「いてきまーす」

「はーい、気を付けてね!」

眠たい目をこすりながら、タイツを履いた足をスニーカーに入れて、水色のランドセルを背負いなおして私は家を出た。暖かくなってきたけれどまだまだ朝はちょっと寒くって、私は足早に道路を歩く。通学路の途中には小さな公園があって、私はいつものようにそこへ足を踏み入れる。滑り台と、砂場と、ゆらゆらする遊具が2つあるだけの、小さな公園。周りは住宅で囲まれて、一方だけは小さな林につながっている。朝なので、もちろんそこで遊ぶ人は誰もいない。早い時間だからか、通学路を行く人もまばらだった。

「にゃーちゃーん、今日も来たよー、おいでー」

私は小さな声で、林に向かってそう呼びかけた。するとどこからか、がさがさと音がして、茂みの中から一匹のクロネコが飛び出してきた。私が”にゃーちゃん”と呼んでいるネコ。出会いは偶然で、学校からの帰り道、ふとこの公園を見たらにゃーちゃんがいたものだから、ネコ好きの私としては放っておけず、じりじりと近づいた。するとノラネコにしては珍しく、逃げることはせず、むしろ近づいて来て、頬を私の脚にすりすりしてくれた。ツンツンしたネコしか知らなかったものだからそれは新鮮で、以降私はにゃーちゃんに会いにこの公園に頻繁に通うようになっていた。もちろん、トラブルのもとになるのでエサや飲み物はあげないようにしている。ただただ、スキンシップをとるだけだ。それなのに、にゃーちゃんは私が姿を見せるといつもどこからか寄ってきてすりすりしてくれるのだ。なんてかわいいんだろう…!

「きょうもかわいいなあ、このやろー」

林から出てきたにゃーちゃんは、いつものように黒タイツを履いた私の脚に頭をすりすり。私はスカートの裾を足に挟んでしゃがむと、そんな頭をなでなで。のどをグルグル鳴らしながらくるくるまわって、前あしを私の太ももに乗せ、

「なあーお」

と鳴く。

「はいはい、いつものねー」

私は一度立ち上がって、近くのベンチに歩み寄ると、スニーカーを脱いでそこに正座する。するとにゃーちゃんはいつものように、ぴょんとベンチに飛び乗ると、そのまま私の脚に乗ってきた。ずしっと感じる重み、そして暖かさ、モフみ。ああ、幸せ…。

 すっとこうしていたいけれど、それだと学校に遅刻してしまう。私は公園に立つ5分ほど遅れた時計を確認すると、

「…ごめんね、にゃーちゃん、そろそろいかなきゃなんだ」

そうつぶやくと、にゃーちゃんは私の方に顔を向ける。そして、

「な」

短く鳴くけれど、私の脚の上から動こうとはしない。あれ、いつもなら立ち上がってぴょんと降りてくれるんだけれど。

「にゃーちゃん、また明日ねー」

私は体を持ち上げようと手を回す。そのまま持ち上げようとすると、にゃーちゃんは私のタイツに爪をかけていた!プツ…

「んあああああ」

「なあああお」

爪がかかっていたことに気づかず持ち上げてしまったため、右足のタイツに穴が…。

「ちょっとー、なにするのよー」

「なあん」

にゃーちゃんをわきに置いて、タイツの具合を確認する。けれどこれはどうしようもない…。帰って着替える余裕もないしな…。

そんなことを考えていると、にゃーちゃんがぴょんとベンチから飛び降りて、私のスニーカーをくんくん…。

「んー?」

パク。

「あ」

そして左足のスニーカーのかかと部分をくわえると、今まで見たこともないような俊敏な動きで走り出した。

「わ、ちょっと!」

あわてて追いかけようとして、そのまま何歩かタイツのまま砂の上を走って、私は両足の靴を脱いでいたことに気づく。といっても、そこにあるのは右足のスニーカーだけ。そっちだけでも履くと、私はピョンピョンと片足歩きで、にゃーちゃんがさった茂みの方へ。ただ片足歩きなんて普段しないものだからすぐにバランスを崩して、何度か左足を地面についてしまった。

