1、就職活動に関するあれこれ
  今のところ目の前にあるのは、四社程度。27日必着で書類を1つ。1日には、東京へ。ついでに、31日に会社説明会にでも行こうか考え中。行くなら、それまでに、送らなきゃならないものがある。革靴を買う。

2、25日のイベントに向けて。
プロジェクトは今のところ2つ。これは余裕。もう1つの個人的なアレは未定。少し時間が無いかも。でも、まぁ、やってみようかな。それに伴い、作曲。あー、超劣等感。

3、掃除
  基本的に綺麗だけど何となく、リフレッシュ。

4、バイト探し
  色々と、注文が多すぎるのか見つからない。

5、遊ぶ
  基本

6、病院行く
  休日診療を調べたものの内科がないとは何たることか。クソ富田林。とりあえず、月曜日まで様子を見るか。備考※熱とともにジンマシン治る もしや、体質改善の何かなのか?

7、清算
  いろいろと


昨日の自分にさようなら、明日の自分にこんにちは、でも、いつもいるのは今日の自分
FFFFFFFFFFFFFRRRRRRRRRRRRRRRRRREEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEESSSSSSSSSSSSSSSSHHHHHHHHHHHHHHHHH
就職活動である。

このたび奇跡的にも第一次試験に合格してしまった。
全てスルーされる予定の試験に通ってしまった。しかし、次の学科試験はやはりキツいかと思う。
なぜならば、ここ五年くらいいわゆる勉強はいっさいしていないからである。
そう言えば、この手の学科試験などを『SPI』と言うらしいのだが、僕は本気で、特殊工作員及び諜報員の試験かと思っていた。

まぁ、サンライズの就職説明会も兼ねて東京にでも行ってみるかな。
朝起きて、熱が下がる
体調不良だ。
風邪じゃなかったっぽい。

あまりの高熱に、やる気はゼロ。飯を作る気力も買いに行く気力も無い。
ましてや、薬の知識も無いので、とりあえず、ある薬を飲んでみる。
全身がものすごく痛くて、うなっていた。

座薬を求めたけど、結局痔用しか見つからずじまい。

そんな時に看病してもらえた自分は本当に幸せだと思った。

ありがとうの一言に尽きる。

もし僕が逆の立場だとしたら、同じことが出来るだろうか?
僕には薬の知識も無いし、おかゆとか作れない。ましてや、グレープフルーツも切れない。
でも、多分そんなモノは必要じゃないんだろうな。
傍にいるだけでも十分だと思う。いや、十分過ぎるくらいだ。
逆の立場になったら、何かしてあげたいと思うし、支えてあげたいと思う。
でも、一番大切なのは傍にいることなのかも。

マジ感謝。
最近はすこぶる高い。今日もこんな体調は悪いけど、ポテンシャルがヤバい。
躍動感あふれる。もしかしたらこのテンションの高さが発熱を導いたのかもし得ない。

でも、落ちる時が怖いな。必ず来るであろう、その日に備えて今はこの時を楽しむだけ。

隣の家から、久しぶりにクイーンが聴こえて来た。うるせぇーなぁ。

マジうるせーぇ。

イライラする。

久しぶりに怒鳴ってみようかなぁ。
でも、きっと後悔するから止めておこう。

去年の今頃も風邪をひいていた。

熱はどんどんあがり最高で38.5度をマーク。
自分の排泄物を見て気持ち悪くなり嘔吐。僕は今、ホットポー製造機。
飯を食い、解熱剤を飲んで、とりあえず痛みや熱からやや解放。
一昨日はDJイベントでした。楽しかったです。

そのまま徹夜で建築屋のバイトへ。炎天下の中ゴミを仕分け集める作業をしました。途中何度も眠りの渦に落ちかけながらせっせとホコリの中戦いました。
そして、後輩が眼鏡を壊したので眼鏡屋に眼鏡を買いに連れて行ってあげました。
眼鏡屋さんのネェーちゃんはとても眼鏡が似合っていませんでした。合掌。
んで、温泉へ。チャリで行けるとこに結構いい温泉があることが判明しました。
んで、飯食って、家に帰って来て、座っていたら、知らない間に落ちていました。
んで、寝に寝てさっき起きました。でも起きた原因がすごい腹痛。ものすごく痛くて、でも、トイレに行ってもうんこは出ない。何かそちらとは違った腹の痛み。三十分くらい痛さと戦っていたら、突如、吐き気に襲われトイレに駆け込み、オートリバース。そして、ものすごく寒いことに気付き、熱を測ったら熱がありました。風邪かなぁ。多分疲れだと思うが。
そして寝ています。合掌。

