無事に学校につくと、ほんの少しの期待を持って、私はアカネお姉さんの教えてくれた通りの靴箱、2年F組、出席番号20番の蓋を開きました。しかしそこには何もない空間があるばかり。アカネお姉さんは、本当に、これまで上履きを履かずに過ごしていたということなのでしょうか。始業まで、あと20分ばかりです。私はローファーを脱ごうにも、上履きがないのでは、ソックスのまま歩くしかありません。アカネお姉さんの普段から履いている、ワンポイントの白ソックス。それは私の普段履いているソックスより、いくらか薄く感じます。このソックスだけで、この学校の中を、歩かなければならないのです。アカネお姉さんの学校は、いたって普通の私立高校です。ただ、キリスト教を重んじていて、学校内には教会が建っています。週に一度は、そこで全校生徒が集まって、祈りを捧げるのだそう。今日がその日でないことは、確認済みです。校舎は建てられて結構な年数が経つようで、床など校内の大半は木製。教室のドアも軋みの強い、木製の引き戸だということです。私の目の前にある空っぽの靴箱も、全て木でできています。足元には、やや新しめのすのこ。ここから私は、ソックスのまま、歩かなければなりません。始業の時間が迫っています。今私は、ミドリではないのです。早く教室に行って、状況把握をしなくてはならないのに、これでは時間がなくなってしまいます。頭ではそう考えていても、それでもやはり、私はなかなか靴を脱げないでいました。そもそもどうして、アカネお姉さんは上履きを履いていなかったのでしょう?忘れてしまったわけではなさそうですし、いじめに遭っているとも思えません。なら、どうして・・・?
「おはよ!アカネ、どうしたの?入らないの?」
靴箱のトビラをあけたまま静止していた私の肩をポンとたたく女の子が。唐突だったので、反応がたどたどしくなってしまいます。
「え?あ、いいえ・・・、ううん、いま、入ろうとしてたところです・・・だよ!」
日頃誰に対しても丁寧語を使う私ですから、アカネお姉さんのようなフランクな話し方にはなかなか慣れません。昨日、ちょっとだけ練習していたのですけれど。そんなことよりも、いま目の前にいるこの子は誰なのでしょう。おそらくは、アカネお姉さんのお友達のようです。そうでした、週末に見せてもらった、集合写真。その中で、アカネお姉さんの左隣にいた人物。彼女は赤井葵(アオイ)さんです。アカネお姉さんと同じ、バスケットボール部に所属しています。ちなみに、今日は部活はお休みです。でなければ、私は絶対、入れ替わりなんて、許しませんでした。私はスポーツがからきしダメなのです。放課後は、図書室で本を読んでいる、そんな少女です。バスケなんて、できるはずがありません。
「アカネ、大丈夫?なんかいつもと違う感じがするけど・・・、じゃあ、行こうよ!宿題、どーせやってないんでしょ?みせたげる!」
赤井さんは靴箱から上履きを取り出し、パタンとすのこの上にそれを落とすと、私の履いているものより短めの白ソックスを履いた足を通しました。
「・・・あの、ひとつ聞いて、いい?」
「ん?なあに?」
私は思い切って、アカネお姉さんについて訊いてみようと思いました。アカネお姉さんと仲のいい赤井さんなら、きっと知っていると思います。
「私、じゃなくて、あたし、上履きって、どうした、んだっけ?」
すると赤井さんはキョトンとして、
「上履き?もう、アカネったら冗談?自分で持って帰ったんじゃない、5月に。忘れちゃったの?あれからずっと靴下生活してるでしょ?ねえ、本当に、アカネだよね?頭打った??」
私はフリーズしてしまいました。アカネお姉さんが、5月頃からずっと、靴下生活・・・。一体、アカネお姉さんはどんな学校生活を送っていたのしょう?なぜ靴下生活なんて・・・。
「そ、そうだったねー。上履き、履いてなかったっけ」
「そうだよー。もう、ねぼけてんのー??」
そういいながら、お友達が私を見ています。一緒に、教室まで行ってくれるつもりのようです。つまり私は、初対面の彼女の前で、靴下のまま、学校内を歩かなければならないのです。は、恥ずかしい・・・。とても恥ずかしい・・・。でも、それをしなくては、一日中ここにいなくてはならなくなります。それはまずいでしょう。
私は心を鎮めて、右足、左足と、丁寧にスニーカーを脱ぐと、ソックスだけで、すのこの上に立ちました。スニーカーをしまって、ふたを閉じます。これから先、私は一日靴下生活・・・。人生で一度も経験したことはありません。小学校や中学校ではこまめに上履きを持って帰ってはいましたが、一度も忘れたことなどなかったのですから。
「あ、やば、もうすぐホームルームだよ!ほらアカネ、早く~」
アオイさんに手を引かれて、私は無理矢理にもソックスのままの足を踏み出します。木の感触が足の裏から直接伝わります。ひんやり、でもやわらかな感触。嫌ではありません。けれど、階段を上り、大勢のアカネお姉さんのクラスメイトが待つ教室に近づくにつれ、私の鼓動が速まるのを感じます。今日は月曜日。誰か私のほかにも上履きを忘れて靴下のままの子はいないだろうか。そんな淡い期待をもって、アオイさんとともに教室へ足を踏み入れました。
「おっはよー!まだセーフだよね!?」
教室のみんなが振り向くような元気な声で挨拶をするアオイさん。私も声を出そうとしますが、恥ずかしくって言えませんでした。普段なら、静かに教室に入って、近くの席の子に軽くおはよう、という程度です。
「あれー、アオイの後ろは、アカネ?どしたの、元気ないじゃん?」
親し気に話しかけてきてくれたのは、アカネお姉さんの親友、茶山桃子(モモコ)さん。ほかに黒沢桜(サクラ)さんや金田紫苑(シオン)さんも一緒です。アカネお姉さんはこの方々と同じグループでいつも遊んだりしているらしいです。
「えっ、そ、そう?ちょっと今日は眠いのかもしれない、なあ」
アカネお姉さん、どうやらとても元気なキャラらしいですが、とてもこの状況でそんな元気は出せません。今のところは、寝不足であるということにしておきたいところです。ふと思い出して、皆さんの足元を見てみましたが、ざっと見たところ、どなたもしっかりと上履きとソックスを履いています。やはりソックスのままなのは私だけ。それを意識するとまた小さくなってしまいそうです。ああ、恥ずかしい・・・。
「あ、チャイムなった。また後でね!」
普通の学校とは違うメロディーのチャイムを聞きながら、私は教えられていた通り、アカネお姉さんの席へ着きます。廊下側の列の一番前です。ふと気になって、こっそりとソックスを確認してみましたが、すでに灰色の足の形が、白ソックスの裏に浮き出てしまっています。こんなのをほかの人に見せるなんて・・・!今日はなるべく席から動かないようにしたいところです。
つづく