本ってのは偉大だよ。
人生の基盤となる思想を学べる。
図書館だとそれが無料なんだぜ。
何か困難な事に直面したり、高い壁にぶち当たった時は読書をしてみるといい。
思った以上の効果を得られるだろう。
世界の見方が変わる。
それは一時的なものではない。
考え方が変わる。
小説とか物語は別だよ?
私が言っているのは専門書や新書を読めという話さ。
麻薬のように一時的に脳内をハッピーにしたり、幼稚な自己中心的誇大妄想に取り憑かれて『私は神だ』なんて馬鹿みたいな事を言うことなく、読書は迷いを打ち払ってくれる。
迷いを思想で解決する。
迷いを自分の中にはない新たな考え方で解決する。
読書は過去の偉人達との対話である。
彼等は私達以上に思考の懐が深い。
彼等は様々な考え方を私達に提供してくれる。
有り難い。
『若者の読書離れ』なんて言葉もありますが、それは実に残念なこと。
残念というか損をしている。
問題解決の手段はこれだけ近い所にあるのに。
今の若者は問題に直面した時、正面から向き合って解決するのではなくゲームやsmartphone、漫画、映画、アニメ、あらゆるコンテンツを駆使して現実逃避する傾向が強い。
現代は現実逃避する手段が多過ぎる。
問題なんか解決しなくたって、目を背けてゲームしてりゃずっと楽しく生きていけちゃうわけだ。
だけどそれでいいのか?
そこに成長はあるのか?
現実逃避に成長はあるのか?
答えは否だ。
読書をするとあらゆる思想、考え方が手に入る。
また読書によって社会の概観が理解できるし、自分がどういう社会に属していて、どういう流れでこの社会が誕生して、今はどういう人間が増えているのかも理解できる。
我々はそもそも知らない事が多すぎるのだ。
社会って何?
この日本ってどういう国なの?
日本って世界的にはどういう位置付けなの?
俺達の世代ってどういう思想を持ってるの?
現代を生きる我々は何をすべきなのか?
これらの問いに全て答えるのが書物である。
本はあらゆる答えを我々に提供してくれる。
読書によって世界を知る。
世界を知れば安心感が出てくる。
知らない所にいるのは何か不安だろ?
知らない所より知っている所にいた方が安心感がある。
ここの道知ってるよ?みたいな感じ。
世の中にはすぐ怒る人とかいるよね?
癇癪持ちと言いますか。
怒るってのは不安だから怒るのよね。
何かしらに対して彼等は不安に思っている。
防衛手段として人は怒るのよ。
知識人が穏やかで冷静ってイメージがあるのはそういうことで、知識があれば色んな問題の対処方法も知ってるし不安になる必要がないんだよ。
怒るのは大体、教養がない荒くれ者だろ?
そんな人間になんかなりたくないじゃん?
本を読めばいいんだよ。
今の世代ってのは何か自分を変えてくれる存在を探していたり、突然楽しい何かが始まらないかな、なんて思ってるらしい。
それは平面的思考って言ってどこまで追求しても平面を歩いてるのと変わらない、つまり上への成長がないんだよ。
そうではなくて垂直的思考をしていくべき。
それはつまり成長しろってこと。
上に進めってこと。
読書によって様々な考え方をストックしたり、技を磨くべき。
技ってのは例えば部活動で言えばバスケットボールのドリブル技術、シュート技術、パス技術とか。
学問で言えば英語が喋れます、フランス語が喋れますとかね。
そういう努力の連続で手に入れられることに時間を割くのが有意義だということ。
自分が持つ技術の量で自尊心も決定してしまうところがある。
給料の高さでは人の価値は決まらない。
人は皆、特別な存在になりたがる。
良い学歴を持ち、大手企業に勤めている人の中でも自分の存在に疑問を抱きながら生きている人は少なくないらしい。
高学歴で大企業に勤める人間など五万といる。
そういった事実に直面した時、人は何ともいえない虚無感を覚えるわけだが、逆に給料は低くても自分の仕事が特別なものだと思えるような職種に就いている人は意外と幸福度が高い。
それはアニメーターであったり芸術家であったり、伝統工芸をつくる職人であったり。
また自分のやりたいことを仕事にしている人も幸福度が高い事が分かっている。
そこに給料の高い低いはあまり関係していない。
日本だけでなく世界中の国がGNP(国民総生産)で今まで国民の幸福度を計ろうとしてきた。
馬鹿か。
そんなんで国民の幸福度が計れるかい。
衣食住完璧で娯楽もあって便利なもので溢れていれば一見幸せのように見える。
日本の中で今時、餓死する人がいると思うか?
日本は恵まれた国だ。
生活水準は高い。
衣食住もある。
娯楽もある。
それなら幸福だろう?
幸福なんだろう?
