(参考)http://www.webdokusho.com/rensai/sakka/michi10.html

(プロフィール)
1960年東京生まれ。成蹊大学経済学部卒業後、
広告制作会社などを経て、フリーランスのコピーライター。
97年9月、「池袋ウエストゲートパーク」で第36回オール讀物推理小説新人賞を受賞。著書に「うつくしい子ども」「エンジェル」「少年計数機―池袋ウエストゲートパークII」「赤・黒(ルージュ・ノワール)」がある。

【本のお話はじまりはじまり】

―― 石田衣良さんのデビュー作は1997年の『池袋ウエストゲートパーク』でしたが、それ以前には本の読み手としての「歴史」があったことと思います。最初に、子供の頃はどんな本を読まれていたのかを教えてください。

石田 : 7歳、小学校2年の頃には、図書館に毎日通ってました。朝、借りた本を夕方返しに行って、また別の本を借りるというのを毎日、繰り返してましたね。読んでいたのはSFやファンタジーや冒険小説で、図書館にあったその手の本は全部読んだはずです。今でも、エドガー・ライス・バロウズの『地底世界ペルシダー』を読んだ時のことなんかを鮮明に覚えています。重い重い樫の木のドアを地底人がくちばしで破って入って来るシーンには本当にドキドキしました。ちょうどテレビで見ていたウルトラマンにつながる世界を本の中にも見出していたんでしょうね。


―― 自分で文章を書いてみようという思いはいつ頃からお持ちだったのですか?

石田 : もう既に作家になりたいという気持ちはありました。こんなに読んでおもしろいんだから、それを自分で書いて人を楽しませたいと思ってましたね。小学校の卒業文集には「作家になりたい」ってちゃんと書きましたから。


―― 中学、高校へ進むと、読書スタイルはどう変化していったのでしょう?

石田 : その頃の生活は、6割から7割が本を読むことで占められてました。1日に3冊ずつ読みたいと真剣に考えていたんです。創元推理文庫やハヤカワ文庫はほぼ全部読んだし、同時に「世の中には文学というものがあるらしい」というのを知って、いろいろな作家を読むようになった。でも特定の作家に心酔するようなことはなかったな…。自分もいつか作家になりたいという思いがあるから、他の作家はどんな文体で書いているんだろう、一体どんな声で歌っているのかを聞いてみるための読み方をしていましたね。ですから、ひとりの作家につき代表作を2つ、3つ読んでみるという感じでした。

―― 読んだ本について誰かに話してみるようなことはありましたか。

石田 : それはなかったですね。自分が読んだものについて話したいとか、それを読んでいる自分をわかってもらいたいとか、そういう気持ちはまったくなくて。その辺の気分が、僕が書く文章の持っている素っ気無さというか、特有の距離感のようなものにつながっているのかなとも思います。

―― 「1日3冊」という思いは、達成されたのでしょうか?

石田 : 当時、一カ月ごとに計算してみると、、最高で「1日2.8 冊」なんですよ(笑)。でも、飛ばし読みじゃなくて、全部、最初から最後までちゃんと読んでましたから。大学に入ってからは、アベレージが下がって…。それでも「1.5 」は行ってましたね。まさに本を読むことにはまっていたんですね。何でもそうでしょうけれど、一度は溺れてみないとわからないものです。本もそういうもののはずです。

【立ち寄る本屋さん】

―― 最近の読書についてお聞きしたいと思います。よく行かれる本屋さんはどこかありますか?

石田 : 下町の出身なので(江戸川区)、子供の頃から本屋といえば神保町なんです。映画は日比谷だし、休みの日は銀座の不二家でパフェを食べるという。それで、東京堂をはじめ神保町には中学の頃から通ってます。僕は資料を使って書くタイプの作家ではないのですが、それでも何かを探すとなるとやっぱり神保町ですね。本屋というのは町に一軒、大きなのがあっても十分じゃないんですよ。何軒か品揃えがしっかりしていて、かつ特徴のある本屋が集中していて、そこを行ったり来たりできないと。


―― 石田さんにとって池袋という町は、あくまで小説の舞台であって、本を探しに行く場所ではないのでしょうか? 大型書店もいくつかありますが。

石田 : 古本屋が点在していたりするので、そこをのぞいたことがあるぐらいですね。広告の仕事をしていた頃、市ヶ谷に事務所があって、有楽町線が通っているという理由で池袋に行くことはありました。目的は本よりもCDを買うか、映画を見るかでした。でも、そうしているうちに『ウエストゲートパーク』ができ上がったんですけど。しかし、最近引っ越しをして、池袋に近くなったので、リブロやジュンク堂に行くようになるかもしれません。


―― 現在の作家としての生活の中で、本を読む時間はどういう位置付けになるんでしょう?

