『夫婦で心に響く人形劇を』
少しずつ春の気配が感じられるようになりました。
真冬の凛とした冷たい風よりもすこしだけ柔い初春のやさしい風や、一見不規則なようでいて不思議の理にかなった木々の枝ぶりを観じると、ふと子供の頃に見聞きした物語や神話に出てくる風や木々の精霊などを思い出し、とたんに日常の機能的な世界が別の次元へと変容し、純粋な解放感に満たされたりします。
今回インタビューした益村泉さんは、妻であり、一児の母でもありながら、そんな誰の心の中にもある神話的でファンタジックな世界の語り部として、一流のアーティストであり私生活でもパートナーである山本由也氏と共に、人形劇団のかわせみ座を主催しています。お二人の創り出す人形劇は、よくある子供向けの人形劇というよりは、人の心の奥底に響くような舞台芸術で、国内外のメディアでもとても高い評価を得ています。(テレビ東京「たけしの誰でもピカソ」やNHKの教育番組でも紹介されていたので、もしかして聞いたことがある方もいるのでは?)
人形劇との(宿命づけられた?)出会いから、子育てに対する思いなど伺ってきました!
人形劇団 かわせみ座 主宰
益村 泉さん インタビュー
不思議な魅力を放つ人形達を用いて、子供だけでなく、大人の心にも響く独創的でどこか懐かしい舞台作品を国内外で発表し続けている。現在3月の新作公演に向けて忙しい日々を送る。
かわせみ座のHPもご覧下さい。
http://www.kawasemiza.com/
ー益村さんと人形劇との出会いについて聞かせていただけますか?
「元々は、私の母が人形が本当に大好きで、自分で人形を作って仲間と人形劇団をやっていたんです。だから、物心ついたときから家の中には人形がごろごろと転がっていたし、学校に入る前から母の人形劇に出演もしていたんです。両親とも舞台芸術が大好きで、小さい頃から色々な舞台を見に連れて行ってもらっていたので、その影響で、兄は音楽を、私は小さい頃からバレリーナになることを志していました。私が18歳になって、出身地の広島から東京に出てきた時に……やはり東京は“文化の中心”という憧れもあったようで、母も一緒について来ることになって……そのうち父も仕事を退職して、家族全員で東京で『くれよん座』という人形劇団をやるようになったんです」
ーくれよん座ではどのような活動をしていたのですか?
「児童館や図書館、保育園などで100人~300人程度の観客を前に子供向けの人形劇をやっていました。母が人形製作や脚本を中心にやって、兄が舞台音楽、私が舞台美術を担当していました。一方で、劇団の養成所にも通うようになり、舞台でバレエや踊りも続けていました。けれど、20歳になってすぐの頃、脚の靭帯を痛めてしまって……2~3年はそれでも続けていたのですが……ついにドクターストップがかかってしまい、踊りより、演劇とくれよん座が活動の中心になっていったんです」
ーご主人である山本さんとの出会いはどのようなものだったのですか?
「ちょうどバブルの頃、くれよん座の活動もとても忙しく地方巡業などあちこちを廻っていました。そんな時にあるフェスティバルで、かわせみ座として参加していた山本と出会ったんです。かわせみ座の舞台をそこで初めてきちんと観て、それまでの人形劇に対する既成概念がすっかり変わってしまって……人形劇というと、芸術というより、どうしても子供向けのものが多く、自分で観て感動するような人形劇というのは正直めったに出会えなかったのですが、かわせみ座の作品はそれまで私が携わってきたバレエなどの舞台芸術に通じるものがあったんです。その後彼と話す機会があり、芸術や人形劇について「最高な作品を創るにはどうあるべきか」という価値観が一致して、すっかり意気投合してしまったんです。そして、1ヶ月もたたないうちに電撃結婚してしまったんですよ(笑)」
ー結婚をきっかけにかわせみ座の舞台に参加するようになったんですね。
「結婚当初、山本は『僕は僕で好きな人形劇を続けるし、君は自分の好きなお芝居を続けるといいよ』なんてのんきに言っていたのですが、結婚して蓋を開けてみると、かわせみ座の運営がめちゃくちゃだったということが分かって……それまで実務をお願いしていた人には辞めてもらい、やむを得ない形で自分でそれを受け持つことにしたんです。製作のほうも、演出家と山本の世界観が全く合わず、舞台の予定が入っていたのにも関わらず、必要なことが全くと言っていいほど進んでいなかったんです。それまでかわせみ座がどういう風に人形や舞台を創りあげていたのか全く分からなかったのですが、『とにかく何とか間に合わせないと!』という切羽詰まった状況に追い込まれて、演出や製作を頼める人を色々あたったり、人形製作や出演を手伝ったり……気がついたら、寝る以外の時間全てかわせみ座の舞台製作につぎ込んでいたんですよ(笑)」
ー自分で望んでというより、気がついたら参加せざるを得ない状況にあったんですね。
「ええ、でも、とにかくあれよあれよという間にそんな怒濤のような製作現場に放り込まれたものだから、意識のほうが全然ついていけてなかったんですよ。ふと我にかえると、自分のお芝居の活動は全然出来ないし、自分で『私って一体何をやっているんだろう?』と考えてしまうことがありました。でも、それが変わったのはハンガリーでの海外公演がきっかけだったんです」
ー人形劇を創作していくことに対して迷いが無くなったということですか?
