都南 雷太のブログ

都南 雷太のブログ

元サラリーマン、退職後の年金暮らしです。平成30年は、3月に母が死に、続いて私ががんになって入院、4月には父が死ぬという大変辛い年でした。10か月の入院加療で何とか生還しましたので、脳トレのつもりでたまにですがブログを書きたいと思います。

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9月16日に「がん」と題したブログを書きました。「がん」は関心がある人もいるだろうと思って、主に起こった事実を淡々と書いたものです。このブログに昨日までの1週間で77通のアクセスがありました。それで、ああっ、見てくれる人がいるんだなーと思いました。せっかくなので、まだ言い足りなかった部分、主に心境、気持ち、感想などですが、それらをPART2としてまとめてみました。

 

ー忘れ子

では、前回言い足りなかったことを述べてもらいます。

まず、最初に、「がん」と分かったとき、どんな気持ちになりましたか?

ー雷太

やはり「何故、がんになったのか」です。「タバコも55才できっぱりやめ、その後15年間禁煙を続けているのに」「適度な運動を行い、食べ物もそれなりに気をつけていたのに」。特に体に悪いことをしてないのに、どうしてという気持ち。

それと「このまま死んでしまうのか」「私の人生もここまでか」という気持ちになりました。

絶望的な気持ちになりました。

これはがんになった者でないと分からない、がん特有の心理状態だと思います。

 

ー忘れ子

そうですね。がんになった者でないと分からないということは良く聞きますね。

次に、がんの原因をどう考えましたか?何故がんになったかという気持ちになれば、当然、原因は何かと考えたでしょう?

ー雷太

主治医は原因不明と言ってました。また、すぐにネットで「がん 原因」を検索したが、煙草、飲酒、食べ物・栄養、身体活動、体格、ウイルスなどの感染、化学物質、放射線など多岐にわたっていて、これといった特定はできない。原因不明とあった。

 

また、NHK特集「人は何故がんになるか」を見たら、次のような説明をしていた。

 人の細胞は約60兆個あり、皮膚は28日、胃腸は40日、血液は127日、骨は200日で入れ替わる。毎日、膨大な細胞分裂を行っている。この分裂の際、健康な人でも1日約5,000個の不良品を作り出す。その不良品ががんになる。健康な人ががんにならないのは、免疫力でその不良品をことごとく死滅させているから。

 つまり、老化、ストレス、不眠などで免疫力が低下すると、不良品を除去できず、残った不良品ががんになるというものです。

 

さらに、「病の起源」という特集では、夜眠っている間、副交感神経が活発になり、免疫機能で体内のがんを死滅させる。文明の発達で、電灯が普及し、夜になっても起きているようになった。眠る時間が減ったので、それにつれて、死滅しなかったがんが増殖するようになった。

 つまり、文明の発達ががんを生むようになったということです。

 

 このようないろいろな情報を集めてみて、比較検討して、がんの原因は免疫力の低下であると思いました。

 

ー忘れ子

なるほど。免疫力の低下ですか。そうかも知れませんね。

前回のブログでは、治療は医者に任せますと祈るような気持ちで入院したと書かれていましたが、どうしてそんな気持ちになったのですか?さんざん考え、調べた結果、そういう気持ちになったんでしょう?

ー雷太

はい。そのとおり。色々と調べました。

 

まず、抗がん剤治療をすると言われたので、抗がん剤について調べました。

抗がん剤は、第二次世界大戦でも使われた毒ガス、ナイトロジェンマスタードを起源とし、これを薄めたのが今使用されている抗がん剤であると。

そうか、毒ガスだったのか。だからがんも殺すが正常細胞も殺してしまうのか。正常細胞まで影響があることを抗がん剤の副作用と呼んでいるが、毒ガスなら仕方ないと思いました。

 

次に、全国の現役の医師に、自分ががんになったら、どういうがん治療を望むかというアンケート調査があるのを知りました。

それによると、手術は良いが抗がん剤は望まないという医師が多かった。抗がん剤は副作用が強すぎるという理由です。

 

それから、日本では、専門医が行っている手術、抗がん剤、放射線ががん治療の主流だが、このほかにどんな治療があるのかを調べました。

 