石田 : 今は読むよりも書くほうが断然おもしろいんですよ。自分の小説に向かっているときは、他の作家の作品がなかなか読めない。仕事の合間に読もうとしても、違和感ばかりが先に立って、革のシャツを素肌に着たような妙な感覚にとらわれてしまうんです。なので、今、本を読むことは休みの楽しみになってしまっています。通勤をするわけでもないので、電車の中で読むとかそういうこともできないし、この日のこの時間は本を読むための時間だと決めておかないとなかなか読むことができないですね。2、30冊は未読の本が常時、積まれてますよ。


―― その積まれた本の今後の運命は…。

石田 : そのうちに、これは読まなくてもいいやというのも出てくるんですけど(笑)。でも、またブラッと寄った本屋で買った本がそこに加わって、積まれている本の数は変わらないんですけどね。


―― ブラッと寄った本屋で本をピックアップする時の基準のようなものはありますか?

石田 : それはもう勘としか言えないですね。本屋によく行く人たちはみんなそうでしょ。独自に培った勘で本を選んでいるのでは。勘で選んでいても、どうしようもない本を選んでしまうという大きなはずしはないですね。悪くても「中当たり」以上のレベルの本を選んでいる自信はあります。

【いろいろな話】

―― 昨年出された『波のうえの魔術師』がドラマ化されました。『ウエストゲートパーク』の時と同じで主演は長瀬智也。タイトルは『ビッグマネー!』、経済クライムものということですが。

石田 : 原作者としては、植木等に期待してるところです。


―― 主人公に株式相場を教える役ですね。石田さん自身、株や経済に興味をお持ちなんですか?

石田 : 大学の頃に真剣に勉強したことがありました。自分を見ていて、普通の社会生活は到底、無理そうなので、株式相場で金を儲けてあとは本を読んで暮らそうと思っていたんです(笑)。今は休んでますけど。


―― 株の相場と小説の間には何か関係があったりしますか?

石田 : 両方とも、誰にでもできるものだと思いますよ。


―― 誰にでも!? どちらも特別な才能の世界だと思えるのですが。

石田 : 株も小説も自分独自の世界観を持って、そこから世界を眺めることができるかどうかなんです。世の中の波の上に流されずに立っているということですね。流されてばかりいては、株が上がった時には儲けたとしても、逆に損をすることにもつながります。小説を書こうとしても、自分の世界観がなければ何も見えていないから、何も書けないということになってしまう。


―― 独自の世界観ですか…。それを持つ才能の持ち主なら「誰にでも」なんだと解釈しました(笑)。では、今、執筆中の作品について教えてください。

石田 : ふたつ連載があります。秋葉原を舞台して、デジタルの子供たちが新しいビジネスを起こす『アキハバラ@DEEP』(『別冊 文藝春秋』)と、去年ニューヨークで起きたテロ事件と前後して書き始めた2キロメートルの塔が崩れるストーリー『ブルータワー』(『問題小説』)です。また、5月には恋愛短編集『スローグッドバイ』(集英社)が出ます。初めての短編集になります。それと、まだアイデアだけですが、子供向けの本も考えています。『ゴキブリ773 号』というタイトルで、満月の夜に同時に1200匹ぐらい生まれたゴキブリの中の773 番目のナナミちゃんが主人公です。彼女が住んでいるのはそれは劣悪な環境で、人間に叩き殺されたり殺虫剤をかけられる者もいれば、母親に食われてしまうのもいる。そんな中で、ナナミちゃんは旅に出る…。


―― 子供向けの本なんですよね。

石田 : ええ、今の子供たちの世界は外から見ると豊かに見えるけれど、心象風景は殺伐としているのではないか、ナナミちゃんが経験している世界と変わらないんじゃないか、そんな気がするんです。

