人は完全にゼロになんかなれない。

あっちからもこっちからも

固定観念を植え付けて生きている。


こうあるべき

これが正しい

こうしなければ


社会で生きていくためには

求められる(と想像する)自分を

必死で演じている。


そして、演じた自分を本当だと思い込む。今更、本音を感じ始めたら崩壊しちゃうんだよね。


だから、求められる(と、勘違いしている)自分が攻撃の的にならないようにしている。


でも、その我慢は体調不良や色々に出る。


それを我慢して、治ったから平気とスルーしていく術も身につけている。


おかしいな?なんて本当のしんどいを感じてしまったら、その場に居続けられないし、今ある「これ」を手放してはならぬ!と思っている。


崩壊をおすすめしているわけでもないけど、背負って生きていると大変だなぁと思うのです。

自分を知ることも許されない。

そして、この思い込みしがらみは、ずっと続いていってしまう。

こんな肩書があります、こんなに頑張りました、こんなに誰かに必要されていますと、付け足していく人生。


いつかいつか本音を感じて欲しいと思う。


あなたの飾らない、仕事の顔ではない、本音が知りたいと思うから。


体温を感じれない、悲しいよ。


上っ面の優しさなんかでなくて

まずはご自愛願いたい。





組織の崩壊はまだ少し先かなぁ。

崩壊というか本当の意味での改革?

個人が変わらない限り、大きなものは変わらない。


まだ口だけ。

体裁だけ(それも形にもならない)。



組織のせいにするのは簡単なんだよね。その中にいる(いたとしたら)個人個人がやれることって、自分を見ていくことだし、そこからしか何も変われない。


そして、選択していくんだよ。

自分の責任で。

起きたことを受けて、湧き上がる感情も受け入れて、その先で選択していく。


もう、信用ならない場所と判断するならそれもその人の真実でしょう。


私ももう要らないとなるまで、それをすんなり選択するまで、体験します。