一瞬ではあるのですが、アウトローな方々の思考を完璧に理解してしまった。
それはまるで悟りのようで、いや悟りほど美しいものではないのですが、突如天から舞い降りた啓蒙でした。
根っからの悪人はサイコパスです。
しかし、サイコパスは少数。
大抵のアウトローは日々の日常で溜まるストレスを解消できなくなった結果、ストレス解放としてアウトローな結末に至るのです。
悪意からではなく、行き場のないエネルギーが爆発した結果なのでしょう。
その人に役割があったのなら、彼は大いにそのエネルギーを奮ったでしょう。
しかし役割がなく、居場所がないとエネルギーは溜まっていくばかりです。
アウトローがアウトローな事件を起こすのはエネルギーが有り余っているからなのだと気付きました。
エネルギーが無い人間は、ストレスが我慢仕切れないほど溜まった時、自殺を選ぶはずです。
大きな事件を起こすアウトローは生命エネルギーに溢れているが、そのエネルギーをぶつける場がなく、また状況を改善するオツムが無かった為に、有り余るエネルギーを犯罪に奮ってしまうのです。
彼らに役割、仕事、生きがいを与えてやれば、きっと良く働くでしょう。
大きな事件を起こすのには大量のエネルギーが必要です。
しかし人に害を与える為にエネルギーを使うなんて勿体ない。
そんな勿体ないことは無いです。
善いことに、そのエネルギーを使うべきだ。
僕はそう思います。
生命エネルギーは情熱そのものです。
生命エネルギーは活力そのものです。
しかし、情熱や活力、熱い気持ちを発散する場所がなく、本人も社会の中で抑圧され続けると、その生命エネルギー、溜まりまくった熱い気持ちが出口を求めて身体から迸るのです。
そういったことを悟りのように理解した今日この頃でした。
彼らに悪意は無い。
悪意というか、行き場の無くなった情熱が憎しみや攻撃という姿に形を変え、宿主に歪んだ情熱を発散させる目標を作らせ、事に至るのでしょう。
なんというか、本人が結局悪いんですけどね。
自分の気持ちを発散させる術を知らなかった愚かさが罪なのですけどね。
まぁ、勿体ないという話です。
そんな大量のエネルギーを持ちながら、犯罪にしか使えないなんてね。
勿体ないです。
善いことに使えたら、世界も本人も救われるでしょうに。
私はそうなることがないよう、内に貯めし生命エネルギーの発散場所はより善き場所にするとしましょう。
そうしますよ。