【自慢の本たち】

―― 本にはまりつつ特定の作家に心酔するようなことはなかったとのお話でしたが、あえて好きな作家、好きな本を挙げていただくとすると。

石田 : 感情の動きの独自さや感覚の鋭さに惹かれますね。日本だと永井荷風や川端康成…。鋭さが表れているという点で創作日記やアフォリズムのようなものも好きです。なので、カミュの『太陽の讃歌』とモームの『要約すると』になるかもしれません。若い頃のカミュにはアルジェ生まれのアフリカの血がたぎっているし、モームはイギリス人ならでは、老人ならでは、ホモセクシャルならではの意見が展開されていてじつにいいんです。こういう本は言葉の持つ力を実感させてくれます。本を読むという行為は、その書き手の作家というフィルターを通して世界を見ることだと思います。例が音楽になってしまいますが、モーツアルトは雑音だらけの世の中に生きながらあんなに美しい曲を書いた。その音楽を聞くことは、モーツアルトというフィルターを通して世界を見ているんですよ。


―― 書き込みやアンダーラインがかなりありますね。カミュやモームを通して、石田さんが世界を見ていた跡ですね。

石田 : 特にカミュのほうには思い出があって。大学時代、日記に「グルニエ…」という言葉が出てくる夢を見たと書いたことがあったんです。でも、それから何カ月か時間が経って、そのことは忘れていたんです。ある日、大学に向かう途中の古本屋で『太陽の賛歌』を150 円で買って眺めていたら、何と「グルニエ…」と書いてあるんですよ。それで、自分がそんな夢を見たことを思い出した。だから、その箇所には「deja vu」と書き込みをしました。


―― そういう経験は他にもありますか?

石田 : デジャヴュも含めて何度かありますよ。日記を書いていて夢の中で書いた文章だと気づくこととか。


―― そうした体験が小説のアイデアに結びつくこともあるのでしょうか?

石田 : どうでしょう。夢にしろ、体験にしろ、そのままでは小説にはならないですね。それらを醒めた目で見ることができないと。ゴキブリの773 ちゃんにしても、ストーリーを思いつくよりも、彼女の気持ちや感情の核になるようなものがつかむことが大切なんです。それがなければ力のある文章にはならないでしょう。僕の小説じゃなくていいんです、もっともっと多くの人がもっともっと本を読んで言葉の力を感じてくれればいいんだけどなあ。

(2002年4月更新)



 東野圭吾著の長編ミステリー小説。


 長峰の一人娘・絵摩の死体が荒川から発見された。花火大会の帰りに、未成年の少年グループによって蹂躙された末の遺棄だった。謎の密告電話によって犯人を知った長峰は、突き動かされるように娘の復習に乗り出した。犯人の一人を殺害し、さらに逃走する父親を、警察とマスコミが追う。正義とは何か。誰が犯人を裁くのか。世論を巻き込み、事件は予想外の結末を迎える――――――。重く悲しいテーマに挑んだ、心をゆさぶる傑作長編。


 本来あるべき刑事裁判の在り方は、罪に見合うだけの刑罰を犯罪者に与えることです。ただし、これには条件があります。それは成年犯罪の場合に限りというものであります。腹立たしいことに、作中で起こるような未成年犯罪は現実問題としてたとえ人間を死に至らしめようとも軽い刑罰で済んでしまう。未成年ゆえ更正の余地があると判断されるからです。


 皆さん、天秤をイメージして下さい。まず、左の皿に「殺人」という重り=罪を乗せます。次に、右の皿に「刑罰」の重りを乗せます。すると本来ならばそれらで均衡が取れるはずなのですが、未成年犯罪の場合左の皿に「未成年」という重りが付加されるのです。したがって、左の皿が重くなり右の皿が上に傾く。要するに、右のお皿に乗せた「刑罰」は軽くなってしまうというわけです。


 今回の東野圭吾の作品は、この理不尽な制度に深い所まで切り込んでいます。まだ生きることを望んでいたにも関わらず理不尽な形で人生に幕を下ろさなければならなくなった娘自身の悲痛な思い、短絡的なノリで人を死に追いやった未成年犯罪者への遺族の憤り、今まで当たり前のように存在していた者が急にいなくなる家族の悲しみはどこに持っていったらいいのか。あなたが遺族ならどこに持っていきますか?


