「ルナは履いていたローファーを脱ぐと、白いソックスに包まれた足を廊下にのせた。

『・・・ひんやりしてて気持ちいい!』

はしゃいだ声をあげ、そのまま廊下を駆けていく・・・。」

学校のなかで上履きを履かず、ソックスのまま歩く。ネットで偶然見つけた短編の小説のなかで、とある女子高生がそんな行動をとっていた。その小説の挿絵も、制服に足元は白ソックスだけというイラスト。ほかの短編も、同じ女子高校生が主人公と会って共感できる部分がおおかったけれど、なぜだろう、一番印象に残っているのはその子の話だったのだ。内容は上履きを履かずに過ごす女の子が、学校で起きる不可解な事件を解決する、という話で、彼女が上履きを履いていない理由は、その短編小説を最後まで読んでもわからなかった。しかし、その小説を読んで以来、彼女と同じように、上履きを履かない学校生活をしてみたいと思うようになった。事件を解決するかどうかはどうでもいいが、あの、ソックスだけで楽し気に過ごしている様子を何度も何度も読むと、同じことをしたいという思いがどんどん強くなっていった。

 

 「あら、ユミ?どうしたの?」

「ちょ、ちょっと忘れ物しちゃって」

一度出た家に、重たい気持ちで帰ってきた。お母さんはびっくりした様子で尋ねる。

「早く出ててよかったわね、何忘れたの?」

「う、上履きをね・・・」

「それは大変!気づいてよかったわあ」

「そ、そうだね・・・。じゃあ行ってきます」

「行ってらっしゃい、気を付けて!」

あれから私はしばらくの間その場から動けないでいた。やがて一人、また一人と生徒たちが靴を履き替えて校内に入っていく中で、

(やっぱり、みんなの中で一人だけソックスって、無理・・・!)

そう思った私は、再びローファーを履き、家まで舞い戻ってしまった。電車に乗って、歩いて。時間を考えると遅刻ギリギリだが、恥ずかしい思いよりも遅刻した方がよかったと思っていた。

 洗ったばかりの真っ白な上履きに足を包まれた私は大きな安心感に包まれて自分の席に座っていた。始業にはぎりぎり間に合って、ほっと一安心。けれど、気持ちは決して晴れやかではなかった。前日の夜、寝るまでずっとあんなにやるぞ、やるぞ、と思っていたのに、いざみんなの前でやろうとすると、だめだった。家に戻って取ってきてしまうなんて、なんで気持ちが続かなかったのだろう。とても悔しい。

 その日の放課後。私は再び一人教室に残っていた。グラウンドからは運動部の練習の声。校舎内には吹奏楽部の楽器の音が鳴り響く。この前と同じことを、今日も実行しようと考えていた。みんなのいる前では無理、けれど今日やっておきたい、靴下生活。いや、靴下時間、かな?帰りのホームルームが終わり、教室から人がいなくなって、まわりの教室からも人の気配が消えるのを、私は明日の宿題や予習をしながら、今か今かと待っていた。机の下ではすでに上履きを脱いで、白ソックスだけになっている。上履きはすでに袋の中。今日はもうこれ以上履かない、という決意の表れだ。もしこの先、この教室に人が来たら・・・。ドキドキだ。そしてホームルーム終了から1時間。ついにその時がやってきた。隣の教室のカギをしめる音と、男女が歩いていく音を自分の席で耳をひそめて聞いていると、私はソックスのままペタペタと教室を歩き、顔を出した。大丈夫。どの教室にも、もう人はいない。再び扉を閉め、大きく一つ息をする。今日一日ずっとやりたかったこと。でもできなかったこと。授業中、何度上履きを脱いでしまおうと思ったことか。何度か上履きからかかとを浮かせたりすることはあったが、やはりほかのクラスメイトの目もあって、いまのように完全に脱ぐことははばかられた。

「やっぱり、ひんやりしてて気持ちいい・・・」

教卓の前に立って、背伸びをする。日も沈みかけ、校舎内はまだ真っ暗というわけではないが、電気がほしくなるくらいという感じ。私はこの前と同じように、ソックスのまま教室内を歩き始めた。同時に、窓のカギがかかっているか確認する。一通り見てしまうと、足の裏を確認してみる。

「・・・わあ」

そこには、床についていた部分にホコリや砂が付いて灰色になった足裏があった。小説の中にはこんな汚れの描写はなかったけれど、私は自分のソックスがこんな風に汚れていくのにも快感を覚え始めていた。自分でも、変になっちゃったのかなと思ってしまう。

「さて、行きますか・・・」

気が付けばそろそろ下校の時間。私は荷物をまとめると、上履きを入れた袋を持って、廊下に出るとカギをしめた。ガチャ、という鍵が閉まるのと同時に、

「あ、ごめん、ちょっとまって!」

心臓が口から飛び出るかと思うくらい驚いた。びくっとして、声のした方を向くと、部活が終わって着替えたのか、制服姿の池永くんが立っていた。急いできたのか、息が上がっている。

「ごめん、ちょっと机の中に忘れ物しちゃってさ。もっかい開けてもらっていい・・・?」

「う、うん・・・」

「さんきゅ!」

まだバクバクなっている心臓を抑えつつ、私は震える手で教室のカギを開けた。池永くんは一瞬で忘れ物を見つけると、すぐに戻ってきた。

「ありがと!・・・小野寺さん、大丈夫?」

「え?う、うん、大丈夫、だよ」

なかなかバクバクが収まらなくって、私は自分がいま上履きを履いていないソックス姿であることに気づくのに時間を要してしまった。どうしよう。池永くんに、ソックス姿を見られてしまった。

 

 「あれ?小野寺さん、上履きどうしたの?持って帰るの?」

ドアの前に立って一歩も動かない私に、池永くんが尋ねる。どうしよう。言い訳なんて何も考えていない。足が内またになって、私は体をどんどん小さくしていった。言葉が全く浮かばない。

「まあ、いいや。下校時間だし、いこうよ、小野寺さん」

そのまま何も言わない時間が過ぎ、池永くんは何かを察したのか、私に背を向けて、歩き出した。私はなんとか息を整えて、いま上履きを履くのもまた疑問に思われてしまうと思い、ソックスのまま廊下を歩き出した。滞りなく職員室に鍵を返すと、待ってくれていた池永くんと一緒に靴箱へ。ローファーを地面に置くと、ソックスをそのまま通した。上履きを入れた袋は、手に持ったままだ。うまく頭が働かず、本当は靴箱に置いて帰るつもりだったのに、そのまま持ってきてしまった。さっきからお互いに言葉を交わしていない。池永くんも私に気を遣ってくれているようで、申し訳ない。私自身も、今のこの気持ちを知ってもらった方が楽になるんじゃないだろうか

そんなことを考えていた。だから二人並んで校門を抜けたところで、私は意を決して口を開いた。

「い、池永くん!」

「ん?どうしたの?」

ちょっとカッコつけて、ポケットに手を突っ込みながら歩いていた池永くんが振り返る。

「私、私のさっきのこと、聞いてほしいの・・・!」

夏の夕方、生暖かな風が私のほほをなでていった。

 

つづく