「そうですね。以前から山本は自主公演や海外公演をやりたいという希望があって……彼は頭で考えてもなかなか行動に移せないタイプで、反対に、私は後先考えずに行動につっぱしるタイプなものですから(笑)、『やりたいならやるべきだよ!』と、いろいろ働きかけていたんです。そうしたら、4年に1度、世界的な規模で開催される人形劇フェスティバル『ウニマ世界人形劇大会』のハンガリーでの公演に出演させてもらう機会を得て、母に音響をお願いして、私と山本の2人で舞台に立たったんです。それが非常にうけが良くて、とても評価してもらえたんですよ。むこうのお客さんはもちろん以前のかわせみ座のことも、2人のキャリアの差など全く知らないわけですが、それでも『あなたたち2人の舞台がすばらしかった』と言ってもらえたことがとても嬉しくて……それまでの私は自分で何をやっているのかきちんと自覚できていなかったのですが、『自分のやっていることって、こんなに人に喜んでもらえるんだ』という思いと『今まで自分がやっていた舞台や踊りというのがアマチュアレベルだった』という自覚が生まれたんです。そうしたら人形劇に対する欲やアイデアもどんどん広がっていったんですよ」
ーその後の活動状況も、それにともなって変化していきました?
「そうですね。何かアクションを起こすと、それが不思議と必ず何か次につながっていくもので、1回目の海外公演の後、取り立てて海外に向けて宣伝をしているわけでもないのに、何故か定期的に海外公演に呼ばれたり、以前はほとんどやっていなかった自主公演も積極的に行うようにして、新作も発表するようしています。作品づくりというのは面白いもので、すぐにお倉入りになるものもあれば、何回も上演するうちにどんどん深まっていく作品もあります。また、数多く練習すれば良い作品になるかというとそうでもなくて、ほんのちょっとしたアイデアや発想の転換でがらりとその作品が良くなったりすることがあるんです」
ーかわせみ座での表現活動には、いつも変わらないテーマがあるんですか?
「そうですね……でも、その時々でいろいろ表現したいことがアイデアとしてあって、それをひとつひとつ実現させていっている感じですね。作品を創ることというのは『これでいい』という終わりがないので、一つの作品ができあがると、また違うアイデアが浮かんだり、線路がどこまでも続いている感じですね。ただ基本的なテーマとしてずっとあるのは普遍的に人の心に響くもの、大人も子供も、観終わってしばらくしてからふっと思い出すような匂いや、空気や、余韻をとても大切にしていますす」
ーご夫婦でやってらっしゃいますが、お互いぶつかることはありますか?
「ありますよ~。山本の創る人形に対して、ついつい口をはさみたくなったり、作品を創る上でも、意見や表現方法が合わずにぶつかったり……お互いぶつかり合いながら一つの作品を創り上げていってます。でも、土台にある価値観が一緒なので、枝葉の部分でぶつかったとしても幹が崩れるということはないですね。昔はよく『そんなにずっと一緒にいて息苦しくならない?』なんて言われましたけど、うちの場合は一般のご夫婦と違って、お互いがお互いを見ているというより、2人が同じ方向を向いているので“夫婦”というより“運命共同体”という感じですね」
ーまだ小さいお子さんがいらっしゃるんですよね。
「はい。6歳になる息子がいます。この春から小学校にあがるんですよ」
ー海外公演の時などはお子さんはどうしているんですか?
「まだ小さいので、海外も一緒に連れて行っているんですよ。ずっとそうしてきたので、低学年くらいまでは今のままでもいいかなと思ってます。本人が『親の仕事で学校を休みたくない』って言い出したら、また考えればいいかなって……」
ーまだ赤ちゃんの頃は子育てとの両立は大変じゃなかったですか?
「そうですね……でも案ずるより生むが安しで、生んでしまえばどうにかなるものですよ。確かに大変な時は、ものを考えたり、発想するということが出来ない時期もありましたけど、それも一時期のことだし、あと周りのスタッフや知り合いがすごく面倒を見てくれたので心配していたより大変ではなかったですね。面白いものでそんな環境に育ったせいか、全く人見知りしない子なんですよ。両親どちらにも似ずに、どんな環境でも、誰とでもすぐになじんでいるんですよ(笑)」
ーある意味、益村さんも似たような環境に育っていますよね。
「そうですね。私はもっと人と関わるのが苦手で内向的な性格でしたけど(笑)。でも、ずっと母を見てきたので物を作る人の気持ちというのはとても良く理解できます。環境というのは確かに大きいでしょうね。公演前は自宅もスタッフさんの出入りが激しく、家中人形や舞台セットの制作で大変な状況になるのですが、息子もそれに混じって、誰も教えていないのに一人黙々と自分の工作をしていたりするんですよ。面白いですよね(笑)
ーそのうち息子さんもかわせみ座に参加するかもしれないですね。
「う~ん、でも、自分が何をやりたいとか、自分にとって大切なものは何なのかは、自分自身で見つけていってほしいですね。大人でも子供でも“好きなこと”や“夢や希望”“自分が大切にできる信じられるもの”があると、どんな状況にあっても強く生きられるし、そういうものがあることって、生きる上ですごく重要なことだと思うので……」
ー今はいろんな選択肢がある中で迷う人が多いですが、益村さんの場合は、
小さい頃から舞台や人形劇に携わるのに自然な環境にあって、まったく迷いが感じられないですね。
「作品を創る上ではあれこれ考えることもありますが、確かにそういう意味で迷うことはあまりなかったかもしれないですね。無駄なものが多いとかえって想像力が阻害される気がしますし……子育てという面でも、できるだけナチュラルに、例えば自然に直に触れる機会を作ってあげて、自然の美しさ、素晴らしさ、怖さなどを学んでほしいなと思います。私自身、機械とかコンピューターとか苦手なので……都会で暮らしている分、機械的なものよりは、人としての豊かな感性を育めるような環境をできるだけ作ってあげたいですね」
★かわせみ座新作公演のお知らせ★
新作公演『キラの森』
2006.3.23(木)~26(日) ザ・ポケット(JR中野駅徒歩5分)
過去と現在、現実と魔法の世界、
人形たちと俳優らが交錯するファンタジー。
詳細はこちらをご覧ください>> http://www.kawasemiza.com/index2.html
『家族への感謝の気持ちから地域貢献へ』
近頃よく耳にする言葉、ロハス-LOHAS。なんでも、Lifestyles of Health and Sustainability=「健康的で持続可能な生活様式」の略だそうです。要は「人にも地球環境にもやさしい暮らし方」ということ。今回は、深い自然と文化が息づく高知県物部村で、流行り廃りの表面的なスタイルなどではなく、真にロハスな暮らしを、おのずと実践してしまっている、とっても朗らかでパワフルな女性にインタビューしてきました。
物部実生ゆずの会主催 予防医学指導士
佐竹美保さん
薬膳や予防医学の観点から、生まれ故郷物部村の名産である実生ゆず(時間をかけて種から成木に育てられたゆず)の普及に努める一方、物部村に古くから伝わる「いざなぎ流」の大夫(神官)のもとで奥深い伝統文化を修行中。
物部実生ゆずの会についての詳細はこちらもご覧下さい。
http://www.denenlife.jp/slowfood/yuzustory.html
ー生まれ育った物部村で実生ゆずの会を始められたきっかけは何ですか?