しかしそうではない。
それなら何故、これだけ自殺者が多い。
物質的には満たされてるだろ、日本人は。
これで良く分かったと思う。
日本という国を一つの実験材料として見た時、人の幸福が物では決まらない事が良く分かるはずだ。
便利さで人は生きるのではない。
人は他人に認められたり、自分の存在価値を見いだせて初めて生きる意味を感じるのだ。
自分が特別な存在だと思えるかが重要なのである。
金は関係ないし、便利さも関係ない。
かけがえのない自分だと自分自身で言えるか否か。
現代の日本は競争社会である。
実績で価値が決まってしまう傾向がある。
弱肉強食だから落ちていく人は仕方がない?
その考え方は自分の首を絞めることになっていることに気付け、馬鹿者共よ。
弱肉強食の社会を誰が信頼できるのか。
ある程度の競争は必要だよ?
社会主義は理想ではあるが実現は困難だ。
資本主義である以上、競争は避けては通れない。
ただ今の日本は競争社会が過熱している。
過ぎている。
それははっきり言って良くないことだ。
弱者にはお前が弱いから悪いのだ、という風潮。
その風潮は強者が弱者になったときにも言えてしまうことだし、そうなってしまうと弱者も強者も社会に対して信頼感を持てなくなるわけだ。
そして社会とは人間関係であるからして、現代日本人は他者に対する信頼感が希薄であるように感じる。
他者を心の底から信頼できていない。
そんなの当たり前じゃないか、と答える人も多いだろうがそれが異常である事に気付け。
そして『当たり前=正しいこと』ではないからな。
『大多数の意見=正しいこと』じゃないからな。
日本人はこういう考え方の人が多い。
皆の意見が一番正しい?
それは誤りである。
日本には信じるべき宗教がないのも原因の一つともいえるだろう。
宗教では唯一神である神が物事の善悪をはっきりと決める。
例えば神が『赤信号を渡るのが悪だ』と決めたなら、誰が見てない信号でも赤を渡ることに罪悪感が生まれる。
日本は違う。
『赤信号 皆で渡れば 怖くない』なんて言葉があるが、これは日本人の国民性を顕著に表している言葉だと思う。
日本人は代々、大衆の総意が正義であった。
大衆の世論が正しくて少数派が誤りであるという間違いだらけの固定観念。
これは危険なもので、記憶に新しい第二次世界大戦の時も日本の世論が『戦争しよう!戦争を否定するのは非国民だ!』というものになっていった。
間違っている大衆の意見が正しい少数派を非難した。
実際に正しい考え方を持った少数派の戦争反対派は捕まり拷問された。
馬鹿な大衆達によって戦争は過熱した。
馬鹿な多数派が日本を戦争に駆り立てた。
こんな怖いことがあるか?
『皆が言ってるから戦争するべきだと思う』って奴が滅茶苦茶いたんだぜ。
何か呆れてこない?
同じ日本人として恥ずかしいよ。
日本人の嫌いな所はそこだなぁ、はっきり言って。
私も日本人だけどさ、真面目な国民性で仕事もきっちりこなすから日本のブランドはいいと思うけどさ。
日本人って自分の頭で考えねーのよな。
皆が好きな音楽を自分も好きって言って。
皆が好きな食べ物を自分も好きって言って。
皆と同じ行動して。
皆と同じ格好して。
皆と同じような思想を持っていて。
波風立てずに画一的な人間しかいない。
皆同じ。
誰も特別じゃない。
それが日本人。
自分の意見持てよ。
全部肯定してんじゃねーよ。
それは違うってはっきり言えや。
先進国の中でも国民性に関していうと、遅れていると思う。
『中国人マナー守れや。国民性が・・・。』って言うけど中国人が奔放な三歳児だとしたら日本人は大人の顔色見て言うことは聞く5歳児なんだよなぁ。
日本人は5歳児。
大人の顔色みて言うこと聞いて、最もらしいこと言うけど、その実、何も考えていない。
アイデンティティがない。
どうなの、それ。
私が日本では生きづらいと思う理由はそこなんだろうなぁ。
皆と同じこと言わなきゃいけないみたいなその感じ。
反吐が出る。
あることないこと取り繕って、思ってもないこと言ってみたりして。
人の機嫌ばっかり気にして、世論が正しいと信じ切っていて。
日本人は『こうでなきゃ、こうだ』だとか『こうあるべき』っていう思い込みが強いと思う。
だから『こうあるべき』なのに出来ない時に自殺する。
馬鹿かよ。
そんなんで自殺すんな。
生き方はいくらでもあっただろ。
そういった可哀想な人達を生んでいるのも日本の呪われた風土なのかな、とも思う。
良いところもあるんですけどね。
日本人は職人気質の芸術家って感じですかね。
物作りは一流だ。
だけど繊細ですぐに精神を病む。
妄想癖に取り憑かれていて、固定観念を好む。
うぅむ。
こんな国やだよー。
生きづらいよー。
この国では他人の意見を『うんうん、そーだね』って言っておかなきゃならない感じするから自分も我慢して生きるよ。
以上、利己的で繊細な人間が集う、日本についてでした。