NHK「こころの時代」は毎回大変考えさせられる内容ですね。

報道だけでは見えてこない、さまざまな過去からの経緯や問題の捉え方が、終始落ち着いたトーンで扱われていて、いつも見終わった後、時間を割いてでも観る価値があったなと思います。


特に、今回の「シリーズ宗教と政治 徹底討論Vol.10『解散命令』で何が変わるのか」は勉強になりましたので、一部内容を私の個人的に感想を交えて、ご紹介させて頂きます。


https://plus.nhk.jp/watch/st/e1_2025051123218 (現在NHKプラスで配信中。さらに今週末、17日土曜日の午後1時〜 NHK Eテレで再放送されます。


旧統一教会への解散命令から2ヶ月が経とうとしています。

教団側はこれを「信教の自由への弾圧」として、即時抗告し、内部ではより信者への圧力を高めています。このような「信教の自由の武器化」はなぜ起きるのか。


この番組での討論で挙げられていた点として、日本には宗教問題を扱うための土台になる価値観の共有がそもそもない事が、今回の旧統一教会についての出来事からも浮き彫りになって来たと言えます。



そもそも「宗教」は先祖から受け継ぎ、価値観を継承しモデルとなる理想的な家族像を持とうとするのは自然な姿であると、比較宗教学の釈徹宗さん。しかし教団としての「信教の自由」とはどこからどこまでを言うのか、社会制度の側から判断するのは、非常に難しい問題で、いったん「一線を超えた」ケースが出て来て初めて「社会秩序側からストップをかけるかどうか」が問題視される。つまり前もって『自分事として』宗教問題を捉えるベースが現在の日本には無い。


さらに登壇されたイスラーム研究者の八木久美子教授の発言は注目されるものでした。


「日本では、基本的には宗教は自分の意思で選ぶ事が正しいとみなされているが、世界的に見て宗教を自分で選んだ人は圧倒的に少なく、宗教二世は世界的に見て当たり前に存在する。

親の宗教を継承するのは自然な事で、(今旧統一教会側の行っている意味合いでの)信教の自由の武器化という現象はイスラームでは起こり得ない。

つまり、親の宗教を継承する、または押し付けられる事自体が問題なのではなく、何を押し付けられたかの『内容』に問題がある。


私はこの発言には大変共感を覚えました。


この親から押し付けられた宗教の教理の『内容』こそが、教団内で育った子どもを今に至るまで苦しめ、社会への不適合を招き、人生を破壊するまでに被害を及ぼしていると言えるのではないでしょうか。

つまりはこの、それぞれの宗教団体の持つ「教理」と、それが「それを信仰する人の人生と周囲の社会に及ぼす影響」を丁寧に観察し、可視化する作業は今後もどうしても必要だと思います。


日本には憲法がある。そして人には「良心」と呼ばれる生まれつき備わった価値基準があるではないか…そんな声も、この討論会の番組が終わったあとにどこかで呟かれたのではないかと私は内心思ったのでした。


そして…



さらに個人的には、我が古巣である「エホバの証人」たちはこの問題をどう捉えるのでしょうか。

いったん自分たちの宗教価値観を横に置いて、日本社会の外側からみて「組織」をどうみなせるのか、メタ認知をやってみて欲しいと思います。


一緒に討論できる「土台」がないのが「彼ら」でしょうし、悲しいかな自らを客観視すら出来ないのが「カルト」であろうと思います。

しかしそれをさせているのは、「教理の内容」そのものです。なぜそこに信頼を置くのか。

この「信じる」行為は、やはりひとりひとりの動機があってこそ成り立つもので、ここを各人が振り返ってみることがミクロの「信教の自由」ではないかと思います。


宗教にとって最も大切なのは「教え」そのものです。教理なんかどうでもよくて、「コミュニティに属したいから」という態度は無責任なのかもしれません。実際に教理を他人に教えて実行させる事には社会への責任がともなうと自覚すべきなのです。


これが、個人として誠実に生きる事でもあり、宗教に帰依する者としてのせめてもの「知性・理性」なんだろうと思います。そして、その誠意を持つことこそが自らと他者の人生の幸福感につながるはずだと信じて一歩を踏み出すこと。

これこそがより「宗教的」な行為ではないのか、と私は思っています。


以上、大変考えさせられる番組でした。

前述しました通りですが、

現在NHKプラスで配信中です。今週末、17日土曜日の午後1時〜 NHK Eテレで再放送されます。どうぞ皆さんもぜひご覧ください。



(記事の終わり)