世界情勢がどれほど危うくても、治療薬がない死者の出るウィルスが蔓延していても、どこか他人事でいる。
当たり前に人が死ぬ漫画やアニメや映画を見て、怖いとすら思うこともない。
どんどん鈍くなっていっているのかもしれない。
人と話していて自然と笑えることはたくさんあるし、生活の中にユニークな瞬間を見つけて楽しくなったり、人と共有したりもする。
大切なものや好きなものは結構ある。
目の前の人達を愛しいと思う瞬間はあるし、自分に出来ることがあるなら尽くしたいと思えることもある。
けれども全てが刹那的だ。
どうしてもなくしたくないと今、思えるものがあんまりないのだ。
親も兄弟も親戚も友達も家も自分の持ち物も思い出すらもあるいは。突然なくなればきっと寂しいと思うけれど、いつかそれにも慣れるだろうなんて思ったりする。
目の前にあるものが当たり前にあるものじゃないと思えないから、こんなんなんだろうな。そういった想像ができないからこうなのだろう。
目の前のあらゆるものにリアリティを感じないんだ。
ときどき目の前で喋っている人との会話すら作業的になって、相手の話の切れ目や表情を見てちょうど良いタイミングで相槌を打ったり話題を振ったり自分の表情を変えたりするリズムゲームのようだななんて頭をよぎったり。
人からの好意もプランクトンのフンくらいミクロレベルから数えたらたくさん頂いているように思うけれど。それもこんな自分に対してよくもまあ都合よく受け止めてくれるなあと過大評価じみて見えて、それもまた僕が違う一面を見せれば手のひらを返されるのだろうなんて刹那的に思いそうになったり。失礼なのでできるだけ丁重に受け取ろうとはいつも心掛けているけれど、油断をすれば冷めた気持ちがよぎる。
いつからこうなったんだろうなあと思う。僕の中にはリアリティが圧倒的に欠けている。
何かの拍子に何かこう、重要なネジ的なものがコロンといったんじゃないかと思ってる。心当たりの出来事はいくつかあるけど、決定的なきっかけは思い出せないから、少しずつ何かしらの事柄を通してネジが緩んでって、雑踏の中に落ちたことも知らないままになくしたのかもしれない。
僕はおそらく世界の不幸な人を下から順にランク付けしたならば、まず到底上位50%にも行き着かないくらいに恵まれている方だとは思うけれど。
僕なりに残念だったり哀しかったりする出来事が、まぁ生きていれば積み重なるし。
そういうのにいちいち心を揺らされないように鈍感になっていったのかもしれない。知らんけど。
普通に年齢的なものかもしれないし、いずれにせよ誰しもに起こりうる変化なのかもしれないが、間違いなく感情が鈍くなっている実感はあるのだ。未来の展望なんて一切浮かばないし自分や周りが不確かなものに思える。なんだか展開の繋がらない夢の中を生きているよう。
そうした僕にも、どうしようもなく失いたくないと、胸がいっぱいになる瞬間がある。
それは目の前にある死だ。
その人と長く過ごせば過ごすほど、言葉を交わした記憶が残れば残るほど、重く感じる。
その人に何もできないまま別れることも。
自分じゃなければもっとよくしてあげられたかもしれないって思うことも。
自分の判断や行動で人の死を早めたかもしれないと思うことも。
わざわざ自虐に浸るわけでもなく、ただ本当にそう思う瞬間がある。
どうしたって代わってやれやしないし、そんなことができたとて、そんなもの本当は自分で負えやしないのに、そうした言葉を漏らしそうになることがある。
僕のずっと頭がスッキリしなくて眠い感じがしてまどろんでいるような世界の中で、目の前の他人を愛おしい、失いたくないと思う瞬間、失った瞬間だけが鮮明だ。
それしか今は目印がないように思える。
本来、人は当たり前に死ぬものだ。
突然事故や事件や災害や戦争で死ぬものだ。
思わぬ病で死ぬものだ。
そうでなくても痩せていって死ぬものだ。
どこかの国のミサイルのスイッチかなにかが押されれば。
隕石が天文学的な確率で自分の家に落ちれば。
このベッドの中で今まさに死ぬかもしれないのだ。
長い時間をかけて復建した首里城も、ノートルダム大聖堂の立派な尖塔も、一夜のうちに燃えてなくなる。
目の前のもの全てが当たり前じゃない。
平均寿命の80歳を目処に考えるならば、自分に残された時間はあと1秒から1576800000秒の間だ。
目の前のあらゆる人達もだいたい1秒から2522880000秒の間に死ぬ。
忘れないようにしたい。思い出せる自分でいたい。
僕の仕事は、ちょっと強い風が吹けば潰えるような、蝋燭の火を、出来るだけ長く消えないようにする仕事に思える。
どうしたって消える時は唐突に消える灯火を、風が吹きませんようにと祈りながら、ありあわせの材料で風除けを作るような感じ。
本当にそうであればどんなに素晴らしいかと思う。
願わくば目の前の人が1秒から2522880000秒の間、少しでも長く、幾分か幸せにあれますようにと。そう願って精一杯動けるならば、どんなにいいかと思う。
今日文章を書き始めたのはふってわいた感情をとにかく書き残そうと思っただけだったけれど。
もっとちゃんと、そうしたカタチで力を尽くせるような自分をもとめていきたいと思う。
その先にもっと生きてるって、確かに感じられると思いたい。目の前のものを大事に思いたい。
まあ刹那的であれば手っ取り早い手段があるけどね。セックスはすごい。