諸外国では、代替治療が行われていました。

ゲルソン療法(肉を食べず、大量の野菜ジュースを飲む)、超高濃度ビタミンC療法、ケトン療法(炭水化物を極端に減らす)、

NK細胞療法(患者の血液からナチュラルキラー細胞を取り出し、増殖・活性化して体内に戻す)、樹状細胞ワクチン・ペプチドワクチン併用療法、超高濃度ゲルマニウム療法、ポリMVA療法、インシュリンMVA療法、天然酵素反応療法など沢山の療法が紹介されていました。そして、日本のがん治療は50年遅れているとも書いていました。

 

また、最新のがん治療法として、プレシジョン・メディスン、人ゲノム療法というのもありました。

 

更に、民間療法としては、温熱療法(秋田県の玉川温泉など高温の湯で体温を温め、免疫力でがんを治す)、アガリクス(きのこ)療法、フコイダン療法(昆布、わかめなどに含まれる成分フコイダンを使う)、そのほか手かざし療法や祈祷まで紹介されていました。

 

これらの療法は、効果絶大とか、治った患者の証言とか、大学教授推薦、著名な医師も推薦しているなどを謳っていました。

 

ネット検索で最後に見たのはこれ。

がん患者は’何か良い治療法はないか’と藁(わら)にもすがる思いで代替療法や民間療法に頼る。だが、まれに治癒する患者もいるようだが、ほとんどはがんが進行して命を落とす。日本は皆保険の国。優れた治療法があれば国が承認し、保険適用とされる。逆に言えば、保険が適用されていない治療法は、効果が認められていない研究的治療にすぎない。日本では、医師の裁量権が広く、保険外の自由診療が行われている。中にはインチキ療法としてトラブルになっていることもある。こういう内容の記事でした。

 

これらを見て、やっぱり専門医にお任せするしかないんだなという気持ちになったものです。

 

ー忘れ子

入院治療中、死ぬんじゃないかと思ったことがありましたか?

ー雷太

①医師から、治療法が難しく、再発しやすいやっかいながんという説明を受けたとき。

②ネット検索で、私の病名マントル細胞リンパ腫をみたら、悪性リンパ腫の中でも非常に少ない希少ながんで、症例が少ないため、まだ標準療法が確立しておらず、医師が実験的な治療を行っているという記事を見たとき。

 

③入院して1か月後、髪の毛が全部抜けてしまったとき。

④同室に入院していた人が、治療の効果がなく、死んでしまったとき。その人は、急に別室に移され、しばらくしたら病院からいなくなった。地元紙に死亡広告が載ったので、死んだことを知った。だめと分かって自宅に戻されていたんだ。

 

⑤リツキサンを投薬中、アレルギー反応が出たとき。

⑥抗がん剤投与で、骨髄障害が起き、白血球や血小板が減少したとき。私の治療は難しかったようです。

 

そういったことで、6回ほど、死んでしまうんじゃないかと思いました。

 

ー忘れ子

では、逆に、助かるんじゃないかと思ったのは?

ー雷太

岩手医大を出て盛岡日赤に転院したからです。悪ければ、医大にとどまり、緩和治療室に移されるか、ホスピスに移される。かかり付けの病院に転院させるというのは、治る見込みが出たということだと理解していたから。

 

ー忘れ子

やっぱりがんは大変な思いをするんですね。雷太さんは運が良かったのですね。

では、これでPART2を終わります。

 

                    令和元年9月24日  都南 雷太

 

 

私、昨年がんに罹患し、約10か月の入院加療で何とかがんが消え、退院して今自宅でリハビリ中です。

 

がんについては、関心があると思いますので、私が経験し、勉強したことをブログに書きます。

 

例によって、(架空の人物)榛名忘れ子さんに登場いただき、対談形式で記載します。

 

忘れ子;がんに罹患したと分かったのは、いつ、どういう状況だったのですか?

雷太; 昨年3月1日です。かかり付けの個人病院で、偶然発見されたものです。

自覚症状が全くなかったので、念のためという感じで、全身を触診してもらった。そうしたら、腹に塊のようなしこりがある。これは腫瘍でないか。すぐに、CTをかけてみましょうとなったもの。

 

忘れ子:CTですか。それで?

雷太:腫瘍は12センチ×10センチの巨大腫瘍です。精密検査しないと分かりませんが、単純性腫瘍かジストかあるいはリンパ腫か、そのどれかでしょうということでした。

 

忘れ子;それで?精密検査をしたんですね。

雷太;3月4日に精密検診ということで、MRIと血液検査を実施。そうしたら、腫瘍マーカーのcl2レセプターが6,500となっているし、MRIでも盲腸付近にがんと思われる瘢痕があるので、これはリンパ腫の可能性が高いですと言われました。

 

忘れ子;腫瘍マーカーって何ですか?