 遺族が取る選択肢としては(①従順=裁判の判決に従い軽い刑に泣き寝入りする  ②あだ討ち=容疑者を殺しに行く)という2択が考えられます。作品の主人公長峰は密告電話を受けて迷わず②を選択します。僕自身も、大切な人を短絡的な理由で未成年に殺されればそいつをぶっ殺してやりたいと心の底から思うことだろう。①は、自分が本当に遺族の立場にたっていない傍観者的な立場で見ている人が選ぶ選択肢だと私は解釈しているし、東野自身もそう解釈してこの作品を作っている。容疑者は3年程度の刑期を終えれば娑婆に出てきてまた社会人としての生活を許されるけども、遺族はその事件を一生背負いながら小さくなって生きていかなければならない。それでも、あなたは①を選択しますか?

 少し旬は過ぎましたが、ついに芥川賞と直木賞の受賞者が決まりましたね。どの候補者も有名な大学の出身者ということで本物の小説とはこの上なくインテリに開かれた世界なのだと痛感します。(まぁ、最近はやっているブログ小説などは正直・・・・・ですが。)


 中でも、僕が個人的に興味を持ったのは羽田圭介さんです。明治大学出身の彼は僕と同い年でありながら、もうすでに芥川賞の選考舞台に上がるだけの作品を世に送り出している。過去にも何冊か出版しており、彼と同じ時間を生きてきた僕は今までいったい何をやっていたんだと良い刺激を受けざるをえません。


 しかーし、昨日アップした「先人曰く」を読む限り彼の今後は少し雲行きが怪しいのです。菊池寛は、作家を目指す者で25歳未満の者は書くべからずと言っている。つまり、経験が浅く人生観が固まっていない段階で書くものなど内容が薄くて読むに値しないという考え方なのです。その中で、特に彼が憂いているのは、若い段階で技術にばかり走った人に対してだ。(以下菊池寛述)


 

 本当の小説家になるのに、一番困る人は、二十二三歳で、相当にうまい短篇が書ける人だ。だから、小説家たらんとする者は、そういうようなちょっとした文芸上の遊戯にふけることをよして、専心に、人生に対する修業を励むべきではないか。
 それから、小説を書くのに、一番大切なのは、生活をしたということである。実際、古語にも「可愛い子には旅をさせろ」というが、それと同じく、小説を書くには、若い時代の苦労が第一なのだ。金のある人などは、真に生活の苦労を知ることは出来ないかも知れないが、とにかく、若い人は、つぶさに人生の辛酸をめることが大切である。


 この言葉を羽田氏が読んだならなんと菊池寛に答えるだろうか、同い年としては気になるところです。「僕は今回賞を逃し、素晴らしい挫折を経験しました」とでも言うのだろうか。彼の経歴は見てもらえば分かるが、他の候補者と比べ明らかに何の面白みの無い普通のものだ。普通すぎて、かえって今後の展開が楽しみでなりません。

第139回芥川賞は楊逸さんに決定!
(平成20年度上半期)


楊逸さん
第139回芥川龍之介賞の選考委員会が平成20年7月15日(火)午後5時より築地・新喜楽で開催され、下記候補作品の中から楊逸さんの「時が滲む朝」が受賞作に決まりました。なお、贈呈式はきたる8月22日に東京・丸の内の東京會舘で行われます。

第139回芥川賞は、文藝春秋9月号(8月10日発売)に発表となります。この号に、受賞の言葉、選評も掲載されます。
財団法人 日本文学振興会
磯崎憲一郎
(いそざきけんいちろう)
「眼と太陽」(文藝夏号)
岡崎祥久
(おかざきよしひさ)
「ctの深い川の町」(群像6月号)
小野正嗣
(おのまさつぐ)
「マイクロバス」(新潮4月号)
木村紅美
(きむらくみ)
「月食の日」(文學界5月号)
津村記久子
(つむらきくこ)
「婚礼、葬礼、その他」(文學界3月号)
羽田圭介
(はだけいすけ)
「走ル」(文藝春号)
楊逸 <受賞>
(ヤンイー)
「時が滲む朝」(文學界6月号)

文藝春秋の作品紹介ページへ


(作者名50音順)

