「どうして…?」

私が見上げると、街灯の光を浴びたおばさんは、優しく微笑んだ。
「ああ、娘のなんだけどね、去年大学行ったから、使わないし、今家にいないし、いいんだよ。まだきれいだし。使っておくれ。」
「あ、あ、ありがとう、ございます…!」
急に涙が目から溢れた。今まで我慢してたのに。緊張がほぐれて…。
「よし、よし、足、痛かっただろう。もう大丈夫。さ、足のサイズはどうだろうね。23なんだけど…。」
「あ、ちょうどいいです…。ほんとにありがとうございます! 」
「いいの、いいの。お礼なら夫に言ってやって。私はただ靴をあげてって言われただけだから。」
「はい。いつも乗せていただいているので、今度乗ったときに。」
靴を履いてみる。ぴったりで履き心地もいい。なにより足が暖かい。今まで裸足で濡れてたから…。
「じゃあね、気を付けてお帰り。」
「はい、ほんとに、ありがとうございました。」
ん、と言って、片手を上げて、おばさんは去っていった。心がとても暖かかった。バスの乗客、運転手はみんな他人のことは見てないと思ってた。でも、その考えはまったくの間違いだった。私に靴をあげて、と奥さんに頼んだ運転手さん、靴を持ってきてくれた奥さん、電話を貸してくれたお客さんもいる。運転手さんに電話するよう言ってくれた人、他にも、あのバスの中には、私のことを見てくれていた人がいる。私も困った人を助けよう。当たり前のことだけど、すごく大切なことなんだ。空には月。星も見える。また会えるかな、そんな人たちに。会えるよ、きっと。家に向かって歩く。あんなに痛かった足が、全然だ。家はバス停はないがやや広い通りに面している。玄関の鍵をあけて入ろうとしたとき、そこを1台の回送バスが通っていった。ハイブリッドバス独特の音が静寂に響く。私が乗っていたバス。運転手さんもきっとあの人。
「ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。」
呟いて私はドアを開けた。カレーのおいしそうな香りが鼻をついた。
おわり