(前書き)
改めて、この問題については、これまでも多くの方が触れてこられましたが、改めて付け加えておきたいと思います。
〜前記事からの続き)
……
このように、エホバの証人輸血拒否患者に対応した現場の医師が、目の前の命を助ける使命感と信念に突き動かされ、大きな圧力のもとに懸命の救命処置を続けるその一方で、
エホバの証人は、自らの信仰に基づいた輸血拒否だとみなされていても、実際には組織がこのような指示を与えなければ本当に輸血治療を拒否するのでしょうか?
組織の方針がコロコロ変わるのをひたすら確認し、自分が間違ってないか気にして、組織の言う神からの是認を得るために輸血治療を拒むのか、
信者の皆さまはもう一度、静かにご自身に問いかける必要があるかと思います。
組織は信者の人生に、責任を全く取ってくれません。「個人の意思で輸血拒否を勝手にしているだけ」と言わんばかりのコメントをメディアに対しては発信しているのを聞く時、何かがおかしいと思われませんか。
2023.2.25 ABCテレビ
サタデーステーションより
さて、前記事の症例報告の中にこのような一文があります。
二例目の症例より↓
このように、「協会の幹部が同席して『とにかく死なせて欲しい』と主張した」と医師は報告書に記載しています。
しかし、エホバの証人の組織としてはこれまで数々の報道の取材に対して「輸血拒否は本人の意思に委ねている」と主張し続けています。
これは詭弁としか言いようのない責任逃れでしょう。なぜ「我々はエホバの証人として皆、聖書の教理の通りに輸血を拒否します。信者はたとえ死んだとしても復活します。」と組織としての教理を堂々とメディアに言えないのでしょうか。
そんな事をするなら「理性を欠いている」とみなされるので、言わないほうが良い。とした長老団宛の文書(S55)が発行されています。
(現在はその一文は削除)
さらに、エホバの証人の公式サイトには、日本における未成年者の輸血拒否の際に生じる「児童相談所への通報」について、このような甘えた態度を言葉にしています。