中学生の頃広島原爆の経験者の本が学校の図書館に何冊もあった
被害にあった人たちもだけど、広島市以外から親族を探しにきた人たちも書いてあった。
その時ある違和感を感じた
原爆投下3日後である
広島に家族を探しにきた親子が母親と息子が落ち合うところを決めて二手に分かれて探したのだが結局見つからず、ところが母親はその後放射能の影響で亡くなったというのだ
また別の投稿でも兄弟で父親を探すがやはりもう一方が亡くなる
当時放射能の害がどんなものなのかわからない時代。
みんな放射能によって死んだとあった
しかしである。よく読むと二人共グラウンドゼロに対して南、港側を探した方が死んでいた
これは長らく私の中で違和感として残った
その後731部隊の本を読んだ
随分長いこと政府はその存在すら否定していたが数年前ロシアがその時に捕まった日本人の裁判記録を公開
ソビエト時代ずっとしまわれた録音も公開した
そこでは下っ端でロシア兵に捕まった証言があり悲惨な人体実験の数々を語っていた
上の人間は難なく日本に帰国して医師会初代会長などになっている
その時の生物兵器開発の人体実験で使われたものはコウモリとネズミ
そして731部隊の作った生物兵器をどうしようとしたのか
そう風船で飛ばしてアメリカに蔓延させる計画を行った
「風船爆弾は直径10メートル、総重量182キログラム。 太平洋戦争末期の1944年11月から45年4月にかけて、千葉・一宮、茨城・大津、福島・勿来(なこそ)の3カ所から約9300発が放球され、偏西風に乗って太平洋上約9千キロを横断。 米国上空から焼夷(しょうい)弾や通常爆弾を投下する仕組みだった。」
ここで広島にもう一つの闇を見つける
広島県竹原市にある大久野島。日本の化学兵器製造拠点として毒ガスの製造が行われていた。
もしこの風船爆弾を使って731部隊の生物兵器を飛ばす計画があったとしてその管理がこの島でやけっぱちの大本営が広島の港にあったとしたら
実は違和感はもう一つある。それは原爆を落とした飛行機が始めは小倉にしようとしたが天候が悪いので急遽広島に変更した行である
なぜってこれは昔から言われていたが正直アメリカの本部と飛行機のやり取りはトップシークレットである。それが戦後まもなく露呈するなんてあるだろうか?
むしろ生物兵器がそこにあると知ったから迷わず落としたと見るほうが理に叶う
イラクのときもそうだったよね
最後の違和感
当時広島の3日後に長崎に水爆が落とされる
はだしのゲンでは被爆者が伝染病扱いされるが長崎では起きなかった
このはだしのゲンではゲンを殴った兵隊がいきなり発疹後に下痢をして亡くなるシーンがある
これだ。始めは放射能の症状だと思った。しかしなにか変だ
これも違和感
ここで広島の原爆手帳を交付する条件を見てみよう
【交付の要件】
- 広島の「黒い雨」に遭ったこと
- 障害を伴う一定の疾病にかかっていること
- 15人以上(病室などの閉鎖された空間の場合は5人以上)の被爆して負傷した者が収容されている収容施設などにおおむね2日以上とどまったこと
- 被爆して負傷した者5人以上(1日当たり)と接触したこと
【交付条件】
- 原子爆弾が投下されてから2週間以内に、爆心地の周辺に立ち入ったこと
- 救護所などで多くの被爆者の救護にあたったこと
- 被爆して負傷した者と接触したこと
- 被爆して負傷した者が収容されている収容施設などに一定期間とどまったこと
- 身体に原爆の放射能の影響を受けるような事情の下にあったこと
- 胎児であったこと
8月6日当時大本営は広島の情報は統制したので誰一人広島の現状を知るものはなかった
そこで父の話が私に違和感を与えた
父は零戦に乗っていて小倉に配属されて上層部に呼ばれた
広島にどうも1発の爆弾で町ごと消えたので飛んでいって見てきてほしいという司令を受けたのだ
そう、軍内部ですら教えられていなかった
焼け野原で何も無いその現状に父は地上に降りて見たくなり一本の長い白い線を見つけて降りようとした寸前機首を上げた
白い線だと思ったのはご遺体が並べてあったのが線に視えたそうだ
それほど情報は統制されていた
だから同じ放射能であれば長崎も伝染病騒ぎが起きるべきなのだ
さて、もう分かるだろうか?
一矢報いようと日本軍は広島まで生物兵器をもってきて爆弾にして風船爆弾でアメリカ中をパンデミックに陥れようとしたのだ
それを事前にしった米軍はまっさきに広島を狙った
しかし、日本政府はひた隠しにしていた
最後にこれを確信した決定打がある
安倍さんの祖父は岸信介。かれは731部隊研究所の所長である
そして安倍内閣が発足してすぐにしたことは日本中の学校にあるはだしのゲンを外すことだった
そしてその生物兵器は今も世界に散らばっている
妄想ですww
これはつまり