感動のドラマでしたね!皆もきっと泣いたことでしょう。
こちらの記事の構成は、以下のようになっています。
1.実況 2.直後の感想 3.考察 4.みんなの感想(コメント欄)
読者の皆さんの感想をコメントしていただけると嬉しいです。コメント欄で語り合うのもいいよね(°∀°)b
※ 8/29 1)~3)の追記あり
1)皆さんの全てのコメントにお返事を書きました是非見てね!
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1.【実況】以下は放送のCM中に書き込んだものです
21:15 レモンを受け取ったところで一旦CM
話の進みが結構早いけど、引き込まれる展開
21:25 山田くん いい味出してる
CM 多いなぁ~
(なんでマラソンの中継?)
30 茶碗蒸し食べた時に眼が光ったよ、涙ぐんだ やっぱ神演技
CM 多すぎ
CM 5分おきにCM入れられてる感じがする
友和パパが ぐっとくるなぁ~
22:10 大野くんの抑えた演技の中に何かが秘められている。微妙な表情が凄い
15 最強の夢 続くと良かったのに
28 再発した・・「父ちゃん、ゴメン 大丈夫じゃなくて」ヤバイ
スワンボートのシーン 死ぬことは、終わることじゃない と落書きを残す耕太
死を目前に、家族4人で涙ながらに語るシーン 耕太震えて泣いてる
40 ヤバイ 涙止まらないし 鼻水も出てきちゃうよ
CM ここでもCMか
死ぬための準備をする耕太 覚悟が出来ているようだ( p_q)
家族への手紙をカウンセラーに預ける
緩和ケアが始まった 治療ではなく安らかに死ぬためのケアだ
もう、生きているのか死んでいるのか・・もう表情が虚ろだ
カテーテルを抜去するのは 本人の希望だったんだ
辛い辛すぎる、いつも一番冷静な父ちゃんが
「抜かないでくれ」って←もう泣くしかないよここ
「だいじょう ぶ」と耕太が言ったよね
23:15 静かにご臨終になってしまった・°・(ノД`)・°・オオノクン ヤダァ~ ←違うって
最後の言葉は 「晩 ご飯 なに?」だったのかな・・
その後・・・
姉ちゃんは耕太の作ってくれたレシピで料理
父ちゃんと母ちゃんはデートに出かける
思い出のスワンボートに二人で乗って見つけたものは
死ぬことは、終わることじゃない という耕太が書いた落書きだった ←そうきたか
夕飯時の耕太の言葉 「晩ご飯なに?」でフェイドアウト
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2.【直後の感想】
やっぱり、泣けるなぁ~これは、鼻も何回もかいじゃったよ。
耕太くんが、だんだん弱っていく様子が、表情や声のトーンまで変わってきて眼も虚ろでリアルすぎた。
これは、今夜夢の中に出てきちゃうような強烈な印象だった~
父ちゃんと母ちゃんと姉ちゃんもすごい役者だから もう全員に泣かされました。
ちょっとCMが多すぎてブツブツカットされるのが残念でしたが、次はCM無しで、気持ちを保った状態でちゃんと見たい作品でした。
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3.【考察~死の受容・希望という観点から】
人は、誰もが一度は【死】と向き合うのだけれど、それはすぐに受け入れられるものではないはずです。
死の受容にはプロセスがあるということを説いたアメリカの精神科医キューブラー・ロスによると人間は、死を受け入れるまでに否認、怒り、取り引き、抑鬱、受容という5段階のプロセスを経て徐々に死を受け入れるのだと言います。
そして、全ての段階には【希望】が存在するのだそうです。
確かに、人間は弱い生き物だから希望が無ければ精神の安定を図れないのかもしれません。
希望があるから最後まで生きられるのかもしれないと、耕太の生き様を見て改めて思いました。
耕太も、発病した時に80%の生存率という数字からまさか自分が残りの20%ではないだろうと否定する気持ちでした。
それを賭けてみる気持ちで自動販売機の飲み物を買ったら20%の確率の当たりが出てしまった!
何かの間違いだ、自分は20%の当たりのほうの人間じゃない!そんな否定したい気持ち【否認】とそんな縁起でもない事は受け入れられない気持ちで彼は缶コーヒーを2本とも次に買おうとしていた由里子へ渡したのだと思いました。
霊安室のシーンも、そこに居たたまれなくて飛び出したのは、やはり死に対する恐怖から逃げたい気持ちの表れでした。
そして、逃れられない恐怖と戦う中で、今度は、何で自分がこんな目に合わされるんだという【怒り】の気持ちが出てきてしまいます。だから耕太は、母や恋人を前にその苛立ちを隠すことが出来なかったのでしょう。
彼の場合の【取引き】は、抗がん剤による治療だったと思います。
この辛い治療が終われば、がん細胞は死滅し自分は生き長らえることが出来るだろう。
そんな苦痛と引き換えに病の克服を願ったのでした。
ところが、治療の成果が見られず担当医は効果が見られなかったことを伝えました。
【抑鬱】の時期、彼に友人がいたことは幸いでしたね。信夫(山田)や由里子(深沢)の存在は彼の精神の支えでした。
また、本当に仲の良い愛に溢れた家族の支えがあったからこそ彼は冷静に【死】を【受容】できたのだと思いました。
物語の最後に【死】があるドラマと言う点では、大野智が5年前に演じた『魔王』も同じなのですが、行き着く結果が同じでも『今日の日はさようなら』は、見終わった後に清清しさが残るドラマでした。
何が違うのかというと、【死】を迎える最後まで【希望】を持っていたというところです。
耕太は絶望の淵に立たされながらも家族に対する感謝を忘れず、残された者が幸福に生きてくれることを【希望】していました。最後の治療に対しても自分らしく生きたいという【希望】を貫きました。
その生き様が清清しくて、亡くなった後にも耕太の優しい気持ちが残っている感じがしました。
ラストの「晩ご飯なに?」がとても印象的で、耕太の存在が消えても彼の家族に対する愛や希望は生きているんだなぁと感じました。
大変感動しました!!大野くんの演技がすばらしい事は言うまでもないので皆さんで解説してください。
山田くんもその存在感や演技が良かったし、富士岡家の家族は最高の家族でした。
久々に大きなテーマを考えさせられるドラマを堪能することが出来ました!
大野くん、共演者の皆さん、スタッフさん、感動のドラマをありがとう!
4.【みんなの感想】↓コメント欄
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