「以前は子供達に英語を教える仕事をしていたのですが、自分の英語力をもっと磨きたいとカナダやオーストラリアに留学したんです。その留学先のカナダで生まれて初めてホームシックにかかってしまって…。私が通っていたビジネスカレッジは、日本人がほとんどいなかったので日本語が全く使えず、日々の勉強もとてもハードだったんです。それでものすごくストレスを感じてホームシックになったんです。ステイ先の家族の方々はとっても親切でいい人達だったのですが、私のそんな様子を見て、ストレスが和らぐようにといろいろと気を使ってくれました。その温かさに触れることで、改めて日本にいる家族のありがたみが身にしみて…それで自分を育ててくれた家族や物部村の人達に対する深い感謝の気持ちが生まれたんです。だから日本に帰ってから何か恩返しができればという思いがあって……。それで、物部村の特産品であるゆずで何かできないかって思ったのがきっかけです」
ー海外に出たことで、家族や故郷に対する感じ方や見方が変わったのがきっかけになったんですね。
「ええ。外国の人達は日本と違って、家族同志や身近な人達に感謝の気持ちを言葉でも態度でも、とても素直に表現するんですよ。日本にいる時はそれが当たり前のように思っていたり、ありがたいと感じても『恥ずかしい』という思いがあって、なかなか素直に表現できなかったりしたのですが、それが素直に表現できるようになりました」
ー物部村で、顔を合わせる人々が皆知り合いのように気さくに挨拶し合ったりしている様子などを見ると、家族への感謝の気持ちが地域への貢献ということに自然につながったというのはとてもよく理解できますね。
「ええ。特に、いざなぎやゆずの活動を始めてからは、人とのつながりの輪がますます広がってきているんです。ゆずについて実際に農家の人達と会って、いろいろ勉強してみると、とてつもなく手間ひまをかけていて、大変な思いをしてひとつひとつのゆずを収穫しているということが分かって、このことを一人でも多くの人に知ってもらいたいし、物部の特産品を残していきたいたいと思い、いろいろな人と会って話しをしているうちに、賛同し、協力してくれる人が次々と現れて……そういう人達と思いを1つにして一緒に活動できるのは、とっても楽しいし、有り難いことですね。商品を買っていただいたお客さんからも、『あれよかったよ~。ありがとう』って言っていただけると本当に嬉しいです」
ーミホさんはもともとご実家が農家をやっていたというわけではないんですね。
「ええ、ちがいます。でも、ゆずの活動や予防医学の勉強をしているうちに農薬の恐さなどを知り、『自分の口に入れるものは自分で作ろう』と昔祖母が一人でやっていて、今まですっかり荒れ地になっていた土地を家族で少しずつ整備して畑をはじめています。やっぱり自分自身で作ったものが一番おしいですよ」
ー予防医学指導士の肩書きも持たれていますが、これはどういういきさつで勉強されたんですか?
「薬草の研究家である尾崎寿先生が物部村に講演に来られて、それをたまたま聴きに行ったのがきっかけなんです。その講演が終わってから、尾崎先生にいろいろ質問していたら、先生が『あなたは熱心だから』と名刺をくださって、その後も電話やファックスを通して先生に予防医学や薬膳についていろいろ教わって。そのうち、尾崎先生から予防医学指導士の資格を取ることを勧められて妹と2人で勉強して取得したんですよ。結果的には薬膳の知識はゆずの活動とも深くつながっていますね」
ーゆずの会の活動と、村の伝統文化であるいざなぎ流の活動を始めた時期というのはリンクしているんですか?
「はい。ほぼ同じ時期に始めています。たまたま仲の良かった友人のおばあさんと今のお師匠さんである中山大夫さんが知り合いで、その友人の家で何度か顔を合わせることがあったのですが、ある日、その友人の所にお師匠さんがいざなぎの舞を教えに来るから来てみないかって誘われたのが最初でした。その時はいざなぎ流のことを何も知らなかったし、『ちょっと面白そうかな』くらいの気持ちで行ってみたんです。その後、また偶然お師匠さんと顔を合わせる機会があって、その時に、いざなぎ流を残していきたいけど、若い後継者がいなくて困っていることなどを聞き、『やってみないか?』と誘われて神楽の練習に顔を出すようになったんです。そのうちに神楽の最中に唱えている祭文(さいもん=お祈りのことば)が何を意味しているのかが気になってきて、その事をお師匠さんに話すと『やってみい』と言ってくれて、本格的に弟子入りすることになったんです」
ーいざなぎ流というのはどういう信仰なんですか?
