「チオー、ちょっといい??」

「お兄ちゃん!どうしたん?」

テスト期間最終日の夕方、連日のテスト勉強から解放されて、制服のまま自室のベッドで、読もう読もうと楽しみにしていたお気に入りの少女漫画を読みふけっていると、お兄ちゃんがやってきた。

「ごめん、悪いんだけどさ、俺の忘れ物、とってきてほしいんだよね」

「忘れ物??」

「うん、学校の机に入ってるノートなんだけど・・・。俺、今から予備校いかなきゃで、友達にあたっても断られちゃってさ。頼れるの、チオしかいないんだ!」

それはそれは・・・。私しか頼れないって言われると助けたくなるけど・・・。

「えー、明日じゃだめなん??」

せっかく帰ってきてくつろいでたのに、また学校まで行くのはめんどくさい。自転車で7分の距離なんだけど。ちなみに、私とお兄ちゃんは同じ高校に通ってて、私は1年、お兄ちゃんは3年。今年受験生ということもあって、放課後はよく予備校に行っている。今日は確か、数学と化学の授業があったはずだ。

「今日中にほしいんだ。予備校終わったらもう夜だし、ほんとにチオしかいないんだ」

「でもなあ・・・」

うごきたくないなあ・・・。

「・・・わかった。とってきてくれたら、なんでも好きなものひとつ買ってやるから・・・」

「え!ほんと!」

そう言われてしまったら仕方ない。前々からほしかったバッグがあるんだ!

「行ってくれる?」

「うん!」

私は漫画にしおりを挟んでベッドから跳ね起きる。

「よかった!じゃあ頼むよ!」

「おっけい!お兄ちゃんの机の中のノートだよね。どんなの?」

「表紙が黄色の、キャンパスノートだよ。たぶんそれしか入ってないから、すぐわかると思う!」

「りょうかい!じゃあ一緒にそこまで行こうよ」

私はお兄ちゃんの手を取って、階下へ向かった。靴を履こうとしたときに、素足であることに気づく。もうすぐ夏休みという時期、暑くて、家についたらすぐに紺色のハイソックスは洗濯籠行きなのだ。どうしようかな、わざわざまた靴下を履きに戻るのも面倒だし、ちょっと行って帰ってくるだけだから・・・、このままでも大丈夫でしょ!そう考えをまとめると、ちょっと迷って、いつも履いているローファーに足を通す。

「チオ、靴下はいいの?」

先に靴を履いていたお兄ちゃんが、フシギそうに尋ねる。

「いいのいいの!ちょっとだし!じゃ、いこっ」

「いいんだ・・・。あ、そうだ、ノート、中は見ないようにしてもってこいよ、頼むから!」

「はいはーい!」

別々の自転車に乗り、最初の交差点でわかれる。そのまままっすぐ進んでいる時、さっきのお兄ちゃんの言葉が引っ掛かった。仲は見ないで・・・?そう言われれば、見たくなるよなあ。しばらく道なりに進んで、交差点を曲がると、私たちの通う高校だ。夕方5時だけど、まだ部活をしている生徒がいるから校門はあいていた。テスト明けからおつかれさまですっ!ちなみに私は家庭科部。週に3回で、金曜日の今日はナシ。

いつも使う昇降口へ行き、靴箱のふたを開ける。

「あ、やべ・・・」

そうだったー、今日は金曜日、明日からお休みだから、上履きを持って帰っていたのをすっかり忘れていたー。縁側においてあるー。

靴箱に入っているのは、体育の時に外で履く運動靴のみ。さすがにこれは上履きにならないし、土足で行くのも、ばれたらまずいし・・・。かといって、上履きを取りに帰るのもまためんどくさい・・・。

「このままいくか・・・」

幸い、校庭で頑張る部活性の声は聞こえるが、校舎内に人の気配はない。土足で行くのは気が引けるので、私はローファーを脱ぎ、素足を廊下にのせた。制服姿に、裸足で校内を歩く。高校に入って初めてだ。プールの後に、素足で上履きを履いてしばらく過ごしてたことはあるけれど。

お兄ちゃんの教室は、校舎の3階。ペタペタと足音をさせながら、階段を上る。床はざらざらしているが、ひんやりしてて気持ちいい。足の裏全体でそれを感じながら、私はお兄ちゃんの教室へたどり着いた。

「しつれいしまーす・・・。えっと、お兄ちゃんの机は・・・と」

まっすぐに、窓側の前から5列目の机をのぞく。なぜ知っているかというと、毎日のようにお昼休みになると、お兄ちゃんの顔をみに行くからだ。お土産としてパンを一個くれるのも、目当てなんだけど。

「あれ?ノートないやん・・・」

机をのぞいたら、空っぽだった。記憶違いかな?いや、確かにお兄ちゃんの机はこれだった。一応前後の机を見てみたが、黄色のキャンパスノートはなかった。

「おっかしいなあ・・・。どうしよ」

すっかり困ってしまって、私はお兄ちゃんの席に座った。そのとき、ガラッとドアが開いた。

「え、だれ?」

「あ、あなたこそ、誰よ!チトセの席に座って・・・何者?!」

チトセ、というのが、お兄ちゃんの名前。そこにいたのは、黄色いキャンパスノートを胸に抱いた、かわいらしい女子生徒。

「私は、おに・・・チトセの妹の、柊チオですけど・・・」

「え、妹・・・?もう、びっくりさせないでよ!」

「ご、ごめんなさい・・・?で、あなたは?」

「あたしは、チトセとお付き合いさせてもらってます、2年A組の高田リオ。よろしくね、妹ちゃん」

「へ?」

「ん?」

「え、えと、お付き合いって・・・?」

きいてない、きいてないよ、お兄ちゃん・・・!

