はいはい、ど~も~。
日本が産んだ軍人ロックスターこと私で御座います。
いやはや、有吉弘行のサンドリにハマっている今日この頃ですが、ちぃとばかし呟いておきたい事がありまして。
というのは私がブログをやる理由についてですね。
理由は『心の整理整頓』の為ですかね~。
今後やらなくてはならない課題であったり、気付いた様々な事柄を書き記しておく媒体がこのアメバブログで御座います。
気付いた事柄というのは例えば今まで知らなかった自分の短所、長所だったり、(こうすれば上手く生きていけるのではないか?)と思われるような人生哲学、思考法、概念、その他諸々です。
私は何の為に生きているのか?と問いたら『幸福になるため』とハッキリ答える所存ですが、その幸福を我がものにするのが中々難しい。
だから日々、幸福になるための考え方、思考法、哲学を考えている訳なんですね。
その中で気付いた事柄等々を綴っていく訳です。
今日気付いたこと。
うーん。
うーんと。
ああっと、今日気付いたことは『自分の語彙力が下がってきている』ということ。最近全く本を読んでいなくてね。
学問や勉強からも遠ざかり、知能の低下が著しい私で御座いますが、やはり昔使っていた言葉がすぐ出てこなかったり、周りの同世代の方が良い文章を書いていると自分が情けなく感じてしまうのです。
だから本をしっかり読んで、勉強して、学問を好いて生きるべきなのです。
娯楽も良いですが、自分が成長する分野の作業もしなければいけません。
ああ、自分がやりたくないことはしませんよ。
社会的に見てやるべきことでも、私がやりたくないなら絶対やりません。
それは決めたことです。
やりたくないことをやるのは、私の人生哲学に反する。
これはワガママとかではありません。
やった方がいいけど、自分は好きじゃない事柄、やったら自分は成長するだろうけど好きではない分野ってあるよね。
そういうのは金輪際やりません。
例えば公務員講座とか起業家講座とかね。
ああいうのは『確実にやっといたら為になること』ではあるんだけれど、私はどうも自分が好きでもないのに見栄を張る為だけに何かに取り組むのって好きじゃないんですよね。
てか見栄を張る為に何かに取り組む人が嫌いなんです。
私はね。
人間のそういう所が嫌い。
見栄を張るなよ。
醜い醜い。
人と比べて争って、それで人の上に立って喜んで。
そもそもが大した能力を持ってねえのによぉ、出しゃばって上を目指すのが正しいと信じるが故に無能がテッペンを取っちまうこともあるんですよねぇ、資本主義は。
あんまりあんまり、ですねぇ~。
人と競いたがる奴がいるけど、そいつ自身の実力も人様に自慢できることじゃなくて、みっともない。
あっ、でもねでもね、そいつが『本当に好きで行動している』なら全然いいんですよ。
いやむしろ『本当に好きで行動している』なら私は賞賛します。
賞賛して尊敬します。
私が言いたいのはですね、行動の動機は純粋な『好き』という感情であるべきなんだと思うんです。
何故なら『好き』という感情はとても純粋で人間の汚い思惑が入り込む余地のない感情だと思うんです。
だから『好き』という感情は貴重で、尊いんです。
『好き』という感情は絶対でそれに従って生きるのが最も美しいと私は感じます。
逆に!!
