エピソード1観ました。
久しぶりだね。
こんなの。
星新一シリーズだとかSFだとかを存分に味わってきた人でも予測出来ないラスト。
一般に言われる衝撃のラストって大体当てれるじゃん。
それの更に裏。
久し振りに本気で驚いた。
小説とか映画観てもすぐに結末を当ててしまう僕のような勘の良い人が観ても、面白い作品。
逆に勘の良い人の方が結末を予想して、それが裏切られるからもっと楽しくなれる。
というか、今回のエピソード1は既に我々視聴者側が結末を予測している事を前提に作られている感じがするんです。
その結末の予測ありきでのエピソードと言いますか。
妥当な予測出来ない人は多分、ただ『へぇ』で終わってしまうのではないかと。
そう考えると勘の良い人向けのレベルの高い作品に仕上がっていると思います。
昨今の映画が商業の為に大多数側に配慮した分かりやすい映画を作る中、この作品は(まぁ映画ではないのだが)照準を勘の良いSF好きに合わせているという点が好感を持てる。
やっぱりラストを我々が予測していることを前提として、それを裏切ることがエピソード1の見所になっている。
そもそも予測していないと、ただ面白い話で終わる。
その深みが素晴らしい。
SFで本気で驚かされたのは久し振り。
だって出尽くしてるじゃん。
ストーリーの流れってさ。
大体分かるじゃん。
だけど、その『分かるじゃん』ってのを逆手に取って、衝撃のラストと呼ばれる、ある意味王道のドンデン返しを更にドンデン返しする事によって新しいオチを作り上げている。
そしてラストのシーンで我々の胸に刺さる言葉も投げかけている。
『人は誰しも罰を求めている。幸せは罰だと心のどこかで考えている』
この言葉には共感できる。
今まで自分の中で言葉にならない曖昧なものが解消されたように感じた。
更にこの作品では我々に救いの言葉も残している。
『幸せなのは罪ではない』
気持ちがスッと楽になった。
またこの作品を通して、我々が思う現実はただ我々が認知しているだけであって本当は存在しないのではないか、と考えさせられた。
現実の定義って何かね。
夢の中では、そこが現実だと心の底から思い込んでいるんだ。
この現実も本気で思い込んでるだけかもしれない。
そう考えると現実の意味範囲が広がって、自分の中の世界が拡張するような感覚に捕らわれ、それが非常に心地良い。
ありがとう、フィリップ・K・ディック。
エピソード2にも期待。