翌日。目覚めはよかった。ベッドの上で伸びをして、カーテンを開けると、外は雨だった。そういえば、明日は強くふるって、昨日、テレビのアニメーションつきの天気予報でいっていたのを思い出す。
 支度を済ませ、ランドセルを背負う。それだけ。他には持っていくものなど何もない。あたしはなるべくベッドの方を見ないように、部屋を出て、そのままいそいそと家を出た。立ち止まったら、きっと上履きを持ってきてしまう。それはいやだ。もう、いままでのあたしに戻りたくない。
 お気に入りだったがあまり使う機会のなかった、おしゃれな雨傘を手に、通学路を歩く。途中でクラスメイトの女の子と出会う。毎朝、いつも一緒に登校している女の子だ。
「雨、いやだねえ」
その子は黄色い傘を差しながら、空を見上げて呟いた。雨はザーザーと、降っている。
「うん。でも、この傘が使えるから、ちょっとうれしい」
「そういえば、かわいいね、傘。ウチもほしいなあ」
それから他愛ない話をしながら、あたしたちは学校の校門をくぐった。忘れていたはずなのに、あたしの心臓がそこかr激しく、ドキドキしだした。なんでだろう。息も上がって、身体中に汗をかいている。
「どうしたん?大丈夫?ヒナちゃん?」
その子が傘のなかから心配そうにこちらを見つめていた。あたしはなにも答えることができずにいた。今日の計画。上履きを、家に置いて、ハダシ教育を始める・・・。
 でも、やっぱり、ムリだよう・・・。
「ご、ごめん、ちょっと、忘れ物!!」
「あっ、ヒナちゃん!」
あたしは靴箱の目の前でくるりときびすを返すと、もと来た道を走りだした。なぜだろう、涙が溢れていた。なんで?どうしてこんなにドキドキするんだろう。あたしはやっぱり、ハダシになれないのかな。あたしって、そんなに弱いのかな?心ではやりたいって、思っているのに・・・。苦しくて、悲しかった。雨はそれでも、激しく降っていた。お気に入りの傘を、否応なしに叩いていた。
 その日一日、なんだかからだがだるかった。授業にもあまり集中できずにいた。帰りの会が終わった後、あたしは先生に呼ばれた。教室の前の端っこに置かれた先生の机。かっこいいミニカーの模型が、ケースに入れて飾ってあった。
「遠野、今日はなんだか辛そうだったけど、大丈夫か?」
「はい、すいません、ちょっと、今日は、いろいろあって・・・」
「なにか相談したいことがあったら、いつでもおいで。待ってるから」
「ありがとうございます」
あたしは深く、お辞儀をした。同時に、自分の足元が目に入った。今日はがんばって、一日中ハダシで過ごすんだったのに・・・。
うつむいたまま固まっていたあたしを、先生は優しく撫でてくれた。
「もしかして、みんながハダシでいること、気にしているのか?それだったら、問題ないよ。なにも強制しているわけじゃない。嫌なら、それでいいんだ。誰も困らないし、俺も怒ったりはしないから。いいんだよ、気にしなくて」
顔を上げると、優しく微笑んだ先生の顔があった。みんなのいう、"片岡スマイル"だった。これを見たら、その翌日は一日、幸せに過ごせるという・・・。
 先生にお礼を言って、自分の席についた。帰りの会でもらったプリントが、まだ机の上に重なっていた。隣の席の山田君は、まだ帰っていないようだった。幾つものキズがついた濃紺のランドセル。机からはみ出して床に落ちたプリント類。始業式から約1ヶ月。隣同士なものだから、彼とは結構よく喋るようになっていた。彼の話は面白くて、いつもあたしを笑わせてくれた。一年中半袖、半ズボン、ハダシというのは本当だった。寒くないのか尋ねると、もう慣れたという。小さい頃から、よくハダシで外を駆け回っていたそうだ。
 そんな彼の姿をあたまに思い浮かべながら、あたしはある計画を思いついた。これならもう、今日のような失敗は、繰り返すことはないだろうという計画。でもそれは、彼がいなくては、できない。あたしは、彼の帰りを待つことにした。窓から芝生のグラウンドを見てみると、そこでは男子数人が、サッカーをして遊んでいた。あたしは今だに、外で遊んだことはない。教室でおしゃべりしたり、図書室で本を読んだりして、休み時間を過ごしていた。グラウンドの男の子たちはみんなハダシで、サッカーボールを追いかけていた。ボールを蹴る時、痛くないのかなと、心配になる。やがて下校のチャイムが鳴り響き、彼らは校内へと駆け戻ってきた。少しして、山田くんが、教室に入ってきた。気づくとそこには、あたしと彼しか、いなかった。他のみんなはもう、帰ってしまったらしかった。
「よお、遠野。どーしたんや?めずらしい。いつもはもう帰っとるのに」
彼は汗を拭き拭き、机の上を片付け始めた。いらないプリントは机の中にぎゅうぎゅう押し込む。あたしは今あたまに思い浮かべていた計画を彼に伝えた。それを聞いた彼は快く頷いてくれた。朝から降っていた雨は上がり、夕焼けが校舎内と芝のグラウンドを真っ赤に染めていた。

つづく