逆に、何かに取り組む動機として《人に良く思われたい》だとか《人の上に立ちたい》《人より月収を多く貰って自慢して生きたい》《とにかく人に自慢して優越感に浸りたい》というような汚い汚い感情を持って努力する人間は間違いだと思うんす。
こんな奴らがその分野にいるべきじゃない。
穢れる。
美しくない。
私の美意識に反する。
醜い。
なぁ~んて思っちゃうんですよねぇ~、私は。
まぁ、そんな私の美意識についての記述でござんしたぁっと。
この後は歯磨きand洗顔してメタルギアやって寝ますかね。
そして今後はSTREET FIGHTER5をメインで練習していきます。
格ゲーは沢山ありますけどメインタイトルはやっぱりSTREET FIGHTERでしょ。
絶対そうでしょ。
これ一つに賭けて信じてみたい。
まぁ、楽しいしね。
それが一番。
うむうむ。
後は・・・。
最近、人生哲学の内容をガラッと更新致しましたけども。
ひっそりとではありましたが、私にとっては大変革で御座いました。
何故なら産まれた瞬間から私が保持していた『性格』と呼べるぐらい自分自身そのものである『思考の癖』そのものを、0にして再スタートさせたのですから。
私は今まで自分が生きる上で大切だと思った事柄をベスト3まで決めて、それらを常に頭に思い浮かべ、その言葉の意味を信じ抜く生き方をしてきたのですが、最近思ったのが、『決める』事自体間違っているのではないか?という疑問について。
何かを決めて生きるというのは思考の放棄ではないのかと。
思考のマニュアル化でしかない。
世の中を幸せに生き抜いていくためには、臨機応変に柔軟な思考で対処しなければならないのに『思考方法の約束事と手順』なんて決めてしまったら、そりゃあらゆる場面で適切な対処なんかできる訳がないんです。
だから今の私の人生哲学は、『意識的に考えないことによって、正しい考え方を身に付ける』。
人間ってのは一人一人、個人個人によって世の中の見方が違うんです。
価値観であったり、偏見、固定観念、強迫観念などのフィルターによって世の中の見方がそれぞれ違う訳です。
例えば、学生時代に良い先生と巡り会った人は大人になって教師という職業に憧れを持つかもしれませんけど、学生時代に野蛮な教師の下で教わったなら大人になっても教師という職業に憧れなんか持たんでしょう。
むしろ蔑むでしょうね。
はい!このように~!
教師という職業に対する価値観も人それぞれな訳で、各人によって世の中の見方が違ってくるんですよ。
価値観だけでなく偏見、固定観念もありますから。
ええ。
ええ。
ここで私が思うのは、価値観、偏見、固定観念、強迫観念といった歪んだフィルターさえ無ければ、世の中の真の姿を見つめる事ができるのでは?ということ。
世の中の真の姿が分かれば幸福に生きる道も自ずと理解できるでしょう。
そこで人の価値観、偏見、固定観念、強迫観念を作り出している存在は何なのだろうと考えたわけです。
価値観、偏見、固定観念、強迫観念を作り出しているのは『人の思考』です。
価値観、偏見、固定観念、強迫観念に共通して言えるのは、それらはただの『決めつけ』であり、『決められた考え』です。
一度結論を出して、それが二度と変わらないようにロックした考え→偏見です。
考えて辿り着いた結論が生涯変わらないってのはオカシイことだと思うんです。
思考の末に至った結論ってのは生涯変化し続けるのが普通な気がするんです。
考え方は変わっていく。
本人の生きる場所が変わり、状況が変わり、新たな出会いがあれば、簡単に人の考えは変わっていく。
それは普通の事だと思うんです。
それなのに過去に決めた『思考の結論』をいつまでも引きずって、これが正しいと思い込み続けるのは間違いだと思うんです。
『過去の結論』より『今の結論』の方が正しいと思うんです。
過去の結論然り、過去にやりたかったことが、今やりたいことであるとは限らない。
過去にやりたいと思っていた事でも、今はやりたくないと思うこともあるし。
過去にやりたくねぇと思っていた事でも、今ならやりたいと思う事もあるだろうし。
過去の感情に揺さぶられて、今の感情をないがしろにするのは、大間違いです。
過去の感情、過去の結論、過去に積み重ねてきたもの、知るかそんなもん。
過去に価値はない!!
今どう思ってんのか、今好きなことはなんだ、今やりたいことはなんだ!!
というわけで、私は『STREET FIGHTER5』と『読書(世界中の本完全制覇)』を目標に生きていきますよ。
過去に価値はない、と言いましたが、過去は眺めると気分が良くなる。
たまに眺めていればいい。
だが過去に支配されてはいけない。
過去の為に自分が何かをしてやろう、なんて思うなかれ。
過去の為にできることは何一つない。
今しかないのだから。
過去に生きると今を失うぞ。