほど、社会との繋がりも絶たれてしまって、声を上げることもままならない病気です。

今も、生活の不自由は続いていて、支えられることばかりの毎日ではありますけれども、少し身体がついてくるようになってきた中で、あの頃のSOSとは違ったかたちで、SNSでできることがあればと思いながら、綴り始めています。

自宅でも過ごせない日があったりと、身体的に大変な毎日もありますが、少しずつ動ける時間が増えています。

化学物質過敏症は、周りの環境にも左右される環境病の側面もありますから、自分だけではどうにもならないことも多く、先の体調まで見通せませんが、体調の良い日が長く続くといいなと思っております。

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若菜りお





化学物質過敏症の重症者に、身体障害年金の受給の道が開かれています。一方で、このような重度の障害状態に関わらず、手足が動くなどの基準で、生活がままならない重症者が、介助や医療を受けられない現状が続いています。

現在は、病院で対応しきれないことも多々あるようで、患者の受診を拒否されるということも起きています。患者が、化学物質の多い病院にも入れないということもあります。

支援を必要としている化学物質過敏症にも、医療福祉が、届くようになることを願っています。

自宅から出られないなどで継続的な訪問介護や医療が必要な化学物質過敏症の患者は、健康な方が気がつかないごく少量のもので、発作が起きてしまいますから、患者に接する方も化学物質過敏症への理解が必要になります。

専門性の必要な化学物質過敏症の重症者にこそ、訪問介護や訪問診療が必要だと感じています。

社会はまだ「目に見えない障害」に厳しいもので、特に化学物質過敏症は、社会的にも、新しい障害です。

一方で、訪問看護でも、化学物質過敏症を看たいと言ってくださる看護学生の声を聞く機会がありました。

多様性を育み豊かな未来を作っていこうという芽が育っているということに、希望を感じています。

化学物質過敏症の介護や医療環境も、患者当事者である私たちも、育てていくことができたらとも考えています。

化学物質過敏症は、まだ社会の理解も未熟で、周りにも誰もいない環境ということも多いので、独りで闘って生きているような気持ちになるかもしれません。

私自身、何の支えもないような生活の中で、生きる気力を失いそうになった時もありましたが、今は、健常者、障害者、病気、国の違いも超えて、繋がることのできる皆さんの心の豊かさに支えられています。

その豊かさを育んでいくことができる社会を、未来に繋げたいと考えています。

今日、ここで、この場を作ってくださった太田先生と参加者の皆さまに感謝しております。

ありがとうございました。



🍀「第5回心のケアシンポジウム~突然重度障がいになったらどうしますか?~」にて、NPO法人Smile and Hope 理事長であり、訪問診療医として勤められたALS重度障害者の当事者である太田守武先生とオンラインで対談させていただきましたスピーチです。

全2回に渡って、シンポジウムのスピーチの内容を上げさせていただきました。

改めて、対談の場を設けてくださいました太田守武先生、スタッフさま、さまざまな思いを抱いてシンポジウムに参加してお話しを聞いてくださった皆さまに感謝申し上げます。

そして、化学物質過敏症重度でありながら、このような場にも立つことができるようになりましたのは、いつも支えてくださっている皆さまのおかげです。ありがとうございます。

若菜りお


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