雷太:がんになると、血液中にそのがん特有の抗体が出るそうで、CL2レセプターという抗体は157~474が基準値。これが6,500ということは明らかな異常ということですと説明された。

 

忘れ子;明らかな異常?

雷太;悪性リンパ腫かそれと同種のがんに罹患しているということだそうです。6,500という数値は、今、さかんにがんが増殖しているということだそうです。

 

忘れ子;それで即座に入院したんですか?

雷太;いや。リンパ腫の可能性が高いとなって、リンパ腫であればとてもここの病院では手が出ない。岩手医大の消化器内科を紹介しますとなったものです。

 

忘れ子;それで医大の消化器内科に行ったのですか?

雷太;そう。だが、また再度、CT,MRIをかけて,さらにペット検査を行った。

 

忘れ子;個人病院でCT,MRIをかけたのに再度検査をしたんですか?

雷太:紹介状とデータを記録したメモリーを提出したんだが、医大のさらに詳細なデータが必要ということで、再度検査をした。

 

忘れ子;医療機関でデータを共有しないんですね。それと、ペット検査って何ですか?

雷太;がんの活性度が分かるというもので、放射性の薬を注射して画像診断するものらしい。

 

忘れ子;それでペット検査の結果で、がんにかかっているとなったのですか?

雷太;はい。それから生体検査という、腹に注射針を刺してがんの一部を取り出して、顕微鏡で診断するというものをやった。その結果、悪性リンパ腫のなかのマントル細胞リンパ腫と診断された。また、がんの進行度はレベル4というかなり進行したものと診断された。

 

忘れ子;そんなに進行しているのに分からなかったんですか。

雷太;なんでもマントル細胞リンパ腫というのは、悪性度は中等度で、月単位で進行するがんだそうです。おそらく半年かそこらで急に大きくなったのだろうということでした。

 

忘れ子;ふ~ん。それで医大の消化器内科に入院したんですか?

雷太;そうではありません。マントル細胞リンパ腫と診断されたので、さらに専門の医大血液内科を紹介しますとなった。

 

忘れ子;たらい回しですか。

雷太;そういう気持ちになりました。

 

忘れ子;それで?

雷太;1か月間の検査中、だんだん熱が出て、食欲がなくなって、ふらふらになった。紹介された医大の血液内科では、なおも検査するから自宅で待機していてください。お手紙で入院した方がよいと知らせますからって言っていたが、すぐ入院させて欲しいと申し出、4月2日から医大の血液内科に緊急入院したものです。

 

忘れ子:緊急入院ですか。

雷太;そう。入院した時は、高熱で自分では分からなかったが、意識不明になる寸前だったそうです。

 

忘れ子:危なかったですね。それでどういう治療をしたんですか?

雷太:がん治療は、手術、抗がん剤、放射線の3つがあるそうですが、私の場合、悪性リンパ腫というのは白血球ががん化した血液のがんだから手術はできない。歳(70才)だから放射線治療も難しいとなって、もっぱら抗がん剤治療をしました。

 

忘れ子;抗がん剤治療ですか。どういう抗がん剤ですか?

雷太;分子標的薬のリツキサン、それにベルケイドというもの。VRキャップ療法というのだそうです。

 

忘れ子;分子標的薬って?

雷太:普通の抗がん剤はがんも正常細胞も全部殺してしまうそうです。それで、がんと正常細胞を見分け、がん細胞だけを攻撃する分子標的薬が開発された。それがリツキサンというものです。

 

忘れ子;それで治療した結果、効果があったんですね。

雷太;そう。この分子標的薬が登場してから急に血液がんが治るようになった。悪性リンパ腫も5年生存率が5割に向上したということです。

 

忘れ子;その5年生存率って何ですか?5年しか生きられないということですか?

雷太;そうではなく、がんは消えても再発する可能性がある。一応、5年間再発しなければ治癒したものとみなすということです。5年生存率というのは1つの指標みたいなものだということです。

 

忘れ子:ふ~ん。それで医大に入院して、治療を続けたのですか?

