私が高校3年生で、君が社会人1年生。
突然君が自殺していなくなってしまったあのとき、
あの頃の、息をするのも辛いときの気持ちに、
去年2016年、なぜか戻ってしまいました。
辛くて辛くて、悲しくて、なぜかわからなくて、
このブログに書いて…。
今2017年、だんだん平常心に戻り落ちついて来ました。
ある人に、去年の気持ちについて話していたときに
わかりました。
君がいなくなったのが1980年。
去年2016年は37回忌だったのでした。
その区切りとして、私の心の中に
来てくれたのかもしれない。
もう、ずいぶんまえから、私が寝ているときに
ぎゅーっと抱きしめてくれたり、からだの不調を
言ってくれたり、
手をつないでくれたり、
たびたび会いに来てくれたのは、感じていました。
声が聞き取れないときもあって、さみしいきもちにもなったけど、
私は楽しみにしていました。
キミのお兄さんに、
当時初めて会ったときも、
去年会いに行ったときも、
お兄さんは「こんなに思ってくれる人がいて、幸せなヤツだな」と、泣いていた。
これからもずっと、キミのことを思い出さない日は
ないと思うけど、
そして、今まで通りたまに
私のことをたまには抱きしめてください。
キミのことは忘れないよ。
突然君が自殺していなくなってしまったあのとき、
あの頃の、息をするのも辛いときの気持ちに、
去年2016年、なぜか戻ってしまいました。
辛くて辛くて、悲しくて、なぜかわからなくて、
このブログに書いて…。
今2017年、だんだん平常心に戻り落ちついて来ました。
ある人に、去年の気持ちについて話していたときに
わかりました。
君がいなくなったのが1980年。
去年2016年は37回忌だったのでした。
その区切りとして、私の心の中に
来てくれたのかもしれない。
もう、ずいぶんまえから、私が寝ているときに
ぎゅーっと抱きしめてくれたり、からだの不調を
言ってくれたり、
手をつないでくれたり、
たびたび会いに来てくれたのは、感じていました。
声が聞き取れないときもあって、さみしいきもちにもなったけど、
私は楽しみにしていました。
キミのお兄さんに、
当時初めて会ったときも、
去年会いに行ったときも、
お兄さんは「こんなに思ってくれる人がいて、幸せなヤツだな」と、泣いていた。
これからもずっと、キミのことを思い出さない日は
ないと思うけど、
そして、今まで通りたまに
私のことをたまには抱きしめてください。
キミのことは忘れないよ。