「物部村に古くから伝わる民間信仰で、ひめみやさんという方が天竺に行って学んで持ち帰ったものや土着の信仰などがもとになってると言われています。歴史的には7~800年程遡るようですが、昔は紙も貴重で文字に残すという習慣もなかったので、全て師匠から許された弟子へ口伝で伝えられてきました。そのため決まった教典なども無く、その起源や歴史がはっきりしているものではないんです。大夫の役割というのは村の各家々を守る神さまの神事を行ったり、村のお祭りを執り行ったりというのが主なものになりますね。物部で生まれ育ってはいても、弟子入りして初めて知った儀式やお祭りがたくさんあるのに驚かされました」
ーいざなぎ流の修行は大変ですか?
「そうですね。舞を自分のものにするまでには時間がかかりましたね。見た目の印象ではそれほど大変そうではないのですが、動作や回数、方角などに事細かく決まりがあるので、舞っている最中に一瞬でも考え事などすると途端に方角などが分からなくなってしまうんですよ。でも、大夫さんが言うには、失敗しても何も気にすることはなく、失敗して、それを見ている人が笑ったりするとかえって神様は喜ぶんだそうです」
ーとてもおおらかな神様なんですね。
「そうですね。失敗しないようにかちかちに緊張するのはかえって神様も喜ばないそうです。面白いですよね」
ーゆずの会や薬膳の研究やいざなぎ流といろいろな活動をしているようですが、お話を聞いていると、ミホさんの中では全部自然とつながっているように聞こえますね。
「ええ。物部村の人達と物部の文化を伝え残していくという意味では全部つながっていますね。時には忙しく感じる時もあるけど、いざなぎ流や実生ゆずなど貴重な文化を残していくということは、自分でもとても大切で、やりがいのあることだと感じるので、全然苦になることはないです。やりたいことを自然に次々とやっていたら、気がついたらそれが不思議と全部つながっているんですよ」
ー今後、やりたい事や目標などはありますか?
「やっぱり、最終的には大夫さんになりたいですね。妹も神楽を学んでいるので、将来2人で家の神事を行えるようになれるといいなと思います。あとは、ゆずの会などもそうですが、ひとりでも多くの方に心から喜んでいただけるような活動をずっと続けていきたいです。ゆずにしてもいざなぎにしても、やればやるほど、この文化を残して、伝え広めたいという思いが強くなりますね。そういう点では留学して身に付けた英語も役にたっています。ゆずの会では和紙のちぎり絵を包装に使用したり、ひとつひとつの手作業を大事にしているのですが、そういう作業はいずれ利潤が出たら障害の方やお年寄りの方の自立支援の活動としても役立てたいと考えています。あと、佐竹家の夢一覧の1つには物部村にいざなぎ流の資料館を建てるというのもあるんですよ(笑)。今はいろいろ大変でもひとつひとつ実現するために頑張れるんだと思います。また、それがいろいろな人に喜んでもらえると嬉しいですしね」
ー夢は次々ひろがりますね~!
「はい。また、そういうこと考えてる時って楽しいですしね~。やっぱり仕事は楽しんでやらないと!」
取材後記 -----
この取材は、実際に物部村でゆずの収穫作業やいざなぎ流の神楽を見学させていただいた合間に行ったものです。
ミホさんの活動を支えているご家族の方々と触れ合い、まるで昔話にも出てきそうな、物部村の深い山々の景色を眺めているうちに、都会で生まれ育ったわたしも、不思議と懐かしいような温かい気分に包まれて、自然と心がゆるんでいくのが分かりました。そして『あ~日本にもまだこんな場所があってよかったな』と素直にとても嬉しい気分になりました。
そんな場所で生まれ育ったミホさんには不思議なほど陰や迷いが感じられず、話しているわたしもなんだか朗らかな気分にさせてくれる魅力的な人でした。
スローライフやらロハスやらという言葉がもてはやされているのも、動物が足りない栄養分を無意識に欲するように、多くの人が素直で温かい心の交流や自然の流れに則した生き方を求めていることのあらわれで、流行語のように表面的なスタイルとして捉えるようなものではなく、先人の智慧に裏打ちされた深い文化(生き方の科学)の1つとして考えるべきものなんじゃないかと思いました。
『日々できることをやってきただけ』
佐藤裕子(さとうゆうこ)
エステティックサロン「プライマリー」代表
20数年のキャリアを持ち、その確かな技術と人柄のため、
長年通い続けるお客様も多い
HP:http://primary-web.jp/
街はクリスマスシーズン到来ですね。この時期はいろいろなパーティー(宴会?)に呼ばれる機会も多く、特に独身女性にとっては外見のお手入れにも気合いが入る季節ですね。(私は随分手抜きになってしまいましたが……)
今月お話を伺ったのは、エステティックサロン「プライマリー」を経営されている佐藤さん。
長年のキャリアを持つ佐藤さんの元には、その手技と人柄を信頼して、遠くから通われるお客さまや、10年来ご贔屓にしてくれるお客様さまも多いとか。
お会いしてみると20年以上キャリアがあるとはとても思えない程お若く(え、10才の時からやってるって?^^)、とてもかわいらしい雰囲気で、制服のピンクがとってもよく似合う方でした。
忙しいこの季節にぴったりの簡単なお顔のマッサージ法もうかがってきたので要必見です♪
ーエステの仕事を始めたきっかけはなんですか?
