高度9000フィートの命運
18:48′03″ 横田飛行場への緊急着陸断念
着陸の是非は分からないが. 少なくともJAL123便はエンジン出力でピッチとヨーを制御しようと努力していた。動翼に関しては油圧系統#2の残存油圧で右インボード•エルロンと左右1枚ずつのスポイラー3.10番を可動させることは可能だった。後縁フラップはオルタネートで展開可能である。よって曲がりなりにも緊急着陸試行に必要な条件は最低限整っていたものと考えられる。しかしギアダウンしても尚. 増速によるy軸周りの機首上げモーメントが働く傾向にあり. 増速時のピッチング制御の困難さは如何ともし難く. 着陸履行のない一発勝負には違いなかった。
羽田に帰還できれば着水の選択が可能だったが理由も分からず断ち消えてしまい. 唯一横田飛行場への緊急着陸の可能性が残った。
しかし穏やかな着陸態勢を数分間続けた後に. 突然離脱に切りかえたのは余りにも唐突過ぎたように見受けられる。
急ぎスラストレバーを押し込んで増速し急上昇しようと奮闘した痕跡がみられるも. ピッチングとエアストールの連続で即墜落する程の危機的状況を招くなど事態は一気に暗転した。以上は18:48′〜50′過ぎの出来事である。
DFDR上のALT:気圧高度は2000m以上と余裕があり. そのALTが正確ならば東京都北西部の低い山々を越えるくらいの事で焦る必要は全くなかったのである。
再三述べてきた通り. DFDRの見かけ上高度を嵩上げした疑いが強く. 実際はかなり低空まで降りていたと考えられる。
そこでJAL123の真の高度を追究する。
[CVR文字起こし]
18:49′19″
横田: Nine thousaods for direct area. maintain niner thousands then contact YOKOTA 129.4.
「高度9000フィートで指定のポイントへ飛行し. そのまま9000フィートを維持して横田に周波数129.4でコンタクトせよ」
東京国際空港を離陸したJAL123便の気圧高度計の初期QNHセッティングは29.93(インチ/水銀柱)▷1013.4hPaであった。
日本国内では14000フィート未満を飛行する場合は地域毎に指示を受けてQNHを補正する規定がある。高度計が示す値と真高度の誤差が大きくなると航空機同士の衝突や. 山間部では陸地に衝突する危険があるからである。
仮にJAL123が横田管制の指示通りに気圧高度計の指針に従い9000フィートを維持したなら. 山間部の気圧低下により予想外の低高度を飛行させられた可能性がある。
JAL123が向かった方角は西北西だった。既に自力で航法する術を失いレーダー誘導を要請していたJAL機への指示は方位に限るだろう。そしてこの空域は横田管制空域であるから横田にとっては自宅の庭のようなものであり. 山間部上空の気象状況や計器誤差はほぼ掌握していたはずである。
◉JAL機の18:48′以降の高度につき概算する
1.気圧補正
⚫︎一例として当時の記録が残る.埼玉県秩父気象観測所: 18時頃
標高232m
気温23℃
気圧990hPa
⚫︎横田飛行場: 18時
標高128m
気温29℃
QNH 29.97(inch/Hg)
この日. 関東地方の内陸部は大気が不安定で奥多摩. 秩父では17時頃. 一時的に雷雨があった模様。
1985.8.12 NHK臨時ニュース
報告書 P.19
JAL機のQNHセットとの気圧差: 1013.4−990 ▷23.4hPa
標準気圧表から換算すると1hPa当たり8.5mに相当するので.
8.5m×23.4 ▷約200mの誤差で9000フィートよりも低空を飛んだと推測される。
高度計で9000フィート▷2740mを維持すると真高度は200m低い2540m (8300フィート)となる。
2.気温補正
高度. 気圧. 気温には以下の関係式が成り立つ.
h.高度(m) P₀.海面気圧(hPa) P.気圧(hPa) T.気温(℃)
P.には本来なら真高度の気圧を代入しなければならないが. 9000フィートより低くなる1.気圧補正後の8300フィート(2540m)を目安に標準大気表から換算して750hPaを代入する。
h=[(990/750)^(1/5.257)−1]×(23+273.15)
÷(6.5×10⁻³) ≒ 2470m(8100フィート)
✴︎高度の指示9000フィート(2740m)に相当する真高度は8100フィート(2470m)程度だったと推測される。
🔘JAL123が横田飛行場を通過して尚. 横田管制の指示に従った場合にはどうなるか
航法用のアンテナを失ってレーダー誘導が必要だったJAL機は磁方位で指示を受けたと思しい。横田が指示したdirect area は具体的に何れの方向なのか. それが西北西(磁方位300°)ならば行手には2500〜2600m級の奥秩父山塊が待ち受けていたことになる。
JAL機は山塊の手前で右旋回してかわしたが. 夕焼けの西空に影絵のように見える地平線の一角に. 立ちはだかる甲武信ケ岳(2475m) 国師ケ岳(2599m) 北奥千丈岳(2601m) 金峰山(2599m) の峰々を目の前にして. 乗員の胸中や如何にとやり切れない想いである。
JAL機長は上空からだけでなく. この群馬. 長野. 山梨. 埼玉に跨る秘境に土地勘があったのかもしれない。最後まで飛行制御の努力をした場合は墜落ではなく不時着である。この絶望的な状況でも減速Gを極力分散させて. 事故後の数時間. 十数時間は生存者を多数出したことは賞賛されるべきと思う。
7700の救難信号を発してからの無線周波数の一本化. 緊急着陸空港の選定.準備これらは全て航空機の運用と同等に命を預る職務として厳しく調査し. 責任の所在を明確にした上で安全勧告の対象としなくてはならない。
1985.8.23 読売新聞 朝刊