振って沸いたような時間。その実それは自分で作り出した大いなる無駄。人生に必要な無駄。


何を持って無駄というかは人それぞれなわけだが。最短だと思って進んでいたコースが目的の変更、または環境の変化によって最大の遠回りになってしまうことも少ない例ではない。


無駄とは、それを活用する方法を現在思いつけない、というだけのことに過ぎない。


どんなことも応用により役に立つ。どんなにも無駄に見える時間でも根底に大いなる意思があれば、それは人間性の拡大に役立っている。

自らの目算の甘さについては自覚しているつもりだったが、それにしても自らの能力をフル活用して、さらに努力を積み重ねればそれは乗り越えられるものだと自負していたが、そういうレベルじゃないみたいだな。この現実との乖離感は。

まだまだ努力が足りない。


新しいことを学ぶと、なんと自分の知らないことの多いことかと改めて実感させられる。

多くの場面でより多くの情報を持っているほうが有利であることがわかっているのに、なぜ積極的に情報を得ようとしないのか。


一見自分とは関係のないように見える情報も、めぐりめぐって関係を持つものだし、たいていの情報は、自分の分野に応用の利くものである。

そのことを理解しない、あるいは知っていても有機的に知識を利用できない人が(私も含めて)多い。


知識の有用性を知りつつ、知識を有しない者と、知識を溜め込んでいるが、現実に応用しないものとを結びつけることができればよいのだが。

人を滅亡に導くのは欲望である。


そんなことはとうにわかっていたはずなのに、いざ目の前に求めていたものを吊り下げられると無意識に手を伸ばしてしまう。


しかし、チャンスを目の前にして踏み込まないのはただの臆病者の思想だろう。


虎穴にいらずんば虎児を得ず。


要は虎子が本当に必要なのかどうかという問題。


身の丈に過ぎる欲望に身を任せればその身が焼かれようとも文句は言えまい。


確実に手に入れられるものならばつかまなければいつまでも同じところに立ち尽くすのみ。


自分というものを。


現実というものをきちんと見つめて目測を誤らぬことだ。