「もともとアトピーで肌がすごく弱くて、20才前後の頃から自分もエステにお客さんとして通ってたんですよ。それがこの仕事に興味を持つようになったきっかけです。エステに通うようになって、随分と肌の調子も良くなってきたんです。そうして偶然、友達から一緒にサロンで働かないかって誘われて……。それまで会社勤めをしてたんですが、男性の職場だったので、女性らしい仕事がしてみたかったというのもあったんでしょうね。『あ、面白そう』って思ってやることにしたんですよ」
ー男性の職場って、どういう仕事だったんですか?
「機械の図面を引く仕事です」
ー全く今と関係ない職業ですね……。
「でも、実はそうでもないんですよ。細かい、手先を使う仕事なので、まつげパーマとか、アートメイクとか、今の仕事に通じるところもあるんですよ」
会社勤めを辞めてまでエステの仕事を選んだのは何故ですか?
「実家が美容院をやっていたので、普通の学校に通いながら、通信制で美容の勉強もしてたので……、ですから美容関係の仕事は全く興味の無い仕事ではなかったんですよ。ただ、髪のほうはどうも興味が持てなくて実家を素直に継ぐ気にはなれなかったんですよね」
ーじゃあ、基礎は既にあったんですね。
「その頃は美容学校といっても、髪のほうが中心で、エステを学ぶという環境も日本ではまだ整っていなかったんです。ですからエステの技術は仕事をしながら現場で覚えていきました。それで、ある程度年数を勤めたので自分でサロンを開いてみようかと……」
ー独立してみようと思ったのは、何かきっかけがあったんですか?
「勤めている時は数字に追われていて……、売上げのノルマを達成する為にお客様にあれこれ勧めたりというやり方に疑問を感じていたというのはありますね。実際お客様の肌に触れ合う仕事なので、1対1の信頼関係が他の職業に比べて出来やすいんですよ。何年かやっていると、お客様の私的なことや内面的な事情も分かってしまうので、売り上げの為に勧めるというのが出来なくなってきてしまって……。それに、この業界はある程度年数が経つと独立して自分のサロンを持ちたいという人が多いので、自分でもそれが自然なことだと思ってました
ー独立される時、ご自分のサロンをどういう風にしたいと思いました?
「私は細かい仕事が好きだし得意なので、そういった技術を生かしながら、お客様にきれいに気持ち良くなってもらえたらいいなァと思いましたね」
ー独立されると“経営”という要素が入ってきますが、その点はどうですか?
「う~ん、もっと欲があればいいんでしょうけど(笑)、日々出来ることをやってきて、気付いたら十何年経っていたという感じですね。やっぱりお客様が、初めて来た時よりどんどんきれいになっていただけると、こちらとしても嬉しいし、やりがいがありますね。実際お客様の肌に触れてリラックスしていただくと、お客様のほうもプライベートなことを色々話してくれたりして、そういうコミュニケーションが次にまた繋がったり、他の仕事に比べると、お客様と深い関係ができる職業だと思います」
ー単に表面をきれいにするだけでなくて、お客様の内面的なことにも関わる仕事なんですね。
「そうですね。『こんな事まで聞いちゃっていいのかしら?』と思うようなことまで話してくれたりします。次に来て頂いた時にその後の展開をまた話してくれたり(笑)。そういう意味でも、面白い仕事ですね」
ープライベートなことでお客様にアドバイスすることもあるんですか?
「お話を聞いてあげることがメインですね。『どう思う?』って聞かれた時は『わたしなら……』と答える程度のことはありますけど」
ーこちらのサロンのエステメニューは色々ありますが、自分でやっていて一番面白いと思うのはどれですか?
「アートメイクはものすごく印象が変わるので、すぐに変化が分かって面白いですね。もともと細かい仕事が好きというのもあるんですけど。その方の骨格にあわせて目や眉を調整して変えていくのですが、みるみる、お客様がきれいになっていくのを見るのは嬉しいですね」
ーエステもマッサージだけでなく、色々な種類のものがあるんですね。
「ええ。流行りもありますしね。アートメイクやまつ毛パーマなどはサロンを始めた当初はやっていなかったのですが、途中から導入したんですよ。あと、ご希望があればその方の似合う色を指導するカラー診断もやっています。今後もいいと思うものがあれば取入れていきたいですね」
ー佐藤さんは、現在ご家族は?
「夫と6才の息子と母の4人で暮らしています」
ーお子さんは元気盛りで大変な時ですね。
「遅くに生んだ子供なので、可愛くて仕方ないですね。ビデオを撮る時も、レンズを通してじゃなくて自分の目で見ないともったいない!って思ってしまう程です(笑)」
ーお仕事と子育ての両立で大変なことはありますか?
「やっぱり時間のやりくりが一番大変ですね。それでも自分でやっているサロンなので、会社勤めの方より、ある程度調整がきくのでいいかとは思いますけど、でもジレンマはいまだに感じています。夫は会社員なので、休日の土曜は子供の世話を協力してもらったり、一緒にやっているスタッフと調整しながらどうにかやりくりしています」
ーお子さんが生まれた時、仕事を辞めようとは思いませんでした?
