「SEPALADAのかずコーチ」兼「SIANの代表」の西澤です。
今日はあまり語ってこなかった、自分の過去について話したいと思います。
主にサッカーの面の話になると思いますが・・・
この記事は、サッカー選手を夢見て、日々サッカーを頑張っている学生、そんな息子、娘を持っている保護者の方に是非読んで頂きたい。
「かーくんもサッカーやろうよ!」
友達の一言でサッカーを本格的に始めることになった。
なぜか分からないけれど、幼稚園の頃から「俺はサッカー選手になるんだ!」と言っていた笑(幼稚園の卒業アルバムには、サカ選手になると書いてある笑)
小学校、中学校、高校と市選抜や県選抜には入っていたものの、周りには自分より上手い選手がうじゃうじゃいた。
でも、サッカー選手になる!と自分を信じて、練習し続けた。
小、中、高校では常にレギュラーとして試合に出ていた。
高校最後の選手権。
静岡県大会ベスト4をかけた準々決勝の試合で、開始直後の決定機を自分が外し、流れも変わり、浜松開誠館高校に1−4で敗北。
自分のせいで負けた。
こんな思い二度としたく無い。
サッカー人生11年目にして初めて、サッカーを辞めようと考えた。
そんな時頭に浮かんだのは、「幼稚園の卒業アルバム」。
自分には負けたく無い。嘘をつきたく無い。という思いから、サッカーを続けることを決意。
愛知学院大学のスポーツ推薦に合格し、サッカー部に入学。
大学では、元名古屋グランパスユースの選手、選手権全国制覇経験者などなど、自分より遥かに上手い選手が集まっていた。
今までAチームのレギュラーとして出ていた自分は、常にCチームだった。
それでもサッカー選手になる夢を捨てなかった・・・捨てられなかった。
そこには、今まで親がお金を掛けてくれたサッカーで1円も稼げないのは、情けない。そんな気持ちだった。
いつかJリーグのチームから、声がかかるかもと必死に練習したが、電話のプルプルは当時のバイト先からの「今日、入れる?」の連絡のみだった笑
気づけば大学4年生。就職活動が始まる。
もう諦めるか。。。と地元の会社の就職試験に行った。
やりたくも無い仕事の会社のテストを受けている他の受験者、上司からの命令で試験監督をしているであろうサラリーマン。
俺は何しているんだろう。とふと思った。
サラリーマンが悪いとかじゃなくて、嫌だった。
自分に嘘ついて、やりたくも無い事して、会社に愚痴を言う人生は嫌だった。
何よりも、あの頃サッカー選手になる!って宣言していた、あの純粋なリトル西澤に嘘をつきたくなかった。
その次の日、海外挑戦の支援をしてくれる会社に電話をしていた。
日本でサッカー選手を目指すには限界があった。
そこまでバカではなかったから、それぐらいは分かった。
だから、経歴も身長も前所属チームも、全部関係なく、プレーだけを見て判断してくれる海外に行くことを決意した。
そしてポーランドのチームでプロ契約を勝ち取った。
ここから先の海外生活は、前のブログを読み返してくださいな。
また、随時投稿します。
兎にも角にも、何が言いたいかと言うと、
夢を持てってこと。
好きなことして生きていくんだ、夢を叶えるんだと言い続けて、沢山の大人に笑われたし、友達にもバカにされた。
でも、、夢を叶えるためならって必死に考えて、必死に動いた。
人によって考え方は様々。
サッカー選手の定義もバラバラ。
1円でも稼いでいるならプロという人もいれば、J1の選手だけプロと言えるって人もいると思う。
けど、自分の人生なんだから自分がルール。
きっと多くの大人は、現実見ろだの、嫌な仕事もやんなきゃいけないって言うだろう。
確かにそう。みんながみんな夢を持って好きな仕事をしていたら、、、笑
でも、生活の為に働かなきゃとか、好きな事を仕事にするなんて無理だって人が99%いるおかげ1%は夢を追って好きなことして生きていいんじゃ無いかなと思う。
だから、夢を持って、好きなことで飯が食えるように頑張ろう。
すごく感情のまま書いたから、文章も日本語もはちゃめちゃだと思うけど、悪しからず。チェックせずに投稿します。笑
サッカーで飯食っていきたい人の為に、今動いてますよ。乞うご期待。
ちなみに海外でサッカー挑戦したい人いたら、是非メッセージください🙌
色んな国のコネクションがある代理人を、紹介しますよ😊
それでは、おやすみなさい💤