「そのままの意味よ、つまり、あたしは、あなたのお兄さんの、彼女さん」

「まじすか!?」

かわいらしいこの女子生徒が2年生であったことも、お兄ちゃんにこんなにかわいい彼女さんがいたのも、とてつもない驚きだ・・・!私は、席に座ったまま、自分の素足を見ながらぼうっとしてしまった。

「だ、大丈夫?それで、あなたはここで何をしていたの?お兄さんはもう帰ったはずよ?」

「あ、そう、それです、お兄ちゃんの忘れ物を・・・」

そういって、リオさんが持っていたノートを指さす。

「ああ、これ。やっぱり、あいつ忘れて帰ってたのね!まったく、見つかったらどうするのよ・・・」

ノートを抱きしめて、ぶつぶつ言うリオさん。ぷくっとした顔がまたかわいらしい。

「あの、それを持ってきてって言われてここに来てたんですけど・・・」

「あなたに?まったく、妹に持ってこさせるなんて!デリカシーなさすぎ・・・」

「あのー、そのノートって、なんなんですか?」

気になって気になって、私はおそるおそる聞いてみた。

「この際だから言っちゃうけど、・・・交換日記」

「こ、こうかんにっき・・・」

ヒャー、交換日記、書くカップルっていたんだ!こんなちかくに!

「て、照れるわね・・・。そうよ、チトセと、あたしの、交換日記よ。それを妹ちゃんに持ってこさせるなんて・・・」

「だから、見ちゃダメだって言ってたんですね、お兄ちゃん」

「あいつそんなこと言ってたの?そう言われると見たくなるでしょ、あなたも」

「うんうん、見る気マンマンでした」

こうこくうなずく。

「あー、あぶないあぶない。あたしが確保しててよかったわ。さ、一緒にお家へ行きましょ。案内、してくれる?」

「へ?いらっしゃるんですか??」

「だって、見られるの、いやだし・・・、チトセの家、知りたいし・・・」

あ、本音は後半かな。私もそんなに意地悪でもないから、一緒に帰ることにした。

「わかりました!ここから自転車で10分かからないくらいですけど、自転車持ってます??」

「あたし、電車通学・・・」

「あちゃー、じゃあだめですねえ」

そう言うと、慌てたように手を振りながら、

「ま、まってまって、・・・徒歩じゃ、だめ?そんなに遠くはない、でしょう?」

ノートをぎゅっと握りしめて、やや上目遣いに聞いてくる。私でもきゅんとしてしまった。

「うーん・・・、まあいけないことはないですけど・・・。リオさんは大丈夫ですか?時間とか」

「あたしは大丈夫!そうと決まれば、行きましょ!」

「あ、はーい!」

くるりと踵を返して、廊下へ向かうリオ先輩。私もあわてて、ペタペタとついていく。

「ちょっと荷物をとってくるから、ここで待っててもらえる?すぐに来るから!」

「わかりました!」

2年の教室は一つ上の4階。階段を上がるリオ先輩を見ていると、さっきまでは気づかなかったけれど、上履きを履いていなかった。白いソックスだけで、階段を上るときに見えた足の裏はけっこう汚れていた。私も気になって素足の裏を見てみると、ホコリや砂で灰色に。後で洗っとかなきゃな・・・。リオ先輩も上履きを持って帰ってたのを忘れてきちゃったのかなと、妙な親密感を覚えた。

「おまたせ!行きましょ」

5分後、戻ってきたリオ先輩は、今学校帰りであるかのように、リュックにサブバッグを持っていた。

「あれ、リオ先輩、今帰りですか?」

「ええ、そうよ。委員会活動があったから」

あれ?おかしいな。じゃあなんで上履きが・・・?

「ところで、チオちゃん、あなたなんで裸足なの・・・?」

あちゃ、つっこまれちゃった。

「あ、えとですね、上履きは持って帰ってて、それ忘れて学校来ちゃったもので・・・。えへへ」

「気を付けなくちゃ、あぶないわよ。足も汚れちゃうでしょうし・・・」

「で、でも、リオ先輩だって、靴下、ですよね?なんでですか?」

話の流れで、思い切って聞いてみる。

「あ、あたし?これは、ちょっと事情があってね・・・」

そう言って、口をつぐんでしまった。え、ウソ、もしかしていじめとか・・・?

「あ、ごめんなさいね、いじめとかじゃなくて、自分でやってることだから、安心して」

「そ、そうですか・・・?」

そう言われても、なんだか気になってしまう。様子を見ていると、ふだんから靴下のままで過ごしているような、そんな気がしてしまう。でも、この話はあまりしたくない雰囲気だったので、私は話題をお兄ちゃんのことに変えて、昇降口までやってきた。

「私、自転車取ってくるので、ちょっと待っててください!」

そう言って、靴箱から靴を取り出す。軽くパンパンと足を払って、素足のままそれを履く。一人の時は何も感じなかったけど、誰かと一緒だと、この格好ってけっこう恥ずかしいかも・・・。

自転車を取って戻ってくると、黄色いノートを抱いたリオ先輩は、しっかりとローファーを履いて、校門のところに立っていた。

「じゃ、いきましょうか!」

「よろしくね、チオちゃん」

夕焼けに染まる空のもと、私とリオ先輩は、ゆっくりゆっくりと、お兄ちゃんについてあれやこれやと話を弾ませていた。これからの私の生活がどう変わっていくかなんて、この時は全く考えていなかった。

 

つづく