雷太;いや、途中まででした。ああいう大学病院は一般の病院と異なって、一般の病院では治療できない難しい病気だけを治療する、一応、危機を脱して治療法が決まったら、一般病院に転院させるということです。厚生労働省がそう決めたものだそうです。大学病院に患者が集中するので、そういう役割分担をさせるようにしたということです。

 

忘れ子:それで雷太さんはどこに?

雷太;医大を出て、盛岡日赤を紹介され、そこに転院しました。

 

忘れ子;ふ~ん。盛岡日赤に転院したのですか。そこでも医大と同じ治療をしたんですか?

雷太;いや、途中で抗がん剤の副作用がひどくなったので、ベルケイドをやめました。ベルケイドはしびれが出るという副作用があるそうです。リツキサンはそのまま継続ですが、ベルケイドをベンダムスキンという薬に変えました。

 

忘れ子;そういう変更ができるのですか?

雷太;抗がん剤は必ず副作用があるので、副作用がひどくなったら別の薬に変えるのだそうです。リツキサンはそのままだから一部を変えたというものです。

 

忘れ子;そうですか。それでがんが消えたので退院となったのですか?

雷太;がんが消えるというのを、寛解(かんかい)というのだそうです。医師が調べてがんが消えていると判断すれば寛解となるそうです。そして、5年間、がんが再発しなければ、治癒ということになるそうです。

 

忘れ子;ふ~ん。寛解は治癒とは違うのか。

雷太;寛解になったから今年1月30日したが、まだ治癒ではないから、5か年は経過観察を続けないとならないということです。

 

忘れ子;再発したら?

雷太;それが怖いのですが、再発したらまた入院して治療しなければならないそうです。ただ、今度は、がんを殺す治療でなく、それ以上がんが増えないようにする、維持療法にするということです。維持療法だと、経口薬だから、入院しなくてもよい

ということです。

 

忘れ子;今、自宅ではどんなことをしているのですか?

雷太:抗がん剤治療のせいで免疫力が低下しているそうです。自宅ではもっぱら免疫力を復活するような生活をしています。医者の指示は、うがい・手洗い、人混みには出ない、人と会う時はマスクをする、生ものは食べない、毎日1キロの散歩をかかさないというものです。

 

忘れ子:それならできそうですね。だが、聞いてみると、がんってつくづく大変な病気ですね。いろいろな検査があって、約10か月かかってやっと寛解になって退院したが、まだ5年間は観察が必要だという。お金も相当かかったでしょう?

雷太:医療費は高かったが、健康保険が適応されて、自己負担はそれほどでもありませんでした。また、郵便保険に加入していたので、保険金が下りた。助かりました。

 

忘れ子;いやはや。最後にお聞きしますが、医大に入院した時はどういうお気持ちでしたか?

雷太;岩手県では岩手医大が最高峰。ここでだめならもうどこへ行ってもだめと思って、治療は医者に任せますと、祈るような気持ちで入院しました。何とか助かったので、感謝しています。

 

忘れ子;今やがんは2人に1人がかかる病気だそうです。がんは皆さんが関心あると思い、雷太さんに詳しくお話いただきました。皆さんの参考になれば幸いです。ではこれで終わります。

 

                        令和元年9月16日          都南 雷太  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私、がんー悪性リンパ腫ーにかかり、昨年4月2日から今年1月30日まで、岩手医大、盛岡日赤に入院しました。

 

フェーズ4でしたからもうだめかと思ったのですが、VRキャップ療法という抗がん剤治療が効いて、何とかがんが消えてくれ、一応退院した。あとは在宅で体力の回復を図りながらもっぱら免疫力の回復を待つという生活です。

 

そういう訳で、ほぼ1年半ぶりでブログを書きます。

 

テレビで夏井先生が登場し、芸能人相手にこき下ろす番組が面白い。岩手では、毎週木曜日に放送される。

 

そういうにわにか俳句を見るようになった私だが、それを知った友人が川柳を作ったので、私のブログで紹介してほしいという。

 

かっては結構私のブログを見てくれる人がいたが、がんになって、1年半ほどお休みしていたので、何人が見てくれるかな。

 

友人の川柳

 

〇あなた誰? 互いに びっくり 夢枕

 

〇古希すぎりゃ どうにかなるさと 雲隠れ

 

感想や批評をいただければ幸いです。    

 

                   令和元年 9月 5日     都南 雷太