「仕事を辞めるって発想は無かったですね。生まれる時もギリギリまでサロンに出ていましたし……。私はつわりがひどかったので、家にいるよりかはお客様に接しているほうが緊張感があって楽だったんですよ。妊娠した当初は、どう時間のやりくりをしようかと考えたりもしましたが、生まれてしまえば、どうにかやっていけてしまうものですね。すっかりこの仕事がライフワークになってしまっているので、仕事を含めた生活に新たに子供が加わったという感じです。ただ、やっぱり子供が生まれる以前のように、夜遅くまでの予約は出来なくなりました。でも今は子育ても楽しいですし……、子供が大きくなって手が放れていったら、時間のバランスを見ながらまた考えたいなと思っています」
ーご主人やお子さんにマッサージしてあげたりしますか?
「主人には全然やりませんね(笑)子供には何度かやってあげたら、『またやって』ってせがまれるんですけど……、こどもの肌は柔らかいので、やっている方も気持ちがいいですよ」
ー今後の夢や、やりたい事はありますか?
「今はずっとサロンの中にこもりっぱなしなので、もっと外に出たいですね。外に出て営業活動とかしたいなと考えてます」
ーイベントやパブリシティを利用して宣伝したり?
「そうですね、あまり大掛かりに宣伝して、お客様に一度に沢山来て頂いても対応が出来ないので、できる範囲で、ですね(笑)」
(取材後記)
佐藤さんのお話をうかがうと、とてもマイペースにお仕事を続けられているようですが、ご自身のことをきちんと分かっていて、無理はせずに出来ることをこつこつと続けていくことで、お客様の信頼を得ているように感じました。可憐な外見の裏で、きちんと地に足がついて上手にお仕事と家庭生活を両立されている方だという印象を受けました。
『超簡単♪美肌マッサージ』
たとえ時間がなくても、無精者でも、不器用でもできる!簡単マッサージ法を、
エステティックサロンプライマリー代表の佐藤さんよりうかがってきました♪
ほんの少しの時間でも毎日続けることが肝心だそうです。
テレビを見ながら、お風呂に入りながら、朝の洗顔後に……などなど実行してみてください。
【1】 手を軽くにぎり、ゆるいグーの形を作ります。
【2】 手の甲の第2関節のあたりを使い、首筋に沿って、
下から上にやさしくマッサージします。
【3】 同じく手の甲の第2関節のあたりを使い、
あごの下中央から両耳の下のあたりまでをマッサージします。
【4】 両頬も筋肉の流れに沿うように下から上に向かってマッサージします。
(左の図の矢印を参考に)
【5】 頭皮は指の腹を使って、前後に頭皮全体が動くように
マッサージしてやりましょう。
(頭皮がほぐれると、顔の皮膚も上に持ち上がるそうです)
★ワンポイントアドバイス★
◎お肌に合ったローションやオイルを使うとすべりがよくなります。
◎筋肉に沿ってやさしくやりましょう。ゴシゴシするのは逆効果です。
『簡単ヨガ&呼吸法 5分でスッキリ♪』
今回はヨガスタジオZENの膳先生おすすめ、初心者でも、
体が硬くてもできる、簡単ヨガ&呼吸法をご紹介します。
◆気分を切り変える呼吸法◆
集中できない、頭がもやもやする、緊張を解きたい時などにおすすめの
呼吸法です。2-3分あればいつでもどこでもできるので是非お試しあれ♪
【1】軽く息をはきます。
【2】お腹のそこから肺までいっぱいになるように、
思い切り息を吸い込みます。
【3】やや苦しくなるまで息を止めます。
【4】ゆっくり吸います。
【5】1~4を数回繰り返します。
※がんばって息を止めすぎて気分が悪くならないように注意しましょう。
※嫌な感じがしたら止めておきます。
◆スキのポーズ◆
脚をさかさまにしたり、体の裏側の筋肉を伸ばすことは
毒素排出を促すのに有効です。
なんとなくだるい時などにおすすめです。
【1】仰向けに寝て、息を吸いながら脚をまっすぐ90度まで持ち上げます。
【2】手で腰をささえ、息を吐きながら足先を頭の方へ倒します。
【3】余裕があれば手を床に戻し、肩を入れ込んで両手を組みます。
【4】自然呼吸で数秒キープ。
【5】ゆっくりと足を90度の位置まで戻し息を吐きながらゆっくりと床まで戻します。
※必ず呼吸とともに動作を行います!
※息がつまってしまうほど無理をしないように!!
※体がきつい人は次の簡単バージョンを行ってください。
▼簡単バージョン▼
【1】壁に沿わせるようにして足を90度に上げる。
【2】足を左右に開き、しばらくキープ。
▼さらに!超簡単バージョン▼
【1】脚をまげて壁に足裏をつける。
【2】しばらくキープ。
◆魚のポーズ◆
体の裏側を伸ばしたら、逆の動きでバランスを整えましょう。
【1】仰向けに寝て、手のひらをおしりの下に入れ込みます。
【2】ひじを曲げながら、腰を持ち上げて胸をそらせます。
頭頂が床につくようにして、目は鼻を見ます。
【3】そのまま自然呼吸でキープ。
【4】戻る時はひじを床に押し付けながら、
首を持ち上げてゆっくりと戻ります。
(頭頂をずるずると床に引きずらないようにしましょう)
※必ず呼吸とともに動作を行います!
※息がつまってしまうほど無理をしないように!!