今、こめかみから血管が浮き出ている。気持ち悪いくらい、ものすごく脈打っている。嫌な感じだ。

いつも眉間にシワがある。遺伝だが、ものすごく人相が悪い。嫌な感じだ。

手が震える。緊張すると震えが止まらない。嫌な感じだ。

胃が気持ち悪い。嫌な事があると吐く。嫌な感じだ。

ほっぺとこめかみがヒクヒクする。腹が立つと引き攣る。嫌な感じだ。

呼吸が不正確になる。追い込まれると過呼吸になる。嫌な感じだ。

声帯がおぼつかない。ストレスがあると、どもる、噛み噛み。嫌な感じだ。

肩が凝る、腰が痛い、背中に違和感がある。ガキの頃からだ。嫌な感じだ。

腹がすぐに痛くなる。冷えるとすぐに下痢になる。嫌な感じだ。

肌が弱い。生まれつき。嫌な感じだ。

手や足で蹴り殴る。嫌なことがあるととりあえず当たる。嫌な感じだ。

舌打ちをする。嫌な感じになる出てしまう。嫌な感じだ。チッ。


目が見たくも無いものを見てしまう。どうしようもないことだ。嫌な感じだ。

耳が聞きたくも無い事を聞いてしまう。どうしようもないことだ。嫌な感じだ。

鼻が嗅ぎたくも無いものを嗅いでしまう。どうしようもないことだ。嫌な感じだ。

全身が感じたくも無いことに感じでしまう。どうしようもないことだ。嫌な感じだ。

口だけは閉じれる。言いたくないことは、喋らなければいいだけだ。だけど、嫌な感じだ。


脳が考える。嫌な事でも勝手に考える。嫌な感じだ。嫌な感じだ。嫌な感じだ。


だから、こめかみの血管を抜き、眉間のシワを剥ぎ、両手を切り落とし、胃を吐き出し、ほっぺとこめかみを削ぎ落とし、気道を抜き出し、声帯を潰し、背中腰肩を整体し、全身の皮を脱ぎ、足と腕を切り、舌を抜き、目を潰し、鼓膜を破り、鼻を封じ、神経を断ち、口を紡ぎ、脳を潰して、生きようか。でも、それでは死んでしまうな。


足がバタバタする。うれしい事や幸せを感じると。良い感じだ。

涙を流す。いろいろなことを感じると。良い感じだ。

五感が揺さぶられる。脳が勝手に感じ入る。良い感じだ。

全身で感じる。良いものを感じる。良い感じだ。


嫌なことがあっても、それに勝るものがある。

それを忘れずにいよう。

自分に縛られ、自分が拒み、自分を差別する。


壁にぶつかる。

越える方法はきっと、自分の中にある。

 

そんなことは解っていても、見つからない。

人に訊ねたけれど、見つからない。


答えが見つからない壁にぶつかったら壁の先を考えれば良い。

壁の先は「想像の結果」だけれども、もし、そうならなくても壁を越えることに意味はある。

今日は久しぶりにバイトをした。朝7時半に起き、現場へ。現場はキリスト教の教会だった。仕事の内容は左官屋の補佐。まぁ言うなれば建設現場の雑用だ。セメントを混ぜては運び、混ぜては運び、汚れては掃除をして、また、セメントを運ぶ。特にキツい仕事な訳じゃない。雇い主も友人だし、気は楽だ。しかし、僕の作業着姿は立派な右翼の構成員。右翼とキリスト。変な組み合わせ。教会で奉仕する右翼青年。キリストさんの話は面白いものや、興味を引かれるものもある。でもそれは思想に共感賛同するとかじゃなくて、歴史的、物語性、不可思議な点に置いて、考古学的観点から興味があるわけだ。そんな話はさておき、初めて教会に入った感想は、何か思っていたものより殺伐としていて、質素で、面白みは無かった。僕のイメージとしては、ブルースブラザースに出て来る協会で、JBみたいな神父がいたり、懺悔室があるようなイメージだったが、それらは全く無かった。何より驚いたことに、礼拝堂にキリスト及び十字架が存在していなかったことだ。教卓の前には十字架らしき模様は彫られてはいたがオブジェみたいなものは無かった。昼飯に食った、普通の弁当がクソうまかった。普段食っている弁当と何ら変わりはないはずなのに、やはりこういった場合に食う物はうまい。

んで、仕事が終わってその友人と、その他二名と一緒に温泉へ。一気に疲れは最高潮に。疲れていて、あまり、濃いものは食えなさそうだったのでうどんを食う。友人一人の家に生ガキが届いたらしいので、食いに行く。僕はこの手の濃いモノはあまり量を食べれないけれど、生ガキは前に一度食ったときにうまかったのでとてもヨダレがダレダレだった。んで、友人宅へ。いっぱい人が来た。僕が一番年下だった。何か久しぶりの空気感。ガキってのは楽で良い。だいぶ甘えている。生ガキを二個食った。もう一個焼いて食ったがこっちの方がうまかった。テクノに感謝。そして、昔取ったビデオを見て思い出にふけったりとかしてみた。ビデオの中の僕は全裸だった。次のビデオではものすごく防寒していた。両極端形態。自分の馬鹿さを再確認。

んで、ダラダラしていて帰って来たのがつい先ほど。寝ている友人の車を運転して皆を送り帰宅。車は、彼の元へ帰って行った。王子と姫とテクノに感謝。

やっぱ、うまいものを食えるってのは幸せだ。
味覚に感謝しつつ今日は終わり。

この文章、情報媒体を介してピンポイントでアジろうと思ったけど、やはり止めておこう。

結局、世界は世界が世界たることを世界自ら気付かなければ意味が無いのだ。

他者によって気付くこともあるだろう。考力を使わないと意味が無い。

自己という点において外界に何も期待は無い。結局コスモは、ミトコンドリアの中にも存在するのだろうか。

きっと存在するだろう。だから、己の中にもコスモはあるという命題は成立しえる。

そのことに気付いているはずの世界は、まだわかっていないらしい。

行きたいなら行けば良い。

それは一歩前に行ったのかもしれないけど、それは九十九歩後退している事なのかもしれない。


そんな球体の上を歩いているのだ。上も下もわからずに。


遠心力に絶えず揺さぶられているのだ。


もしかすると、生きることは地に必死にしがみついて弾き飛ばされないようにすることなのかもしれない。


でも、上下もわからないのに弾き飛ばされたらどこへ行くのだろうか?


右か左か・・・出来ることなら右が良い。右の場所は解っている。