吉村昭作品を読み進める⑫
(14)『深海の使者』
この本、忙しかったり、他の本に手を出してしまったりして、途中で挫折するかと思いきや、一年以上の時を経て、ようやく読み終えた。
読み終えてまず思ったのは、読んで良かった、ということだ。
またひとつ、「世界」の一部を知ることができた。
物語は、第二次世界大戦中、同盟国ドイツとの情報伝達と、その連絡路を描く。
主役となるのは、希望峰回りで大西洋へ向かう大型潜水艦の数々だ。
知識がなかっただけに、日本の艦船が大西洋を進んでいた、その事実だけで胸が踊った。
国際電話は盗聴され、暗号は解読される。
そこで鹿児島弁で話すというトリッキーな手法が用いられ、当初は功を奏するが、やがてアメリカに帰化した鹿児島出身者によって解読されてしまう。
その男は後に東京裁判で通訳を務めるが、戦後の日本の荒廃、そして「母国を裁く側」に加担したことを悔やみ、自ら命を絶つ。
そのような無数の逸話を交えながら、潜水艦は大海原を進む。
荒れ狂う希望峰を圧壊寸前でかわし、制海権が連合国側に移りつつある大西洋で、爆雷の振動を感じ、酸素不足に苦しみながら深海を行く。
航路のポイントには、ナポレオン最後の流刑地・セントヘレナ島近海なども含まれる。
数ヶ月に及ぶ長い航海ではあるが、この時代、情報の遅滞は思ったほど大きくなかった。
各国のラジオ放送によって、世界の大事件は把握できたからだ。
また、運ばれるのは情報だけではない。
大型潜水艦による往復航海は、ドイツの最新兵器や設計図までも輸送する。
人間臭い気の緩みもある航海。
だが、ようやく往復を終えたと思ったシンガポールの自陣で、自軍の機雷に触れて沈没するという皮肉な運命も描かれる。
二度目の航海では、ドイツに滞在していたインド独立の英雄 チャンドラ・ボースの移送という特筆すべき任務があり、唯一 日本へと帰還する。
この頃から、海路に代わる空路が模索されるが、給油の問題や非友好国の領空通過という壁に阻まれ、結果的に断念。
再び、数ヶ月を要する海路が選ばれる。
だが第三便は、出港して間もなく、イギリス軍艦によって撃沈される。
潜水艦から生還した乗員たちのサバイバルも、非常に興味深く描かれる。
そして1944年、第四便。
世界は完全に連合国優勢へと傾き、制海圏は急速に狭まりつつあった。
ドイツは戦況悪化、イタリアは降伏、大西洋は連合国の監視下。
その只中を、伊号第二十九潜水艦は進む。
ノルマンディー上陸作戦前夜、ロリアン軍港のブンカー(掩体)に滑り込み、情報交換、機密書類、新兵器――ジェット機の前進となる設計資料――を積み込み、さらに便乗のドイツ駐在日本人を乗せる。
ここで私は地図とにらめっこをし、各地名を把握、ついでにクリストファー・ノーラン監督作にも登場するダンケルクの位置も確認した。
また、トム・クルーズ主演作で描かれたヒトラー暗殺未遂「ワルキューレ作戦」も、ちょうどこの頃だ。
もはや雲行きの怪しいドイツを脱出し、爆雷の音、上部海面を進軍する大船団の気配を感じながら、第四便は復路を進む。
この頃から、ドイツ駐在の日本人たちは
脱出を模索し始める。
譲渡されたUボートの逸話もあるが、ここでは割愛する。
伊号第二十九潜水艦は希望峰近くを進むが、
暗号電報によって、おそらくすれ違ったであろう第五便・伊号第五十二潜水艦の存在が示される。
この期に及んで、なおドイツへ向かう便がある。
すでにノルマンディー上陸作戦は始まっているのに、である。
伊号第二十九潜水艦は、その後シンガポールで積荷を下ろし、帰朝の途につくが、台湾近海でアメリカ潜水艦三隻の攻撃を受け、沈没する。
ドイツは敗北濃厚。
連合国軍は四方からベルリンへ迫り、ソ連軍は東から二百万の軍勢。
駐在武官や日本人は国外退避を余儀なくされる。
まるで、ドリフの舞台転換BGMが流れるような忙しなくも鬼気迫る情勢である。
しかし、そこへ軍令部からの無理難題。
「できる限りのUボートを譲り受けろ!」
日本人は、最後の最後まで食い下がる。
伊号第二十九潜水艦が持ち帰った資料は、
戦闘機「秋水」、攻撃機「橘花」、特攻機「桜花」を生み、さらに伊号四百型という超巨大潜水艦の就航にもつながる。
それは、地球上のどこへでも往復可能な航続力を持ち、陸上攻撃機三機を搭載する怪物で、ニューヨークやワシントンへの奇襲攻撃さえ構想されていたのだった……。