『自分が変わると周りも変わる。ヨガスタジオ主宰者さん』
膳敬子(ぜんけいこ)
ヨガスタジオZEN主宰主宰 ヨガインストラクター歴20数年
ヨガインストラクター養成やCMのポーズ指導などもこなす
2児の母
HP:http://www1.odn.ne.jp/yogastudio-zen/
膳啓子さんは現在、ヨガとバレエストレッチを教えるスタジオを主催。いつもとても元気で、見た目もとてもお若いのですが、なんと20歳と16歳の2人の娘さんを持つお母さんでもあります。そのとてつもない明るさの背景には、様々な試練と葛藤があったようです。
障害の子を持つことをきっかけに自分の試練と深く向き合い、
自分が変わることで周りもどんどん変わっていったんです。
ーまず、ヨガとの出会いのきっかけを聞かせてください。
「最初はうちの母に勧められたのがきっかけでした。20代初めの頃、会社に勤め始めて3年くらい経った時に、ストレスと暴飲暴食が重なって膵臓炎になってしまって…その頃は、幼い頃から続けていたバレエもハードにやっていた時期だったのですが、あまり飲めないお酒を無理に飲んだり、不規則な生活が続いて体を壊してしまったんです。精神的も不安定で過食と拒食を繰り返したりもしてました。その後会社も辞めて、午前中はヨガに通い、夜になると踊りのレッスンや舞台に立ったり、人に教えたりという生活を続けていました。そうしている内に体もメキメキ元気を取り戻してきたんですよ。そうこうする内に以前からつき合っていた現在の夫と結婚話も持ち上がったりして…。その頃はとにかく踊りで舞台に立つのが楽しくて精神的にも忙しい気がしてましたね」
ーその頃はヨガより踊りが中心の生活だったんですね。
「20代の頃は踊りで生活したいという思いも強くて、父に援助してもらってお稽古場を作って子どもにバレエを教え始めたんです。平行して続けていたヨガも、ヨガ仲間と一緒に場所を借りてレッスンを開いたり、バレエのお稽古場でヨガを教えたりし始めたんです」
ーじゃあ、ヨガを教え始めたのって、たまたまだったんですか?
「ええ。バレエをやっていたので、形だけはすんなり出来てしまって、自分の体もメキメキと良くなったものだから、バレエのお稽古場を作った時に、せっかくスペースがあるから、ヨガの先輩に手伝ってもらいながら、ヨガも教えちゃおうって思たんです」
ーヨガ&バレエという現在のスタジオZENの原形が出来上がったんですね。
「そうですね。そういった形で3年くらいがんばって続けていたんですけど、28・9歳の時に最初の子の妊娠をきっかけに、体の調子を悪くして前のようにヨガが出来なくなってしまったんです。お稽古場は細々と続けてはいたんですが、ほとんど空けっぱなしの状態でしたね。最初の子は障害をもって生まれてきたので、子育ても大変で…。病院に毎日のように検査を受けに行って、週に1、2回稽古場に教えに行くのも、その頃の自分にとっては完全に“子育てからの逃避”になってました。それまではやりたい事をやりたいようにやってきたので、ある意味子育ては私にとって生まれて初めての試練でしたね。娘は染色体異常の一種で、重い心臓の病気を抱えてて、生まれた時に病院の先生から『世界的に前例がない』と言われた程、とにかく生かしておくのが凄く大変な子どもだったんです。精神的なショックもあったし、『なんとしてもこの子を育てなくちゃ』という義務感と執念みたいなものだけで子育てをしていました。『どうして、こんな試練が私に与えられたのか』って考えちゃったり、『どうにかしてこの子を救わなくっちゃ…』ってとても葛藤が続いていました。そんな中でたまたま出会った人が、あるヨガの先生を紹介してくれて、その先生のもとでヨガに本格的に取り組んでいったんです。」
ーその頃子育ては?
「相変わらず子育ては忙しくて、2人目の子供も生まれたので日常に追われてました。その頃ヨガは『自分を浄化するため』と思い込んでやっていたところがあって、ヨガをやっている時が本当の時間で、子育てや家族との時間が億劫に感じることもありました。そういう状態が何年も続いていたんですが、そのうち、先生から離れて自分自身でもっとヨガについていろいろ勉強してみたいと思うようになり、いろいろな人との出会いがある中で、ある瞑想の先生と出会い、自分自身の内面と深く向き合う機会を作ることで、ものの味方がすっかり変わったんです。それまではヨガを教えるのも他の誰かのヨガを教えている感じがあったのですが、『自分のスタイルで、自分の分かったことをただ教えればいいんだ』と思ったら教えることも楽しくて仕方なくなってきて、周りもどんどん変わってきて…。ちょうどそんな時、今のヨガのブームと重なって、問い合わせが増えたり、CMや取材の依頼なんかも来るようになったんです。そうして、上の娘が20歳になった時『あ、もういいんだ~』って思ったんですよ」
ー子育ての義務感から解放された?
「私にとって、子育ては義理の母や家族のサポートなしにはあり得なかったんですが、とはいえ常に『仕事をすることでこの子に何かあったら…』という恐怖感は付きまとっていて、けれど自分の心の恐怖感や『こうでなきゃ』って思いが薄れ、家族の態度もだんだん変わってきて、娘自身もどんどん成長して変化して、ホントに家族の存在も彼女の存在も、心からありがたい、愛おしいと思えるようになってきて…。やっぱり娘が20歳になった時のことが大きいですね。普通の子と全然違う娘がここまで成長してくれて、『もう、いいじゃん』って思って、それまで『自分がやらなきゃ』という思いが強かったのが、どんどん人に任せられるようになってきて、そしたら、彼女のほうも毎日すごく楽しそうなんですよ~。『なんだ、やっぱりこれでよかったんだ』と思ったらすっごく楽になりましたね。仕事にも思う存分打ち込めるようなって、そしたらスタジオのほうもどんどん賑わってきたんです。こんな小さい所に沢山の生徒さんが通って来てくれて本当にありがたいですよ」
ーお仕事が忙しくなってきて、その元気を保つために、普段の生活で気を付けてることはありますか?