「にゃーちゃーん、いい子だから出ておいで―」

左足を右足の上に乗せて、私は茂みの方へ呼びかける。どこか奥から、かすかにネコの声が聞こえる、気がした。これは、中へ入っていかなきゃならないのかな…。

「…はあ、いくか…」

さすがに、片足裸足で学校へ行くわけにはいかないので、決意した私は左足を林の中へ踏み入れる。がさがさと枝や葉っぱにこすれて、やがてじめっとふわっとした土の地面にたどり着く。そのまま木の枝をかき分け進むと、茂みを抜けて完全に林の中へ立ち入った。

「なあーお」

その林の中の一本のところに、にゃーちゃんはスニーカーを自分の前において座っていた。

「あ、にゃーちゃん、お願い、靴、かえしてー」

「んな」

いや、と言っているみたいに、にゃーちゃんはまた靴をくわえて、林の奥へ走り出す。

「ちょ、ちょっと!」

すでに地面につけていたのと、疲れるのとで、私はもう片足歩きをやめて、両足で走ってにゃーちゃんを追いかける。なんだか変な感じだ。靴と裸足と、交互に地面を感じる。100mくらい走っただろうか、急に林を抜けて、そこには池が広がっていた。朝日が当たって、まぶしく水面が光っている。

「わあ…」

林の奥にこんな池があったんだ。長く住んでいるけれど、知らなかった。

「ふにゃ」

「あ、にゃーちゃん!このやろ!」

ふと気づくと、すぐよこににゃーちゃんがやってきて、ごめんね、というように足元に左足のスニーカーを置いた。けれど左足はずっと裸足で走ってきたせいで、土でドロドロだったので、私はスニーカーを履かずそのまま池を眺めていた。うーん、と伸びをする。

「この景色をみせたかったのかな?」

私はその場にしゃがんで、にゃーちゃんと目線を合わせる。ふわあっとあくびをして、にゃーちゃんは池のそばへ近づくと、その水を飲みだした。よくよく見ると、透き通って底が見えるくらい、その水は綺麗だった。そうだ、と私は考えて、ドロドロの左足をそのまま水につける。

「つめたっ」

そのまま、水をパシャパシャ。土汚れと波紋がふわっと水面に広がった。遠くで鳥たちも水浴びをしている。いつのまにかタイツは足先が破れて、かかとにも穴が開いていた。土汚れでその穴も見えなくなっていたみたい。こんなタイツは履いておけないので、ある程度土汚れを落としたら、誰もいないのを確認して、その場で脱いでいくことにした。右足のスニーカーを脱いで地面に立つと、左足、右足とタイツをするすると脱ぐ。お日様の光が当たって、素足になってもそれほど寒くはなかった。

「なお」

脱ぎたてのタイツに、にゃーちゃんがじゃれつく。あげようかと思ったけれど、何かあると危ないのでそれは持ち帰ることにした。もう一度両足の素足を池の水で洗うと、持っていたタオルで拭いて、そのままスニーカーを履いた。素足で履くのはちょっと抵抗あったけれど、替えの靴下は持ってなかったから仕方ない。

「じゃあね、またあしたね」

「にゃ」

時間も時間だったので私はあわてて公園に戻ると、にゃーちゃんもとことこついてきた。そして出口のところで別れを告げる。なぜかにゃーちゃんは、公園より外には出てこない。明日はもうちょと早起きして、またあの池に行ってみようかな、と考えながら、通学路を走る。遅刻はほぼほぼ確定だけれど、新しい発見ができたことがうれしかった。

 

「西谷さん、チコクなんて珍しいね!何かあったの?」

「うん、ちょっとにゃーちゃんと遊んでたら、遅くなっちゃって!」

朝の会が終わったあとの休み時間、前の席の東戸さんが声をかけてくれた。今日も靴下を履かずに素足のまま上履きを履いていて、かなり安心。一人だけ素足だとかなり恥ずかしいから。

「にゃーちゃんって、最近仲良くしてるネコちゃん?今度紹介してよ!」

「うん、もちろん!」

あの景色は私とにゃーちゃんだけの秘密にしようかな。

 

つづく