同日発表 第139回直木賞のページはこちら

候補者紹介(以下の年号表記は西暦を使用)
磯崎憲一郎

1965年千葉県我孫子市生まれ。83年東京都立上野高校卒業。88年早稲田大学商学部卒業。同年より現在まで、会社員。2007年、「肝心の子供」で第44回文藝賞受賞。

〈作品〉『肝心の子供』07年河出書房新社刊。

岡崎祥久

1968年東京都生まれ。93年早稲田大学第二文学部卒業。

〈作品〉「秒速10センチの越冬」97年6月群像=第40回群像新人文学賞受賞、単行本は97年講談社刊=第20回野間文芸新人賞候補。「楽天屋」2000年2月=第123回芥川賞候補、単行本は00年講談社刊=第22回野間文芸新人賞受賞。『バンビーノ』00年理論社刊。「南へ下る道」01年11月群像=第126回芥川賞候補、単行本は02年講談社刊。『首鳴り姫』02年講談社刊。『昨日この世界で』04年文藝春秋刊。「ナラズモノの唄」04年12月群像。『独学魔法ノート』05年理論社刊。「うずら」06年10月群像。「日竹カンパニ」06年11月すばる。「美女の林間の空地」07年8月文學界。

小野正嗣

1970年大分県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻博士課程単位取得退学。文学博士(パリ第8大学)。2007年より明治学院大学文学部フランス文学科専任講師。

〈作品〉『水に埋もれる墓』01年朝日新聞社刊=第12回朝日新人文学賞受賞。『にぎやかな湾に背負われた船』02年朝日新聞社刊=第15回三島由紀夫賞受賞。「水死人の帰還」02年10月文學界=第128回芥川賞候補。『森のはずれで』06年文藝春秋刊=第28回野間文芸新人賞候補。翻訳に、エドゥアール・グリッサン『多様なるものの詩学序説』07年以文社刊、アミタヴ・ゴーシュ『ガラスの宮殿』(小沢自然との共訳)07年新潮社刊他。

木村紅美

1976年兵庫県生まれ。仙台向山高校、明治学院大学文学部芸術学科卒業。書店アルバイト、会社員を経て、2006年、「風化する女」で第102回文學界新人賞受賞。

〈作品〉『風化する女』07年文藝春秋刊。「ねぐら探し」07年6月文學界。『島の夜』07年角川書店刊。『イギリス海岸 イーハトーヴ短篇集』08年メディアファクトリー刊。「卵を産む少女」08年6月すばる。「花束」07年9月~08年6月、携帯サイト「朝日オトナの本棚」連載。

津村記久子

1978年大阪市生まれ。大谷大学文学部国際文化学科卒業。2000年より会社勤務。05年6月「マンイーター」で第21回太宰治賞受賞。

〈作品〉『君は永遠にそいつらより若い』(「マンイーター」を改題)05年筑摩書房刊。「花婿のハムラビ法典」06年5月群像。「サバイブ」06年3~8月webちくま。「Everyday I Write A Book.」06年7月小説すばる。「十二月の窓辺」07年1月群像。「炎上学級会」07年3月小説すばる。「冷たい十字路」07年6月文學界。「カソウスキの行方」07年9月群像=第138回芥川賞候補。「バイアブランカの活断層」08年1月野性時代。「コピー機が憎い!」07年7月~08年1月「ちくま」連載。『カソウスキの行方』08年講談社刊。『ミュージック・ブレス・ユー!』08年角川書店刊。『婚礼、葬礼、その他』08年文藝春秋刊。

羽田圭介

1985年生まれ。2003年、「黒冷水」で第40回文藝賞受賞。明治大学卒業。会社員。

〈作品〉『黒冷水』03年河出書房新社刊。『不思議の国のペニス』06年河出書房新社刊。『走ル』08年河出書房新社刊。

楊逸
<受賞>

1964年中国黒龍江省ハルビン市生まれ。87年来日し、日本語学校を経て、お茶の水女子大学にて地理学を専攻。卒業後、日本にある中国語新聞社で記者として勤め、のちに中国語講師になり、現在に至る。

〈作品〉「ワンちゃん」2007年12月文學界=第105回文學界新人賞受賞=第138回芥川賞候補、単行本は08年文藝春秋刊。『時が滲む朝』08年文藝春秋刊。日本語エッセイ多数(08年3月~現在)。中国語の作品は、詩、エッセイ、ミニ小説など(中国語新聞に発表。97年~02年)。