「食べ過ぎるとあまり動けなくなるので小食を心がけてます。自分の体調に合った水や食品を選ぶようにはしてますね。あと、以前はどんどん仕事を入れられるだけ入れていたんですが、最近は少しセーブするようにしてます。そう思ってた時に、ちょうど『ヨガを教えたい!』っていう人が何人か現れて…、また、それが色々勉強にもなってるんですが…、あと、体が休みたがってる時、例えば生理の時とか、それでも仕事をしないといけない時は、後で意識して体をいたわる時間を作るようにしています。自分にあったアーサナ(ヨガのポーズ)をやると、疲れていてもまたスッキリしますよ」
『好きなことを仕事に!ヨガインストラクターさん』
ヨガインストラクター 長俣万寿美さん
長俣万寿美(ながまたますみ)
ヨガインストラクター
現在スタジオZENをはじめフィットネスクラブなどで
ヨガを教える
スタジオZENやフィットネスクラブでインストラクターを初めて4ヶ月目の永俣さん、初めてレッスンを受け持って、無事終えた時は思わず涙がでるほど嬉しかったと言う彼女。
現在の心境と将来の夢について聞いてみました。
ー何故、ヨガの先生になりたいと思ったのですか?
「ずっと『好きなことを仕事にしたい』っていう思いがあったのですが、なかなか見つからなくて…。いろんな事をやっても、飽きっぽいんで、すぐ辞めてしまってたのですが、気付いたらヨガだけはずっと続いていて、すっかり生活の一部になってたんですよ。『これは一生続けたい』と思って、『それなら、ヨガの先生になろう』って思ったんです。うちの父は機械設備のエンジニアで、ホントに機械いじりが大好きな人だったので、いつも家で『こんなに大好きなことを毎日やれて、しかもお金も貰えて、勉強もさせてもらえて、こんなありがたいことはない』って言うのを聞いていたので、『わたしも、いつか好きなことを見つけて、お父さんのような幸せ者になりたい』と思っていたんです。それで、“好きなこと”をずーっと探していて、まさにヨガがわたしにとって、その“好きなこと”になっていたんです。だから、初めてのレッスンを終えて報酬をもらった時には、『やっとここまでこれた~』って本当に嬉しかったです」
ーヨガを始めたのは何がきっかけだったんですか?
「以前にやっていた仕事がとてもキツイ仕事で、体も心もボロボロになってしまって、とにかく、何か体を動かそうと、たまたま古本屋さんで見つけた体操の本を買って、ストレッチ運動をしていたのですが、しばらくして後書きを見たら、それが、ヨガを元にアレンジされたものだったんですよ。だから知らず知らずのうちにヨガをはじめていたんです(笑)」
ーそれで STUDIO ZEN に通い始めたんですか?
「ええ。その体操をやっているうちに体もどんどん柔らかくなっていったので、『ヨガをちゃんとやってみたいな』と思っていて…。その頃、世の中の常識とか、いろいろな事に疑問や葛藤を感じてしまって、以前の仕事を辞めた後、しばらく海外や日本各地をまわったりしたんです。東京に出てきて、『なにか新しいことを始めたい』というのもあったので…。スタジオで、呼吸法やいろいろなポーズを覚えていくうちに、どんどん楽しくなってきちゃって…、前は朝起きるのも、仕事に行くのもだるい時が当たり前にあったのに、今はそういうのがめっきり減りました」
ー先生になる勉強を始めてからはどうですか?
「自分の身体に対する知識も、ヨガに対する知識もすごく深まりましたね。一歩一歩階段式に上達するのが面白くて、とっても楽しいです。ヨガはやればやるだけ、ホントに自分に結果として戻ってきます。以前は出来なかったポーズが出来るようなったり、身体もどんどん動くようになり、精神的にも、以前と比べたら本当に変わりました。以前よりも動じることがすごく減ってきた」
ー実際に生徒さんに教え始めてからはどうですか?
「自分でやるのとは、全然違いますよね。でも大きな意味では、教えることもヨガの一部と思ってやってます。とにかく毎日ヨガができるのが楽しくて仕方がないので、そのためにスタジオの近くに引っ越してきたくらいなので(笑)…、教えることも、自分でやるのも、楽しんでやっています」
ー今は、ヨガのインストラクターの他にもアルバイトをされていますが、
時間のやりくりが大変な時はありますか?
「そうですね。師範科を始めた時は、『ヨガをやりたい』っていう思いが先行して、仕事は後回しになってしまったりしてたのですが、気付いたらお金が全然なくなってて…(笑)、『東京をナメてた~』って…(笑)。一時、やりたいこととお金のことでジレンマになって、悩んだんリしてたのですが、良く考えたら、やりたい事がやれている環境があって、必要な物は、偶然、周りの人がくれたりとか!(笑)、ありがたいことにサポートしてくれる人がいたりして、取りあえず、今日も明日も食べていけて、『お金はホントに欲しい物、必要な物の橋渡しにしか過ぎない』って気付いたら、あまり思い悩むこともなくなりましたけど…。今は、とにかくヨガを中心にスケジュールを組んで、余ったに時間にバイトを入れています」
ー将来の夢とかありますか?
「ヨガを生活の中心にしながら、やりたいことをどんどんやっていきたいですね。旅が好きなので、ヨガを教えながら、世界の色々な場所をめぐるというのもやってみたい! でも、将来的にはやっぱり自分のスタジオを持つというのも夢ですね。それも年齢とともに変わっていくものかもしれないですけどね」