インテリは、言ってる
「その可能性はPCを超える」Appleは言ってる。
そうなのだ。MacはやっぱりPCではなかったんだ。MacBookPro(なんだかなーこのネーミング)と新しいiMacには、PowerPCプロセッサではなくIntelプロセッサが採用された。
以前AppleはIntelのCPUを「計算間違いするCPU」としてこき下ろしていたのだが。
それはいいとして、これによってアプリケーションの互換性はがた落ちだ。Classicは動かないらしい。
それもいいとして、過去に振り回されないAppleComputerのCEO、スティーブ・ジョブスには頭が下がる。少々嫌味を込めて言うなら、過去の実績にとらわれない、過去の言動に責任を持たない彼にカリスマ性を感じる。
革新的進歩を遂げるためには、「互換性」や「既存ユーザの思い」は切り捨てられて当然なのだ。これは嫌味ではなく本気でそう考える。もちろん市場を見て妥当性を検討することは必要だが。
似たようなことは一般的な職場にも当てはめられる。革新的進歩を目指す企業において、「既得の方法論」や「稀少ニーズ」は切り捨てられて当然なのだろう。
しかしここで、マーケティングやリスク管理など、つまり「妥当性の検討」という「慎重な」意見を述べると「迂闊な」保守道徳野郎とみなされて疎んじられる場合がある。
これはカリスマによる牽引であれ、恐怖政治によるものであれ同じことだ。所詮は決定付けられた組織の「ガンガン行こうぜ」に反する「迂闊」な意見でしかないのだ。
しかしちょっと待て。私から見れば、革新的と言われるひとりよがり戦略に賭する者の方が、よっぽど「不用意で迂闊な粗忽者」に見える。そういう者に限って結果のでなかった戦略を無かったことにしてしまう。ジョブスにもその臭いはあるが、彼のカリスマ性がそれを覆い隠して足りる。
「パワーこそすべて」と言ってのけるApple、ジョブスが妬ましい。
最近私はこの「慎重で迂闊な道徳家」という矛盾する形容を気に入っている。「お人好し」と呼ばれるよりはインテリジェンスがあるではないか。
「お人好し=バカ」「粗忽者=マヌケ」だと目くそ鼻くそだが、これからは「慎重で迂闊な道徳家」「妄信的背徳野郎」と置き換えて呼ぼう。
PowerPCを捨てた「妄信的背徳野郎」の「パワーこそすべて」もいいけどさ、「think difference」はどうなったんだろう。ぜひ「Intel Inside(インテル入ってる)」で結果を残して欲しい。ジョブスがんばれよ。
そうなのだ。MacはやっぱりPCではなかったんだ。MacBookPro(なんだかなーこのネーミング)と新しいiMacには、PowerPCプロセッサではなくIntelプロセッサが採用された。
以前AppleはIntelのCPUを「計算間違いするCPU」としてこき下ろしていたのだが。
それはいいとして、これによってアプリケーションの互換性はがた落ちだ。Classicは動かないらしい。
それもいいとして、過去に振り回されないAppleComputerのCEO、スティーブ・ジョブスには頭が下がる。少々嫌味を込めて言うなら、過去の実績にとらわれない、過去の言動に責任を持たない彼にカリスマ性を感じる。
革新的進歩を遂げるためには、「互換性」や「既存ユーザの思い」は切り捨てられて当然なのだ。これは嫌味ではなく本気でそう考える。もちろん市場を見て妥当性を検討することは必要だが。
似たようなことは一般的な職場にも当てはめられる。革新的進歩を目指す企業において、「既得の方法論」や「稀少ニーズ」は切り捨てられて当然なのだろう。
しかしここで、マーケティングやリスク管理など、つまり「妥当性の検討」という「慎重な」意見を述べると「迂闊な」保守道徳野郎とみなされて疎んじられる場合がある。
これはカリスマによる牽引であれ、恐怖政治によるものであれ同じことだ。所詮は決定付けられた組織の「ガンガン行こうぜ」に反する「迂闊」な意見でしかないのだ。
しかしちょっと待て。私から見れば、革新的と言われるひとりよがり戦略に賭する者の方が、よっぽど「不用意で迂闊な粗忽者」に見える。そういう者に限って結果のでなかった戦略を無かったことにしてしまう。ジョブスにもその臭いはあるが、彼のカリスマ性がそれを覆い隠して足りる。
「パワーこそすべて」と言ってのけるApple、ジョブスが妬ましい。
最近私はこの「慎重で迂闊な道徳家」という矛盾する形容を気に入っている。「お人好し」と呼ばれるよりはインテリジェンスがあるではないか。
「お人好し=バカ」「粗忽者=マヌケ」だと目くそ鼻くそだが、これからは「慎重で迂闊な道徳家」「妄信的背徳野郎」と置き換えて呼ぼう。
PowerPCを捨てた「妄信的背徳野郎」の「パワーこそすべて」もいいけどさ、「think difference」はどうなったんだろう。ぜひ「Intel Inside(インテル入ってる)」で結果を残して欲しい。ジョブスがんばれよ。
炎の護符、霊と。
「ストレス溜めすぎ」とのご意見を賜りましたので、正月ネタを正気を保ってご一席。
私には初詣の記憶はほとんどない。
その昔、ディズニーなんとかみたいな遊興施設も無かった頃、我が家では家族で映画を見に行くのが大イベントであった。(多分よその家庭でも)亡父が映画関係者であったこともあり、なおさらだ。
'60~'70年代前半、正月の家族画といえば座頭市やゴジラ。洋画といえばハリウッドよりも、おフランスのアラン・ドロン。家族で映画館ハシゴしたこともあったような・・・
