きぶん。〜家族の癌闘病からお別れ〜
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実は、まだ、家族にも聞かせることができてない音声がある。


お母さんの最期のながーい会話です。

治療していた病院から、どうしてもどうしても転院しないといけない状況。
その時の、病院の先生は冷たかったなあ。

ここは、治療するのが目的なので。
これ以上の治療が無理なので、転院の検討を。


たくさんの人が待っているのは、わかってるけど、受け入れ難かったよ。正直。。


でも、そこは、やはり、
ちゃんと取り組みました。

役所に相談し、転院可能な病院を探し、
でもね、、、、


そもそも、最期の人を受け入れる病院は、少なかったです。最期といっても、家族だって、本人だって、最期と思ってない。


そんなもんです。
いまだから、こんな風に思えるし、言えます。
でも、最期まで助かりたい。長く生きたい。助けてほしい。少しでも長く。と

患者とその家族は望んでるんです。


正直、転院先を探していて、見つからない時は、どうしていいものか。初なもので。
追い出されるんじゃないか。自宅介護はとても難しい。いろいろな不安で押しつぶされそうでした。
(わたしよりも、おとうさんが。)




そんな不安とぶつかりながらも、お母さんといつも会いたい。不安がらせたくない。最期まで、家族として一緒にいたい。

いろいろな願望ばかりでした。そういうもんだとおもいます。その時間は楽しかったし、毎日のように会えた時間、嬉しかったです。


だからこそ、後悔はいまないんです。


今、思い出しても、
すぐに思い出せる思い出です。

きっと、今、その状況の方は辛いかもしれません。ただ、後悔しないように、一生懸命、一緒にいてあげてください!


後悔はないはず!悲しくても、後悔はありません。時間が長いと、辛いこともあると思います。
程よく、力を抜きましょう。


わたしは、絶賛、お母さんが闘病中、
お見舞い後に、お酒飲んでカラオケにいったこともあります。でも、一緒にいってくれる友人に感謝し、気を紛れることができました!!


ぜひ。おすすめです。


ほんとは、最期にお話しした
お母さんの朦朧とした中での、娘への会話をと思って書き始めましたが、やはり、今回無理でした。



涙がとまらず。
まだ、解決できてないのかもしれません。
もしくは、それを病気の中で朦朧とした中伝えてくれたことへの喜びなのかも。

まだわかりません、次回こそ、ブログに書けるようにしたいなーと思ってます。