何故か正月の雑踏で和服の人々を見ると、今も頭をよぎるのは、めくらの人殺しあんま(不適当な表現だが、劇中でそう表現していた。)や巨大放射能怪獣だ。おそらく我が家は初詣にも行っていたのだろう。初詣の護符などにはまったく興味無かったが、その後に映画が見られる。という条件反射によるものだ。
分かり易い勧善懲悪劇設定やミニチュア丸出しの特撮映像に、作り物と分かっていても自らをハラハラドキドキ昂揚させ、遠きフランスの美男美女に至っては今でもナゾの性的象徴である。これらは確実に私の人格形成の一端を担った。(今でも私の愛用iPodには「およしぃなさいよぉムダなことby勝新」や「パローレ、パロレ、パローレ」とかフツーに入っている。)
卓越したSFX、VFXを駆使したハリー・ポッターを見る少年少女は、これが作り物であることが判断できているのだろうか?ストーリーもやや難解であるし、恐怖心をあおる映像も多い。(PG-12?)そもそもゴシック様式は、東洋人にとって潜在的に恐い。私だけでは無いはずだ。
「こんな映画を正月早々見せやがって」っと、親を恨んだり、妙なトラウマとかにならなければいいのだが・・・私の場合国産怪奇映画(四谷怪談など今で言うホラー映画)に連れて行かれた際は本気で親を罵倒した記憶がある。
いやまぁ、トラウマも人格形成時期には重要な要素だとは思う。幼年期のゴシック様式美への恐怖心が転じて、成人してからゴシック系にハマる者も多い。親のおかげで私も結構ホラー好きになった。
人格形成に必要か否かは別として「恐怖とは生存本能と結びついた根源的反応で、生きていく上で必要不可欠な感情。 恐怖は生存本能が前提となって生まれてくる。」恐怖(危険情報)は、感覚神経から大脳へ送られて即座に不快なストレスを感じる。 危険回避行動は、交感神経を通じて脳の活動を活性化させる。その時必要なのが、脳内覚醒物質ノルアドレナリンである。」と説明 している。アドレナリンを生み出すのは快感物質ドーパミンで、この快感物質から恐怖を生み出す機能は人間にしかない。 恐いもの見たさとは、危機を乗り越えたときの達成感や陶酔にも似た安心感はドーパミンによるもので、満足感や幸福感を再び味わいたい 為に人は恐怖に近付く。
よって青少年よ、せいぜい恐い思いをしてくれぃ。親を恨むな。
家族で見に行った映画を成人してから思い起こすと、我が親のセンスが今更ながらに分析できて面白い。
正月は家族で映画!だろ、やっぱり。
私には初詣の記憶はほとんどない。
その昔、ディズニーなんとかみたいな遊興施設も無かった頃、我が家では家族で映画を見に行くのが大イベントであった。(多分よその家庭でも)亡父が映画関係者であったこともあり、なおさらだ。
'60~'70年代前半、正月の家族画といえば座頭市やゴジラ。洋画といえばハリウッドよりも、おフランスのアラン・ドロン。家族で映画館ハシゴしたこともあったような・・・
何故か正月の雑踏で和服の人々を見ると、今も頭をよぎるのは、めくらの人殺しあんま(不適当な表現だが、劇中でそう表現していた。)や巨大放射能怪獣だ。おそらく我が家は初詣にも行っていたのだろう。初詣の護符などにはまったく興味無かったが、その後に映画が見られる。という条件反射によるものだ。
分かり易い勧善懲悪劇設定やミニチュア丸出しの特撮映像に、作り物と分かっていても自らをハラハラドキドキ昂揚させ、遠きフランスの美男美女に至っては今でもナゾの性的象徴である。これらは確実に私の人格形成の一端を担った。(今でも私の愛用iPodには「およしぃなさいよぉムダなことby勝新」や「パローレ、パロレ、パローレ」とかフツーに入っている。)
卓越したSFX、VFXを駆使したハリー・ポッターを見る少年少女は、これが作り物であることが判断できているのだろうか?ストーリーもやや難解であるし、恐怖心をあおる映像も多い。(PG-12?)そもそもゴシック様式は、東洋人にとって潜在的に恐い。私だけでは無いはずだ。
「こんな映画を正月早々見せやがって」っと、親を恨んだり、妙なトラウマとかにならなければいいのだが・・・私の場合国産怪奇映画(四谷怪談など今で言うホラー映画)に連れて行かれた際は本気で親を罵倒した記憶がある。
いやまぁ、トラウマも人格形成時期には重要な要素だとは思う。幼年期のゴシック様式美への恐怖心が転じて、成人してからゴシック系にハマる者も多い。親のおかげで私も結構ホラー好きになった。
人格形成に必要か否かは別として「恐怖とは生存本能と結びついた根源的反応で、生きていく上で必要不可欠な感情。 恐怖は生存本能が前提となって生まれてくる。」恐怖(危険情報)は、感覚神経から大脳へ送られて即座に不快なストレスを感じる。 危険回避行動は、交感神経を通じて脳の活動を活性化させる。その時必要なのが、脳内覚醒物質ノルアドレナリンである。」と説明 している。アドレナリンを生み出すのは快感物質ドーパミンで、この快感物質から恐怖を生み出す機能は人間にしかない。 恐いもの見たさとは、危機を乗り越えたときの達成感や陶酔にも似た安心感はドーパミンによるもので、満足感や幸福感を再び味わいたい 為に人は恐怖に近付く。
よって青少年よ、せいぜい恐い思いをしてくれぃ。親を恨むな。
家族で見に行った映画を成人してから思い起こすと、我が親のセンスが今更ながらに分析できて面白い。
正月は家族で映画!だろ、やっぱり。
